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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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episode.31


 遙かな遠い昔、二度の大きな戦があった。
 一度目は人をきっかけに、二度目は人を狭間にした、神と呼ばれた者達の戦が。
 一度目の戦は世界を変え、二度目の戦は刻を世界から奪った。
 それからどれ程の時間が過ぎ去ったのだろうか。
 二度目の戦で刻を失い変化を忘れた世界には、遠い昔の戦を知る者は消え、同様の時代だけが重なり合っていた。
 何かが産まれ、そして死ぬ。そこに時間の流れを感じられていても、世界は変わることなく同じ時を刻む。果たして同じ刻が重なり合うだけの世界に、どれだけの意味があるのか。
 それを知ろうにも、人は刻の轍を見る事も出来ない。


 * * * *


 まだ朱陽も高く、明るい日差しが差し込む部屋には、密度の濃い空気が流れている。
 揺れるのは陽の光を受けない為に白い手足。
「ハァ…アッ……アア…」
 抑える事もなく洩れる喘ぎが、演技なのかそれとも本当なのか須臾には判らない。
「…ッユ…須臾……」
「――マナ」
 幾度と無く互いの名を呼び合っても、熱の籠もった瞳で見つめ合っても、相手の気持ちは微塵も伝わらない。
 触れ合った肌越しに伝わるのは互いの温もりだけ。なのに心にその温もりは、欠片も伝えられなかった。
「アアーーッ」
 乱れた金色の髪が激しく波を描く。
 仰け反った喉に噛み付く様な口付けを与えても、吐き出されるのは、感情の満たされない欲望と言う名の体液だけだ。

 暫く力の入らない体を“客”の体に任せた後、マナはゆっくりと体を起こした。須臾は彼女の腕を掴むと、もう一度自分の胸の中に抱き締めた。
 されるがままに須臾の胸に頬を当てながら、上目遣いに彼の顔を見る。
「どうしたの? 何かあった?」
 一昨日事件はマナ達にも直ぐに知らされた。街に騒ぎが起きれば、大抵客足が遠退いてしまうのだから、閉鎖された中であっても彼女達の知らぬ話は殆ど無いだろう。
「何もないよ」
「……クス、嘘ばっかり。ま、あたしには関係ないけど、上の空で抱いて欲しくないわ」
「……ごめん。良くなかった?」
「まぁまぁ、だったかな。須臾は若いから、お姉さんはそれだけで、ま・ん・ぞ・く」
 須臾の唇に軽く指を添わせ微笑む仕草には、大人の色香よりもあどけなさの方が多く含まれていた。
「マナ……」
 昨日、恒河沙が目覚めてから、須臾は直ぐにマナの所に戻った。
 ちゃんと自分を覚えていてくれた嬉しさよりも、ソルティーと居る時に目覚めた事の疎外感がそうさせた。
 それは偶然だったかも知れない。少しの時間のずれが、偶々ソルティーに向いていただけなのかも知れないが、自分との差を見せ付けられた様な気がしたのは事実だ。
 須臾には認めたくない恒河沙の影の部分を、ソルティーなら簡単に抱き込んでしまう。恒河沙にはその方が良いのだと思う傍らで、素直にそれを認めたくない自分が居る。
 そんな、認めたくないのに判ったふりをして笑える自分が、耐えられない程無性に嫌になる時があった。
「マナ、どうして悪い事は多いのに、良い事は本当に少ないんだろう」
 何もかもさらけ出すには勇気が必要で、その勇気がないから判ったふりをする。楽だと思いながら、辛さを感じて、誰かに抱き締めて欲しかった。
 マナには悪いが、抱き締めてくれるなら誰でも良いと感じ、逆に彼女はそんな男たちばかりを相手にしていた。だから彼女の返事は、どこか手軽にあしらう節があった。
「良い事も悪い事も、死ぬまでには同じだけ在ると思うな。須臾は小さい良い事から目を背けてない?」
「別に…背けてないよ」
「そう? だったら良い事はこれからかもね」
 須臾が真剣に聞いている事にマナは笑う。
「須臾はあたしが不幸だと思う?」
 反対に問われた言葉に須臾は何も言えなかった。それが肯定にしかならないと判っていても、娼婦を幸福とは誰も言わないだろう。
「確かに此処は嫌な場所だけどね、二十年も居ると、あたしには此処は普通の場所。悪い事もあるし、良い事もある場所なの。須臾にはあたしを抱く事は、良い事の中には入らないかも知れないけど、あたしは須臾に買われた事が良い事なの。周りの普通があたしには良い事。須臾の普通の中にも、良い事は沢山在るんじゃないかな?」
「普通の中の良い事……」
「欲張らなければ、意外と良い事は見付けられると思うけどな」
 須臾の顔を上から見下ろし、自信たっぷりな笑顔を見せる。
 年相応とは言い難い子供っぽい笑顔だったが、マナにはその方が似合っていると思う。そう思った時、それが小さな良い事だと自然に感じられた。
「そっか、そうだよね。でも僕ってば欲張りだから、マナみたいに上手く探せないかも」
「あらら……、それは困りましたわね。どうしましょう?」
 須臾の表情がマナの知る彼に戻ったのを見て、態とマナも併せる様にして冗談半分の口調になる。
「どうするかマナが考えてよ。今は、マナが僕に小さな幸せを頂戴」
「ほんと、子供のくせに生意気君。でもしょうがないから、こんな幸せをあげようか?」
「? ……うわぁっ」
 急にマナの体が須臾に覆い被さり、豊かな柔らかな胸が須臾の顔を覆った。
「マナッ、苦しっ……」
「ほれほれ、気分良いでしょう?」
 子供同士がじゃれ合う様に、マナは須臾の頭を抱き締めて放そうとしない。
 ある意味では幸せで、その代償に死にそうな苦しさを味わいながら、須臾はまだもう暫くマナとの小さな良い事に没頭した。



 それから三日後に娼館を出た須臾は、相変わらず資料館で暇を潰していたソルティーを見付けるやいなや、握り締めた両手を彼の前に突き出した。
「さて問題です。右と左とどちらでしょう?」
「左」
 ソルティーはさして動じる事無く、本から視線を外さずに解答を出した。
「あれま、正解。残念…」
 両手を上に広げ、左手に乗せられた赤い石を見下ろした。
「はい、返すな」
「そうか」
 結局使われなかった石を須臾から受け取り、ズボンのポケットにしまった。
 どんな判断を須臾がしたかはどうでもよかった。目の前に立つ彼の顔が、すっきりしていればそれ以上望む答えはない。
 須臾のマナへの同情は、
『あたし、ほんとは年上が好きなの』
 そんな言葉で一蹴された。
 マナなりのけじめなのだと感じられ、須臾は素直に引き下がった。娼婦としてと言うより、彼女自身の人としての誇りで断られたのだ、無理を通せば彼女を本当の意味で傷付けてしまうだろう。
 その代わりにソルティーに貰った金を最大限に活用し、彼女を高級娼婦の扱いで贅沢な二日間を演出した。その時に見られた彼女の笑顔があまりにも素敵だったので、彼女との一時もそれで終わりに出来た。
「そう言えば、彼奴は?」
 此処に来る前に立ち寄ったケトカの工房に居たのは、ハーパーだけだった。
「てっきり一緒に居ると思ったんだけどな」
「入れ違いじゃないか? 先刻あの子の鎧の試しをするのに、グリシーンに連れて行かれたから」
 同じく一緒に居たミルナリスは、須臾が来る直前に「口論するのは疲れますわ」と言い残し、さっさと姿を消した。