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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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「――っつうっ……」
 恒河沙は殆ど無意識に扉を蹴破り、廊下に飛び出したのは良いが、まともに爆風を背中に浴び床に叩き付けられた。俯せに倒れた恒河沙の上に幾つもの破片が落ち、その反対方向にはソルティーが体勢を建て直しているのが煙越しに見えた。
「恒河沙っ、大丈夫か!?」
 ひび割れ今にも崩れそうな壁から離れながら叫ぶ。
「俺は大丈夫、ソルティーは?」
「私もだ。それよりお前は直ぐにディンクに知らせて、宿から全員を避難させてくれ。もう一波、来るっ!」
 今度は予感ではなく、実際に上空からの力の流れを感じた。
 恒河沙はソルティーの命令に瞬間躊躇したが、自分の手元に大剣が無い事を思い出し、此処は言われた通りに動いた。
「分かったっ!」
 床から立ち上がるのと駆け出すのは同時だった。
 恒河沙が素直に走り出したのを確認し、ソルティーは煙とギシギシと悲鳴を上げる壁の向こうに顔を向けた。
「ハーパー、行けるか」
 既に元の部屋の形跡の残らない場所だったが、一カ所だけ被害を受けなかった箇所が見え、其処にハーパーのうっすらとした影が確認できた。
 ミルナリスの姿は確認出来なかったが、彼女がこれしきの攻撃でどうにかなったとは思えない。
「御意」
 部屋からの退避よりも、自分の周囲に結界を張り巡らす事を選んだハーパーが、飛び散った残骸を踏み分けながらソルティーの前までよる。
「主っ!」
 迫りつつある光源は先刻よりも大きく、考えを巡らす時間は無かった。
「ハーパーッ」
 ソルティーの呼びかけにハーパーは両手を彼に突き出し、そのまま空を切る様に高く上空へと上げた。
 ハーパーの動作に呼応する風が、一瞬にしてソルティーを包み込み、彼の体を光源に向けて飛び上がらせる。先刻の爆風に破壊された壁を抜け、光源が目の前まで迫った時にソルティーはローダーを抜いた。
「―――ッ」
 網膜を焼く程の目映い光が、一瞬にしてローダーに吸い込まれていく。同時にソルティーを支えていたハーパーの造り出した風の効果も消え去り、宿屋の屋根を見下ろす高見からソルティーの体は急激に落下を始めた。
 その体を受け止めたのは、ソルティーを飛ばせて直ぐに翼を広げたハーパーだった。
「ソルティー!」
 地上から二人を見上げる宿の客を含む付近の住人達を、ディンクと共に誘導していた恒河沙が手を挙げる。
 ハーパーが降りる場所を探し、ソルティーがその腕の中から恒河沙に何か言葉を発する筈が、彼の後方に生じた歪みに掻き消された。
「恒河沙避けろっ!!」
「っ?!」
 歪みを核として瞬く間に広がった高熱の光は、今度は動く事もせずにその場で破裂した。
 住民達はもとより、恒河沙ですら避ける隙があろう筈がない。
「恒河沙っ!!」
 地上からの爆風がハーパーの翼を揺らがせる。
 宿屋の向かいと右隣の店は激しい音を立て倒壊し、土煙と塵がソルティーの視界から地上の風景を遮断した。
「ハーパー、直ぐに降ろせっ」
 遠くから警鐘の音が聞こえる。悲鳴なのか、怒声なのか分からない声が幾重にも重なっていた。
「恒河沙!」
 地上が間近になった時に、ソルティーはハーパーの腕から飛びだしていた。
 ただでさえろくな機能を持たないソルティーの目に、初めは何も映りはしなかった。それでもなんとか勘を頼りに恒河沙が居た場所まで辿り着くと、其処には先刻とは違う光が土煙に投影されていた。
「何が…」
 淡い緑色の光の中に、恒河沙は呆然と立ち尽くしていた。
 そして、彼の前には片手を頭上に上げたミルナリスの姿があった。彼女の上げた手の中には、ケトカに預けていた筈の恒河沙の大剣が握られていた。
 それが光を放ち、その光を取り囲む様に瓦礫が層を成していた。
「恒河沙、ミルナリス」
「ソル…ティ……」
 呼び掛けに応えた恒河沙の声は、何処か虚ろで力無く響いた。
 ミルナリスの持つ大剣が大きな音を立てて地面に落ち、それが合図の様に二人の体が大きく揺らめき、慌てて駆け寄ったソルティーの腕の中に同時に倒れ込んだ。
 二人は完全に意識を失っていた。
 何度か呼び掛けたが目を覚ます気配は無く、ミルナリスに至っては著しく生気を感じられない。
 ソルティーが二人を支えながら収まり始めた土煙の向こうに目を向けると、光に護られていた住民達の姿が見えた。誰もが自分達の身に起きた現象に驚きの表情を浮かばせ、呆然と辺りの様子を伺っている。
 その光が自然と弱まり消えていく。まるでソルティーの腕に掛かる二人の重みが増すのと比例するかのように、ゆっくりと薄まり消滅した。
 残されたのは戸惑う人々の声と、否応もなくソルティーの胸に浮かび上がる暗闇に包まれた疑念だけだった。





 僅かな間の出来事であっても、結果として大きな建物が三つも破壊され、その破片が周囲の家屋にも多大な被害をもたらせた。
 多くの住民が大なり小なりの怪我を負い、運が良かったのか死者が一人も出なかった事だけだろう。
 駆け付けた自警団の行動は迅速に行われ、意外と早くに街はひとまずの平穏を取り戻し朝を迎えた。宿を失った客は別の宿に移され、家を失った住民達には、自警団が当座の部屋を用意してくれた。
 良くも悪くもこの街は英雄の街であり、住民達はある程度の荒事に慣れていた。この重大な事件を解決するのは自分だと、血気盛んな観光客が所々で騒ぎを起こしてはいたが、それを丸く収める術を身に着けていた。
 ただしソルティー達だけは別だ。
 自警団の身を置く者の中にケトカの弟子も数人居たのが幸いして、自警本部に足を運んだのはソルティー一人で済んだが、残り三人は送れて駆け付けた須臾と共にケトカの預かりになった。
 須庚とハーパーはともかく、恒河沙とミルナリスは時間が経過しても目覚める様子はなく、病人としての扱いが必要とされた。だが街の騒動を抱えた自警団にソルティー達全員を抱え込める余裕はなく、街を動かしている中心でもある鍛冶の長でもあるケトカが、ソルティー達を引き受ける事となったのだ。
 かといってソルティーが事情を説明出来る筈はない。
 実際敵の狙いが自分達だと判っていても、それが誰であるのか、またはどこから何をしての攻撃だったのかが不明だった。
 何しろ魔法呪法の類は、あの様な何もない場所から具現化させた力の状態で突然現れる事はまず有り得ない。無論それは、相手が人であるならばの話であり、それが精霊ならばまた話は違ってくるだろうが、恐らくそうだとして話をしても誰も信じられないだろう。
 施行する者が居てこそ精霊はこの世界に干渉が許される。
 それがこの世界で覆されてはいけない理であり、そうしてはならないとソルティー自身感じる事だった。
 あくまでも今回の事件は、理解出来ない事件に巻き込まれた結果なのだと貫き、実際犯人が不明のままで迷宮入りの事件として処理して貰わねばならなかった。
 それでも自警団の者と共にソルティーを悩ませたのは、事件その物の問題よりも、これからの防衛の手段だ。