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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 不詳の敵が、何時また何処から攻撃を仕掛けてくるのかが分からなければ、手の打ちようがない。避ける事は出来るが、不特定の場所からの空間を越えた攻撃は、精霊でなければ探知し難く、また探知できても反撃は難しいだろう。
――厄介だな……。
 今までの様に、少なくとも実体を間近に現していた者とは違う。
 少しずつだが巧妙になっていく敵の攻撃に、このままの状態で何時まで食い止めておく事が出来るのか。昨夜の街の被害を考えれば、かなり行動が狭められてくるのは間違いなく、ソルティーにとってはそれがかなりの痛手だった。
 ただ今度の事ではっきりした事がある。
 敵が必ずしも妖魔だけでは無い事だ。
 確かにこれまでにソルティーにもたらされた話では、敵対する勢力にグリューメ率いる精霊の影が在った。しかし、今回の攻撃性質は地霊の物ではない。
――空間の転移……冥王法……。
 冥神率いる魔族。
 強ちにそう断定出来る精霊の理ではないが、空間に対しての魔族同様に影響力を持つ樹霊が、現在動けない状態なのははっきりしている。ならばやはり古くは樹霊王の配下であった魔族が、何かしらの理由で動いていると見ても仕方がない。
 そして、狙われているのが自分だけではないと言う事実は、更にソルティーの気持ちを滅入らせた。
――恒河沙…オロマティスの影。そしてアガシャなる者……。
 ミルナリスは何も答えとなる言葉を言わなかった。
 しかしソルティーが出した答えは、多く無い。
 “純粋な魔族”であるミルナリスが此処に存在する理由を考えれば、答えさえも一つに絞られてしまった。
 ただ、ソルティーが手に入れたのは結果だけだ。
 事の原因と経過をまだ見極めては居ない。だから気だけが焦りを帯び、彼の足取りさえも重くする。
 その足で自警本部から一応の解放を得て外を歩けたのは、事件の翌日の夕刻近くになってからだった。
 まだ事件の爪痕は生々しく残り、その恐怖を住民達の口から溢れていた。
 人々の不安は歩いているだけでも感じられ、このまま何事もなければ良いと思いながらも、心の片隅では早く姿を現せと浮かんでしまう苛立ちがあった。


 自警本部から真っ直ぐ鍛冶場通りまで足を運び、ケトカの工房にソルティーが足を踏み入れると、作業場では普段通りに数人の男達が鉄を打っていた。――が、その中にはグリシーンやケトカの姿は無く、代わりにハーパーがその作業を物珍しそうに眺めていた。
「二人は?」
 そう聞くと、ハーパーは首を振るだけに終わらし、ソルティーは微かに肩を落として奥へと向かった。
 恒河沙にもミルナリスにも外傷は無かった。医者の見立てでは、著しい体力の消耗とだけであり、あれからずっと二人は眠り続けているだけだが、普通の眠りではない事は確かだ。
 精霊であるミルナリスの事は、医者でも理解出来ない。しかし恒河沙に関しては、疲労からだろうと言った説明に、須庚は安堵しながらそれを自警団に居たソルティーに伝えていた。
 但し、須臾の心配は恒河沙の側から離れない事からも判る。
 何時も彼の中には、もしも、と言う言葉が巡っていた。
 原因不明の何かによって記憶を無くした恒河沙に、再び同じ事が起きないとは限らない。以前診て貰った医師もその可能性を示唆していた。
 僅かに滲んだ彼の不安をソルティーは敢えて指摘せず、総て任せるとだけ告げて帰したのが昨日の夜の話だ。

「迷惑をかけて済まない」
 予想通り家に居たケトカにソルティーは頭を下げながら言葉をかけたが、「困ったときはお互い様だ」と豪快に笑って済まされた。
 自警団と取り交わした話から表向き監視役ではあるが、そんな気持ちなど彼等には無いのだろう。ソルティー達を疑う事もなく、世間話のようにソルティーが自警団に拘束されていた間の状況を説明してくれた。
 恒河沙は弟子用の部屋に須臾と共に、ミルナリスはグリシーンの子供の部屋を借りて、未だに何時目覚めるか判らない状態でいるらしい。
 ケトカに一応自警団でも話した事を伝え、その後ソルティーはミルナリスの部屋に向かった。
 ミルナリスの身には些か大きいベッドに、恐らくグリシーンの子供の服だろうか、彼女には少し子供染みた服に着替えさせられていた。
「ミルナリス……」
 人の眠りとは全く違う吐息すらない眠りは、人から見れば死を予感させる。
 ソルティーはベッドの縁に腰を下ろし、シーツの中にしまわれた彼女の小さな手をそっと引き出す。
 力の抜けた小さな手に自分の手を重ね、しっかりと握り締めて目を瞑った。
 その方法が確実なのかどうかなど確証はないが、精霊が眠る理由は力を補給する為だ。本来ならそれは精神世界で行われる事だが、ミルナリスがこの世界で眠りに就いていると言う事は、今の彼女には精神世界に戻る力すら残っていない事を現している。
 ならば理の力を与える事が出来れば、彼女が目覚める可能性は高い。
 いつもなら剣に向けられる力の放出を、加減を考えながらミルナリスの手へと集中させる。
――こんな事で役に立つとは、皮肉な話だ。
 普段なら忌々しいだけの、直ぐに飽和してしまう体。
 理の力で総てが成り立つこの世界で、その連鎖から外れた造られた体は、理の力を受け入れられない。
 毎日口に運ぶ食事、体に浴びる水、呼吸に必要な大気。
 そのどれもに含まれる理の力を排出しなければ肉体は機能は徐々に劣化し、何れは内側から崩壊してしまう。しかし逆に排出し続けても体を動かせなくなり、飽和状態のこの世界では一定以上の理の力の解放は、空間に歪みを生じさせる原因ともなった。それは宝玉を作る際に、力を加えすぎるあまり破裂させてしまう事と同じだった。
 唯一力の制御を行いながら蓄積された理の力を解放する事が出来るのが、闇の世界に通じるローダーである。
 ミルナリスが単に消耗だけで眠りに就いているなら、彼女達を肉体から司る理の力を与えればいい。可能かどうかは結果のみに任せ、ソルティーは繋いだ手から理の力を慎重に送っていった。
 そしてその結果は、計らずしも早くにもたらされた。
「まだ必要か?」
 ソルティーの問い掛けに、目を閉じたままのミルナリスの口元が笑みを刻む。
「いえ、後は自分でどうにか……。助かりましたわ、この世界では、力の摂取が難しいので」
「それ程汚れているのか? 君達が回復できない程この世界は」
「汚れからとは一概には言い切れはしませんけど、要因の一つにはなってはいます。少なくとも、貴方の時代とは明らかに違いますわ。あの戦いから世界は均衡を失いかけていますから……」
 名残惜しそうにしながらも、繋いだ手をミルナリスは自ら解き、ゆっくりとベッドの上に体を起こした。
「昨夜の攻撃の主は気にしなくてもよろしいですわ。破壊力の半分を圧縮して送り返して上げましたから、死ななかったまでも当分は動けないでしょう」
 ソルティーの杞憂を察したのか、彼女は安心する様に言う。ソルティーは「そうか」とだけ応えると、彼女に向けていた姿勢を正した。
 事件の事はもとより、他にも色々と確かめたい事はあるのだが、それを彼女に問う事が果たして正しいのか。
 ソルティーは何から切り出すかを考え、時間が過ぎるのを待った。