刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
「良いよなソルティーも須臾もでかくてさ。どうせ俺はちびだよ。俺だって頑張って伸ばしたいけど、伸びないんだから仕方ないじゃん。あ〜あ、俺も一回くらい見下ろしたいよな〜〜。どうすりゃ伸びるのか、聞きたいよなぁ〜〜」
地面に座り込んで両足を抱え込む、如何にもないじけ方。
ソルティーが「しまった」と思っても、もう遅い。
「好き嫌い無くて、いっぱい運動したら背が伸びるって、おっちゃん達言ったけどぜんぜん伸びないし〜、須臾の方が好き嫌いあんのに馬鹿みたいに伸びて、俺ちびのまんまだしぃ〜〜」
「恒河沙……悪かった、そんなつもりで言った訳ではなくて……」
周囲にどんよりとした空気を集めてしまった恒河沙に、焦って彼の前にしゃがんで謝っても、なかなか顔を上げてくれずに愚痴を吐き出し続ける。それでも何度も「すまなかった」と言い続けて漸く顔が上げられるが、目は完全に据わっていた。
「フージュの煮込み十個とルジクス十個とチェミュンスン十個とネリとママナスの盛り合わせ十五個と焼きススミナ十個」
全部違う店のお勧め料理であった。
恒河沙には個数表現でも、料理は料理だ。一個(一皿)の量はそんなに少なくはない。
「……判った、今日…一日で、それを廻れば、良いんだな……」
「ツツエイ二十箱」
「……………判りました、買ってあげるから、機嫌を直してくれ」
さめざめとした気分で懇願すると、恒河沙が元気一杯に立ち上がる。
立ち上がりきったその時には、当然の如く彼の顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「んじゃ行こう!」
恒河沙の心は既に、美味しい料理の前にまで飛び去っているのかも知れない。
力無くしゃがんだままのソルティーの腕をとり、引きずってでも食べ物に直行しそうな恒河沙を引き止めたのは、端で腹を抱えて笑っていたグリシーンだった。
片手には採寸用の紐が握られていた。
「その前に寸法だけ測らせてくれないか。とりあえず先に体だけ、手足は今度で良いからよ」
「うん!」
流石に食い物の誘惑より新しい鎧への期待の方が勝ったのか、はたまたグリシーン達を尊敬しているからか、恒河沙は素直にソルティーから手を放し採寸の為に鎧を外しにかかった。
ソルティーの方はと言えば、しゃがんだ状態を維持したまま脱力しきり、駄目押しとばかりに頭にのし掛かってきた誰かに溜息を聞かせた。
「彼奴、よく料理の名前だけは直ぐに覚えられるよね。感心しない?」
他人事の様な須臾の言葉にソルティーは眉間に皺を寄せた。
「お前も来るか?」
「う〜ん、行きたい様な行きたくない様な」
「来い」
「……了解」
北から南までの食事所を網羅する強行軍と、見ているだけで胸焼けを引き起こす恒河沙の大食い。
出来れば参加はしたくないが、既に自分の髪を握り締めて助けを求めるソルティーの手は恐らく外される事はなく、須臾はなけなしの同情心で参加する事に決めた。
「魘されるだろうなぁ……」
「ハァ〜〜〜〜」
顔を覆った指の隙間から、楽しそうに手を振る恒河沙が見える。まだまだ子供らしい真っ直ぐな明るい笑顔は、こうして見ているだけでも微笑ましく感じられた。
しかしあの笑顔が料理を前にする時だけ、違って見えるようになる。それはもう恐ろしい程の輝く笑顔に。
これより数刻の間、ソルティーと須臾は視覚と嗅覚に苦痛を強いられ、ある意味この街での新たな伝説を、アガシャの息子が作り出したのだった。
ソルティーがグリシーンに頼んだ仕事は、二十日程要求された。
ソルティー自身の剣と鎧は二日も有れば出来上がるが、恒河沙の鎧は直ぐには仕上がらない。特に念入りに細やかな彫金の図案を描いたグリシーンは、その二十日の総てを使って鎧の縁取りに命を燃やすと言い切った。
他の作業は、ケトカと共にこの鍛冶場を切り盛りしている熟練の職人に任せていた。まあ恒河沙が小柄だったから、まだ作業は少なくて良かったのだろう。
鎧一切を必要としない須臾だけは鎧の代わりに服を要求し、ソルティーから財布を奪うと既製の品ではなく、わざわざ高級な布で仕立てを頼んで帰ってきた。
「やっぱ男は身だしなみを整えなくっちゃね」
三日後に仕立て上がった服を、見せびらかす様に見せ歩く須臾のそれは、確かに彼に似合ってはいたが、反対に彼にしか着られないと思われた。
二十日もカミオラに拘束されるからと言って、この街は退屈な街ではなかった。
須臾の大好きな色街が存在し、此処二百年近くは国が入れ替わっていない為に郷土資料が豊富だった。
ソルティーは時間が空けば資料館に通い、数々の書物を読み耽って時間を潰した。そこに恒河沙の姿がなかったのは、毎日鍛冶場通りに通い詰めていたからである。持ち前の好奇心と年輩者に好かれる体質から、普段は職人しか見られない作業を見せて貰って、始終楽しそうに走り回っていた。
その職人以外立入禁止の作業は、鍛冶の現場だ。
四大精霊の力には幾つもの種類が在るが、炎には特に慎重さを有する物が多く、そして気紛れである。特に鍛錬の際の炎は高位精霊の力無くは発生させる事は叶わず、それ故に精霊の気紛れで鋼を殺す炎に変えられる場合もあった。
精霊の澱みに気を払いながらの鍛錬は、職人達の絶え間ない集中力を必要とする。それだけに、空気を乱しかねない部外者の立ち入りを固く禁じていた。
ケトカが職人の意地と父親への尊敬の念を込めた大剣の火入れの見学を、恒河沙だけが特別に許されたのはアガシャの息子と言う単純な理由だけではなく、場の空気を乱さない性質を職人の肌で感じたからだろう。
「偉大なる火の神ツァラトストゥラよ、猛き息吹の神サティロスよ、我が身に宿りし魂の導きにより、今一度、形成す鋼に戦神の言霊を抱かせる事、理と説に依り従い、此処に火入れを執り行います」
ケトカが重々しい声で赤々と燃え滾る炎に唱え、片手に大剣を掲げる。
四角く掘り下げた炎の中に、剣身が沈む。周囲に鞴と、炎の巻き上がる音しか聞こえず、彼の全身は炎の色に染まった。
そのケトカの真剣な研ぎ澄まされた表情に、初めて此処に来た時にグリシーンが此処を聖域だと言った意味が、恒河沙にも判ったような気がした。
見ているだけで息が詰まりそうな程の緊張感。細い糸がピンと張ったような緊迫の中で、ケトカを含む五人の職人達の金槌を通しての言葉の無い会話が響き、離れていても呼吸すら邪魔になるのではないかと思われた。
何気なく使っていた剣が、これ程神聖な作業から造られるとは思っていなかった。
武器商に認められたら一流、鍛冶屋を唸らせれば超一流。
年輩の傭兵仲間が教えてくれた言葉の真意を、漸く恒河沙は知った。
ケトカの鍛冶場で姿を消したミルナリスは、数日ソルティーの前に姿を現さなかった。
ソルティーにはそれが充分考える時間に繋がり、連日の資料館通いの理由にもなっていた。
彼女が漸く姿を現したのは、丁度恒河沙がケトカに招かれて一人で鍛冶場に出掛けた日だった。
相変わらず資料館で街の蔵書を読み漁っていたソルティーの前に、何もない空間から現れた彼女は、彼と目があった瞬間に深い溜息を漏らした。
「私、何もお話出来ませんわ。それを許されては居りませんもの」
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい