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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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「そうですわね。この言葉は、もう一人の私に言わせなくてはならない言葉……。ですが私自身が言いたかった言葉ですわ。今此処で消え去っても、後悔は在りません。でも、今、私が尚も此処に存在していると言う事は、少しくらいの我が儘は許して戴けたと言う事かしら」
 ミルナリスは悪戯っぽく舌を出して見せ、直ぐに真剣な顔をソルティーに向けた。
 顔を近づけて唇を合わそうとし、触れる前に思い止まり、彼の頬に口付けをする。
「私の本心はこれが最後。私達に二度の死は存在しない。同じ者として、私は残る方を選びます」
「強いな。辛い道を選ぶなんて、私には出来ない」
「反対ですわ。弱いから、永劫の闇に封じられる事が恐ろしいだけ。強いかそうではないかではなく、臆病かそうではないかですわ。私は臆病ですから、真の恐怖から逃げ出したいだけですわ」
 永劫の闇。何も存在しない本当の死。世界から隔絶された理と言う事象から切り離された場所。
 忘れようとしても忘れられないその場所で、ソルティーは心を狂わせた。
 ミルナリスの言葉にソルティーは自然と体を震わせた。
 体に刻み込まれた恐怖がそうさせ、思い出すだけで其処に引き込まれそうになる。
「ソルティー……可哀想な人」
 血の気を失いつつある彼の髪に、額に、頬に、優しく口付け、ミルナリスは何度も『可哀想』と言い続けた。決して『大丈夫』だと、誤魔化しの安堵させる言葉は口にはせずに。
 ミルナリスの出来る事は、同じ存在として彼の狂いを認める事だった。
 それだけは誰にも真似は出来ない、たった一つの彼女の特権だと言えた。





 素直な腹の虫の要求に従って宿に戻ってきた恒河沙は、また舞い戻ってきていたミルナリスの姿に露骨に表情を曇らせた。
 しかし直ぐに、ソルティーが見てきた事を聞かせてくれと言ったので、これまた直ぐに機嫌を直した。
 ケトカ達の行動や言葉を思い出せるだけ思いだし、ソルティーが想像出来る様にと出来る限りの状況を一つ一つ念入りに言葉にした。
 ソルティーがその話に嬉しそうに耳を傾けると、殊更恒河沙の話は熱が入り、珍しくいつの間にか腹の虫が黙ってしまう程だ。
 恒河沙の話自体は、剣を必要とする者達にしてみれば特別興味の引かれる話ではなかったが、ソルティーを始めミルナリスやハーパーもその話に退屈する様子を見せない。
 ソルティーがミルナリスを連れ部屋に戻って来た事に、ハーパーも良い顔を見せなかったが、総てではないにしろ彼の口にした恒河沙に関する話には、頷くしかしなかった。
 これからの事は、ただ見守るしかない。
 決して須臾にさえ気取られてはならないと、三人で決めた。
「――でな、凄いんだよ、火がなこんなにまで上がって、俺、天井まで焼けるんじゃないかって、もうすっげードキドキしたんだ」
 一生懸命体全体を使って現す火の勢い。稚拙な言葉と、表現力。
 何処までも子供らしさが抜けない恒河沙に、もし変化が訪れるなら、それは彼自身が消える時なのだろう。
「ソルティーに見せたかったのになぁ。ほんと凄いんだよ」
 総てを分かち合いたいと思う恒河沙に、ソルティーは彼が判る様に残念そうな顔をして受け答えをする。
 恒河沙を失いたくないからこそ、嘘も口にする事が出来るし、偽りの顔をする事も出来た。それこそが今の彼を護る事だと信じながら。
 そんな真実を現す事の難しさをソルティー達は胸に刻みつつ、恒河沙の尽きない話を最後まで聞き入ったのだった。





 須臾が娼館の簡素な部屋で目を覚ましたのは、既に陽も暮れだした頃だ。
 殆ど宿には戻らず、既に四日はこの部屋で惰眠を貪っていた。
「今夜も此処に泊まるの?」
 ベッドの上で体を起こしただけの須臾に、椅子に座って鏡越しの言葉を口にしたのは、真っ赤な紅を唇に描くマナと言う娼婦。
「ん〜どうしようかな、一度戻ってお金調達してくるかな」
「そ、なら今夜は立たなくちゃならないなぁ」
「僕が戻るの待っててくれないわけ? 意外と薄情なんだ」
 冗談なのか真剣なのか判断しにくい須臾の言葉に、マナは鏡に映った須臾に笑みを返した。
「須臾には感謝してるわ。あたしみたいな年増に何日も付き合ってくれたから。でも、それとこれとは別。お客が居ないのに立たなかったら、親方にどやされちゃう」
 今年三十三になるマナは、娼館でも古株になる。まだまだ女の色気を感じさせるマナだが、娼婦としてはそろそろ終わりだと言わなくてはならない。
 年々増加する災禍の影響から、小さな村からの身売りが相次ぎ、若くして体を売る女達が増えていた。
「年増だなんて、マナは充分魅力的だけどな」
「そんなこと言うのは須臾くらいよ。ま、あたしもそれなりに体には自信あるんだけど、こればっかりは駄目ね。若い子には負けちゃうわ。若いって良いよね、それだけで価値が在るんだから」
 嘗ては自分にもそれが在ったはずなのに、今では現実としてその価値が失われるのを黙って見つめるしかなかった。
 客を選べなくなっては、商品価値は無くなったと言っても過言ではない。
 それがこの世界の常識であり、今までに同じ様な屈辱に飲まれてしまった娼婦を、何人もマナは見てきた。
 何時かは自分もそうなるのだと思い、今はその時を指折り数えるだけが日々の過ごし方だ。
「マナはどれだけ残ってるの?」
「何が?」
「借入金。まさか趣味で娼婦してる訳じゃないんだろ?」
「馬鹿馬鹿しい事言わないで、誰が好き好んでこんな事……。でも何? まさかあたしを身請けでもしてくれるわけ?」
 腰まで伸ばした髪を手慣れた仕種でまとめ上げながら、信じられないと言いたげな顔を見せる。
 今までにそんな言葉に騙されて、泣きながら身を落としていった女の姿を、何度も見てきた。だから須臾の言葉は、子供の戯れ言にしか聞こえない。
「身請けなんて出来ないよ。だって僕はマナをお嫁さんに出来ないから」
 須臾の偽らない言葉にマナは苦笑した。
 「お嫁さん」の言葉は彼には似合わず、その似合わない言葉が余計に須臾を子供に見せた。
「230ソリド位かな。どんなに若くても一月に稼げるのが10ソリドが精々だし、その半分は親方に巻き上げられるから、今のあたしが死ぬまでに、この金を返せるかどうかなんて判らない」
 純粋な興味から来たと思った須臾に自分の今の価値を金額で示し、年若い彼に現実を示した。
 身請けには、借入金をそのままの額で出せば済むのではない。
 法外な支度金や手間賃を上乗せされ、借入の三倍以上を要求される。だから娼婦から足を洗える者は殆ど居ない。それが判っていながら身を置く決意で金を借りる。そうしなければならない事情が重すぎて、彼女達は此処に居た。
「須臾は月に幾ら稼ぐの?」
 マナは仕事の支度を終え、ずっと自分の背中を見つめていた須臾に振り向く。
「僕? う〜ん、傭兵だから決まった収入じゃないな。結構マナ達と同じだよね。仕事がなかったら1ソリナスも手に入らない。それに今は仕事中だし、後払いだし」
「あら、仕事中なのにこんな所に居ても良いわけ?」
「まぁね。待機命令中だし、もう一人が依頼人の側から離れないから、僕は今の所仕事がありませーん」
「職務怠慢な傭兵さんね」