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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 口を開けばミルナリスと口論になるのは、須庚が最も多い。対恒河沙の際にはソルティーが間に入って止め、ハーパーは彼女を否定する事がソルティーの否定となるのを恐れて口を噤むからだ。
「ふーん」
 久しぶりに恒河沙で遊ぼうと思っていた当てが外れた須庚は暫く考え込み、徐にソルティーの横の椅子を引き出し、背もたれを前にして跨った。
 それからテーブルに乗せられた十数冊の分厚い背表紙に目を移し、一冊手にとって開いて直ぐに閉じた。
「よくこんなの読めるよね。頭が痛くならない?」
 これだけの量を毎日読んでいるのかと考えるだけで、須臾の頭は痛くなる。
 一般民衆にとって、書籍等は無用の長物だ。商人でない限り字を書く事も無ければ、それを書いている物を見る事もない。学の全く無い恒河沙の代わりに、読み書き全般に心得はあっても、それが好きかと問われれば即刻首を横に振る。
 本などは一部の特権階級か、学者でない限り必要の無い物。それが須庚の持論だった。
「私は世の中の事に疎いからな。知らない事が多くて、こんな事でもして足さなければ、追い付けない。お前の様に何でも知っていれば良いんだが、それは生まれてからずっと知識と触れ合っていたからだろう? 私にはその機会が無かった。羨ましいよ」
「そ…そんな事は……無いけど…」
 ソルティーはびっしり書き込まれた頁に目を落としたままだが、真剣に語られると、それなりに照れてしまう。
 須臾から見れば、彼の知識は充分過ぎる程備わっている思うのに、彼は自分に負けていると本当に思っているらしい。それがどうにもむず痒い。
――普通の中の良い事か……。
 須臾にとっては退屈な普通の日常が、ソルティーには羨ましい日常だった。
 それを手に入れるのに必死になる姿が、一寸信じられない。
――相変わらず方法は間違ってるけど。
 三十近い男がじたばたするの姿は滑稽だが、それを笑い飛ばす気にはなれないのが正直な気持ちだった。
 取り敢えず返す物は返し須臾の用事は終わったのだが、何となく腰を落ち着かせてしまった。とは言え、自分も何かを読もうなどとは思えず、暇潰しがてらに話し掛けることに決めた。
「なあ、邪魔して悪いんだけど、王様になるのに何を特別な事でも習うわけ?」
「ん? 別に特別な事は無いと思う」
「だけど、ほらあれ、帝王学って言うのあるって聞くし、猛勉強な感じなのかなって」
「帝王学……ああ」
 須庚の返しにソルティーは思い出したかのように顔を上げ、しかし浮かべられたのは苦笑だった。
「一般的には帝王学と言われているものは、学問的な要素よりも民衆心理を掌握して如何に効率よく統治してきたかの思想と経験を、儀礼などに織り交ぜて次へと継承させる事が主体になっている。だから須庚が考えているのとは、多分少し違う」
「どういう事? もうちょっと詳しく」
「悪い言い方をすれば、こう言えば人々は何も考えずに追従して、こう処罰すれば人々は平伏す。逆に言えば、民が往々にして望んでいる事はこうであるから、それをする為の仕来りや礼儀作法を受け継がせていく。帝王学というのは、国にとって如何に形の良い王を作るかの為の知恵の塊だよ」
「なる程、どう良い格好に見えるかって事か。確かに威張ってるだけでも、へこへこしててもらしくないもんね。良い格好しいのソルティー様の素養は、そこからって訳だ」
「そう言われると思ってた。しかしハーパーに言わせると、私は出来の悪い生徒だったそうだ。もっとも実際苦手で、良く叱られていたよ」
 ソルティーはそう言ってから少し考えるような仕草で頁の上を指先で叩き、子供の頃を懐かしむ声を出した。
「出来るまで地下の食料庫に閉じ込められた事も在ったな……。よく考えれば、窓も明かりも無い部屋で、どう勉強すれば良いんだ? ――ああ、あれはお仕置きだったんだな」
「アハハハ、それって普通その時に気が付かない?」
 一人で悩んで一人で解決したのは良いが、内容の程度が恒河沙と変わりがない事に、須庚は思わず声を上げて笑い、笑われた方は脱力した感じで肩を落とした。
――ま、ガキの頃から完璧な奴なんて居ないか。……いや、違うか。
 よくよく思い返してみれば、ソルティーはそれ程完璧な男ではない。悩みもすれば落ち込みもする。恒河沙やミルナリスを相手にしている時には、間抜けだとも思う事さえもある。
 時折厳しい見方をするのは、それなりの経験をしてきたからなのだろう。
 リグスだけではなくシスルでも王の存在は特別で、狂者が現れては王の血筋を騙るのは良くある事だ。
 普通ならばソルティーの話を信じはしない。しかし虚を嫌い、気高く空と地を統べる竜族のハーパーが付き従う事こそが、彼の血筋が偽り無い証拠だろう。
 だがそれ以上に、もしもハーパーが居なくとも、きっと自分は彼の言葉を信じるようになっていたとも感じる。
『何千万もの民が殺されたんだっ! 罪もない女や子供達までもが、一瞬で殺された。総て私の国の、私の民だ。誰が忘れようとも、私だけは忘れてはならない事実だっ!』
 偽りの王にあの慟哭は放てないだろう。
 何が起きてこうまでソルティーとハーパーが苦しみを背負う事になったのかは、未だ教えられていないが、その時を待つ事は苦ではなくなっていた。
 それこそがマナに教えられた、普通の中の何かなのかも知れない。
「そんなに笑わなくても良いだろ。相手はあのハーパーなんだぞ、三日でこの手の幅程もある経典一冊を丸暗記とか平気で言われてみろ、私だって屋敷から逃亡したくもなる」
「三日……。それって竜族並を要求されたって事? ああ、そりゃ無理無理」
「だろ? 当然やっと覚えられたのは一月後で、その時のハーパーの嘆き方も半端じゃなかった」
「いや一月で覚えられたら凄いと思うよ。 で、今それ言える?」
「無理に決まってる。ハーパーに向かって諳んじてる間に、どこかに消えていった。本を読むのは今でも好きだが、もうあれだけは二度と見たくない」
 ソルティーはそう言って溜息混じりに話していたが、須庚の目には彼が楽しそうに話しているように感じられた。特に『凄い』と言った時には、小さく驚き、そして少し嬉しそうにも見えた程だ。
 どれだけ嫌な苦しい事があっても何食わぬ顔でいる彼が気に食わなかったが、それは彼がもっと悲惨な現実を目の当たりにしてきたからであれば、今こうして呆れるくらいに小さな事で彼が一喜一憂するのは、彼がやっと手に入れられた幸せなのかも知れない。
「……やだね、男の僻みって」
「ん? 何か言ったか?」
「いや、こっちの話」
 自分がこれまでに感じていたソルティーへの馬鹿げた対抗心は、本当にちっぽけな物だった。
 そんな自分の変化に気付いた須庚は、もう少しここに居座る事に決めた。
「んじゃぁ、何か得意なのってあった? 何が一番教わってて楽しかった?」
「楽しかったか……、うーん、得意とまでは言えないが、流通に関してのハーパーの話は興味があったな」
「どんなの?」