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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 ミルナリスはその背中を見つめ、紡ぎだそうとする言葉を何度も戸惑う。
 暫く何の言葉もないまま時は過ぎ、心を落ち着かせる為か、彼女は繋いでいた温もりの残る手をそっと胸に当てた。
「ソルティー、良く聞いて下さい。シェマス様のお考えは諸刃の剣です。シルヴァステル様を滅ぼしてはなりません」
 成る可く苦しさを表に出さない様に気を使った言葉だったが、その内容はソルティーの心の影を落とすには充分の役割を持っていた。
「何を言っている?」
「真実を……」
 ミルナリスの言葉に冷静さを欠いたソルティーは、彼女に詰め寄りその肩を掴んだ。
「今更どうしてそんな話をする」
 ソルティーにとってはミルナリスの言葉は、裏切りにしか聞こえない。
 思惑はどうであれ、味方だと言った彼女を信じていた。前に彼女が口にしたのは、邪魔をするだが、それはソルティーに向けられた言葉とは違う。それが今回は、彼に向けた言葉だ。
 持つべき意味が違うのだ。
「シェマス様の御言葉が、必ずしも間違っているとは申しません。ただ、危険だと申しているのです。貴方は、本当は知っているのではありませんか? シルヴァステルと言う方の存在を、この世界が何を基盤として成り立っているのかを」
 ミルナリスの語気が強くなるのは、それだけソルティーに理解して欲しいと言う気持ちの表れだろう。
 同時に、自分の話を決して彼が認められないと知っていての口調でもある。
「知っている。だからこのままには出来ない存在なのだろ。このまま放っていれば、必ず同じ悲劇が起きる。既に目覚めている彼奴をどうして見過ごす事が出来る。彼奴は最早創造主ではない、この世界総てを覆う呪詛の塊でしかない」
「基盤を失う事は、この世界を失う事も同じなのですよ」
「ならどうして命達は、いや、抑も彼女達と冥神は同じではなかったのか」
 ミルナリスの話は否定出来ない事実ではあったが、鵜呑み出来る事実でもない。彼女の言葉がそのまま真実であれば、ソルティーが此処に存在する理由が失われ、彼を遣っている者達の意味すら無くなってしまう。
 それを知っている筈のミルナリスは、それでも言葉を翻す事はなく、冷静に現実の話を進めた。
「シルヴァステル様を滅ぼし、元凶を無くせば事態その物は収束を見るかも知れません。しかしそれ以上に大きな可能性として、この世界の根源を消滅させる事が判りませんか? ――確かにシェマス様方は、シルヴァステル様と同等のお力をお持ちです。ですが良くお考えになって下さい、シェマス様方ですらこの世界の者ですわ。シルヴァステル様の力によって産み出されたこの世界で構築された、完全ではない物です。しかも、この世界に影響を許されない、影の存在ではありませんか」
 ミルナリスは自分の肩を掴んだソルティーの腕に触れ、喉を震わしながら決して言いたくなかった言葉を口にする。
「創造物が創造主を滅ぼす事は、不可能です。ソルティー、貴方が今考えている事があるとして、それを貴方が存在しない状態で維持できますか? シルヴァステル様を滅ぼすと言う事は、この世界の思考を止めるのと同じ事ですわ」
 判りきった事かも知れないが、其処に一分の希望を求めていなかった訳ではない。
 いや、以前のソルティーならば、それでも事を行うと直ぐに決断できただろう。過去の妄執に取り付かれていた彼ならば、自分が事を終わらせた世界の事など、一欠片も考えなかった。
 しかし今は……。
 ミルナリスの言葉に何も言えなくなり、俯いて奥歯を噛み締めるだけだった。
「だからお願いです。恒河沙様をシルヴァステル様の所にお連れして下さい」
「どうなる、そうする事であの子はどうなるんだ」
「私には……、私にそこまでの答えは用意されては居りません。総ては主の御心のままに在るのが、私の役割」
 ソルティーの手に力が入り、ミルナリスの肩が痛みを伴って締め付けられる。
――選べと言うのか。恒河沙と世界を……。
 命を懸けても護りたいと思ったこの世界は、恒河沙が存在する世界だ。これから先自分が消え去っても、それでも彼が護られるならそれで良いと思える世界だった。
 幾ら考えてもこの二つのどちらかを選べる筈はない。どちらもソルティーには失いたくない存在なのだから。
「……結局、私は何も出来ないのか。神だからと、創造主であるからと、それだけで何も出来ずに見るだけなのか。だったら何の為に私は居るっ! 何故私は鍵となったっ! 私がどう足掻こうと終わりが同じなら、どうして神は人を巻き込むっ!!」
 人が神の領域に足を踏み入れる事はない。それこそ不可能だ。なのに神はいとも簡単に人の領域を踏みにじる。それが神たる所以なのかも知れないが、ソルティーには理不尽な所行にしか思えない。
 神の気紛れに滅ぼされ、今はまた神の諍いによって存在する自分に、どれ程の意味があるのか判らなくなる。
――それでも、私はそれでも構わない。しかし、恒河沙は私とは違う。
 自分の様に一度道を途絶えさせた訳ではない。
 希望的憶測がもたらした可能性かも知れないが、確かにそれを彼は持っている。
――恒河沙だけは、あの子だけはこんな馬鹿げた諍いから遠ざけなければ。
「ミルナリス、君はどうして今になってこんな話をした。今になって何を知ったんだ」
 退路を断たれた獣の様な瞳がミルナリスに向けられ、腰に備わったままのローダーが鞘の制御すら効かない闇の光を放つ。
 鞘から這い出た闇がソルティーの体を伝い、腕を伝いミルナリスに近寄る。
 一度でも触れると総ての力を吸い尽くしてしまいそうな闇の姿に、ミルナリスの顔は恐怖に引きつった。
「何を知った」
 青ざめ、唇を震わすミルナリスに、ソルティーはもう一度問い掛ける。
「………わ…私は…」
「言え」
「ッ…、…こ……アヴァヅィラム…プロヴィザイアが、プロヴィザイアでは……有り得なくなった事…」
 息を詰まらせ、微かな透き間を空けて頬を撫でる様に蠢く闇を瞳だけで追い、震える声で懸命に言葉にした。
「有り得なくなった?」
 ソルティーの言葉にミルナリスナリスは瞳だけで肯定を示した。
「その仮体が仮体ではなくなったとはどういう事だ。仮体とは、あの子の事ではなかったのか」
 ずっと知る事を躊躇っていた事実を、ソルティーはしっかりと口にし、どう目を反らしても認めさせられる現実に落胆した。
「私は、昨夜まで、阿河沙が存在すると…。しかし、アヴァヅィラムは恒河沙の……」
「……あの、剣なのか」
 昨夜ミルナリスが用いた恒河沙の大剣の意味。
 彼女が使った力は、彼女の物ではなく阿河沙の力だった。
「……はい。阿河沙がアヴァヅィラムとしての存在しているのなら、恒河沙は継ぎとしての役割を担わされるだけだった筈。それ故のプロヴィザイア、それ故の仮体です。ある意味では、阿河沙も恒河沙も主にとっては、仮体には変わりはありません。持つべき意味が違いますが、私はずっとそう思って参りました」
「思っていた……?」