刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
ミルナリスの外見は卑怯だと思う。
これが同じミルナリスでも前に会ったミルナリスなら、もう少し恒河沙も真っ向から勝負をする気も出る。しかし幾ら精霊だからと言っても、幾らハーパーよりも年上だからと言っても、見掛けが自分より子供だと握り込んだ拳を突き出す事もできない。
しかも前のミルナリスならまだ好きだと思えるが、このミルナリスは何故か真っ向から大嫌いだと言える位に大嫌いだった。
殴れるものなら殴りたいと、いつも思っている程に。もしかすると、ソルティーが居なければ、もう既に殴っているかも知れない程に。
そのソルティーとミルナリスの関係は、やはり全く判らない。
一緒に旅をするとしか恒河沙達には伝えられていない。こういう事に関しては、ソルティーは雇い主としての立場を使う。ある意味では卑怯な手段ではあるが、それを卑怯だと言えば立場は一気に悪くなるだろう。
だから不安が募る。
自分が一番だと言いながら、ミルナリスを傍に置いているソルティーが理解出来ない。
――まだ判らないしなぁ…。
一体自分が何を知らないのか、彼女が何を知っているのか。
ずるかも知れないが、ソルティーには聞かずに須臾に聞いた事が有るが、『ソルティーの事なんて僕が知る筈が無いでしょ』と素っ気なく言われてしまった。
いつもなら直ぐに忘れてしまう事だが、事有る毎にミルナリスに『まだ判りませんか?』と言われては、忘れようにも忘れられない。疑問を抱きながらソルティーをじっと見つめると、引きつった笑みを浮かべられ最後には逃げられる。
――う〜〜ん〜〜。
考え込むのは得意じゃないし、頭が痛くなるからしたくはない。それでも一応、それなりの形を取る為に、腕を組んで眉間に皺を作る。
目を閉じても、頭の中は空っぽだったが。
「クク……」
微かな喉からの笑い声に目を開けると、上体を起こして自分を見ているソルティーと目があった。
思わず名前を呼びそうになったのを、指を口の前に立てて“静かに”と示され、慌てて口を閉じた。
寄り添うミルナリスからゆっくりと離れ自分の前に立つソルティーに顔を上げると、無言で微笑まれる。その笑みに同調するかのように自然と浮かんだ笑みに差し出された手に、やはり釣られて手を伸ばすと手首を掴まれて立たされた。
何も言わずに引かれた腕は、そのまま野営場所から離れるように前へと進んでいった。
――どこ行くんだろ?
蒼陽の灯りに照らされて、ゆっくりと歩くのは気持ちが良い。
しかもソルティーと二人っきりなのがもっと良い。
「この辺りで良いか」
後ろの焚き火の明かりは、とても小さく見えた。
何本かの木がぽつんぽつんと在るだけの、何もない平原だ。だいぶん離れても、向こうの様子はよく見える。
その一つの木の根本に野営場所から隠れる様に腰を下ろすソルティーが、恒河沙に向かって手招きした。
「見張り良いの?」
「敵が居ると思うか?」
そう言われて恒河沙は首を振った。
ソルティーの敵と言うのは、恒河沙達には察知出来ない。だからそれは仕方なく彼とハーパーに任して、それ以外のちんけな野盗位を恒河沙達でどうにかする。
「今日は大丈夫、野盗も来ないよ。だからおいで」
何処からその自信が出るのか。でも、そう言われると納得してしまう。
「うん」
誘われるままソルティーの胸を背もたれにして、彼の脚の間に腰を下ろした。
直ぐに後頭部にソルティーの額が当たる感触がして、同時に彼の両腕が体を包み込む様に前に回される。
――……なんか気持ちいい…。
ドキドキするし、ふわふわする感触が全身を包み込んでいく。須庚に抱き締められる時は、ただ安心感だけを感じるが、ソルティーにされると他では感じない何かで一杯だ。
「……ごめん…」
突然謝られて後ろを向こうと思ったけど、体勢的に出来なかった。
「ソルティー?」
「ごめん…」
「ごめんって何が?」
ソルティーが謝る事は、何一つとして思いつかない。
それでももう一度繰り返された同じ言葉にも、本当に心から零れ出た響きが込められていて、余計に恒河沙を不安にさせた。
「ソルティ…どうしたの?」
「ハーパーとミルナリスの事。お前一人が責められて、何もしてやれていない」
「そんなの俺の所為だろ? ソルティーが謝る事無い」
「私の所為だ。お前が責められている時に、ちゃんと言わなければならなかったのに、何も言えなかったから。だからごめん」
「だかっ…」
声が大きくなった恒河沙の口をソルティーの手が覆う。
左肩の上へとずれた頭の位置によって、真横に来たソルティーの顔に、一気に恒河沙の鼓動が跳ね上がった。
「大声は駄目だよ。誰か起こして、邪魔をされたくないから」
耳元で囁かれた言葉に頷くとソルティーの顔が微笑み、驚きながらも小さく頷けば、ゆっくりと手が離された。
――うああ、びっくりした…。
早くなったドキドキは苦しいくらいで、顔が真っ赤になっているのは自分でも判る。
ソルティーと居ると、何時もこの妙な動悸が治まらなくて困る。特に今の様に、耳元で何か言われたら、どうしてか体に力が入らない。
剣を振り回している時とは比べものにならない位、気持ちよくて頭が真っ白になってくる。
しかし苦しい位の気持ちよさを邪魔する、ほんの少しの不安が嫌だと思い、意を決して恒河沙から話しかけた。
「ソルティー」
「何?」
「俺の事、彼奴よりも好き?」
「好きだよ。どうして?」
そう聞き返されて首を振るだけになった。
単に確認したかっただけだ。未だに好きの意味がよく判らないから、つい言葉にして言って貰いたい。
いっぱい何時でも言って欲しいけど、ミルナリスやハーパーが居ると駄目になる。ましてや須庚の前では尚更無理だ。
だから今いっぱい言って貰おうと思っても、ソルティーは違う方に受け取ってしまった様だ。
「信じられない? 彼女と一緒に居るから」
ソルティーの腕を掴んで首を振ったのに彼の腕はそっと外され、体を包む安心感が無くなった。
「ソルティ……怒った……?」
消えてしまった温もりが不安を煽り、後ろを振り返ろうとすると直ぐに腕はまた恒河沙を包み込んだ。
ただし戻ってきたソルティーの手には、何時も彼が首にしていた紫色の宝石が付いたペンダントが握られていた。
「これを誓いの代わりにするよ。だから信じて欲しい」
「これって……」
宝飾の事は詳しくない。でも目の前に差し出されているのが、彼が肌身離さずに身に着けていた事は知っている。きっと耳飾りと同じに、彼には大事な物なのだろうと感じていた。
なのにソルティーは恒河沙の首に銀の鎖を回し、後ろでそれを留める。
「ソルティー…」
「母の形見なんだ」
「お母さん……そんなの駄目だよ。そんな大事なの俺、貰えない」
急いで外そうとする恒河沙の腕を掴んで、その腕ごとソルティーは恒河沙を抱き締めた。
「良いんだ。これは私の父が母と一緒になる時に、母に渡した物だ。父は父の母からこれを貰った。ずっとね、そうやって受け継いできた物なんだ。母親から子供に、子供は自分の愛する人に渡してきた」
紫の石を手にソルティーはそれの謂われを語る。
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい