刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
捜し人が見付かって、素直に帰ってくれるなら、捜してやっても良いだろう。
「名前は? どんな奴だ?」
「綺麗な瞳を持つ子だ」
「はぁ?」
そんな抽象的な事を言われても、この村の人達はみんな素直な綺麗な瞳だ。からかわれているのかと、キッと睨み付けても、男は同じ様な言葉を続けた。
「物覚えは良い筈なのに、どうでもいい事だと思ったら、直ぐに教えた事を忘れる。手を出すのが早くて、喧嘩だけは誰にも負けない。大声も凄かった」
聞き覚えのない声で男は語っていく。
「その子の笑顔は誰よりも可愛くて、それなのに直ぐに泣いた。時々こっちが驚く程の事をして、困る事もしてくれた。一人で寝られなくて、直ぐにベッドに潜り込んできた。少しも遠慮せずに食べるし、行儀も悪かった」
男に突き出されていた彼の腕は下がり、聞かされる言葉に彼は呆然と男を見つめる。
「でも、凄く素直な、優しい子だった。その分、本当にお馬鹿で、前を見ずに走る癖があった」
本当に聞き覚えがない声なのだ。男の顔も見た事はない。それなのに、男の話し方はよく知っていた。
「馬鹿で馬鹿で、どうしようもない程大馬鹿で、心配になってしまった。私の所為で、笑顔を忘れさせてしまったんじゃないかと。笑顔を浮かべられないほどの疵を残してしまったんじゃないかと、心配だった」
彼の肩が、小刻みに震える。何かを堪える様に唇を噛む。
「しかし、心配する必要は無かったみたいだ。ちゃんと一人でも頑張ってるし、素直な所も優しい所も、全然変わってなかった。馬鹿は、まあ、相変わらずだったが、これなら大丈夫だと、幸せになってくれると確信した」
男が一歩だけ彼に近寄り、一回だけ彼の頭を撫でた。
皮の手袋に包まれた手は冷たく、そして凄く優しい。
「一寸だけ未練で来てしまった。ごめん、この村に迷惑を掛けるつもりは無かったんだ」
男の手が放れ、そのまま背中を向けた。
「じゃあ元気で。ちゃんと前を見て歩きなさい」
男が村を出て行こうとするのを、彼は男の背中から抱き付いて止めた。
「俺元気じゃない! 全然元気じゃない!! 俺っ、ソルティーが居ないと、元気になんかなれないよっ!!」
「ソルティー・グルーナは死んだよ。一度目は五百年も昔に、二度目は五年前に。もうこの世界には、ソルティーと呼ばれた男は存在しない。今の私は、ルフ。それも意味のない名前になったけど」
「名前なんて関係ないっ!! 俺にはソルティーが必要なんだっ! 名前とか、顔とか、全然違っても、そんなの俺には関係ないっ!!」
背中から前へと周り、涙の伝った顔を上げて、真っ直ぐに見つめる。
「それとも、もう、俺の事、嫌いになっちゃった? 他に好きな人居るの?」
「………やっぱりお前は馬鹿だ」
「う……。いいもん、馬鹿でもなんでも。その分、ソルティーは俺の事、心配だろ? だから側に居てよ。ずっと俺を元気でいさせてよ」
「恒河沙……」
「それにほら、約束」
そう言ってシャツの内側から首に掛けていた石を取り出す。
紫の石は、今でも綺麗に磨かれて恒河沙の側にあった。
「破ったら駄目だよ? それに……、他に…も、あ…あるで、しょ?」
いつの間にか納まっていた涙の代わりに、頬を赤くして恒河沙はルフの胸に顔を埋めた。
「約束は守るの。守らないと痛い毛がいっぱい生えてくるだろ。俺の事好きだったら、側に居ろ。……居て下さい」
「好きだよ。だから無様にも来てしまった位だ」
「えへへへ…、好き好き大好き〜〜〜〜〜」
「兄ちゃん……この人誰?」
どうも知り合いだった様子の二人に、取り敢えず確認の為に、子供は邪魔にならない程度近付いて問い掛けた。
恒河沙は、その言葉にルフを見上げて、一寸だけ首を傾げて考えて、
「俺の、旦那さん〜〜〜」
と、言い切って、子供を絶句させた。
子供が言葉を失いながら見上げた男は、「馬鹿…」と呟きながら片手で顔を覆っていたが、もう片方は、嬉しそうに飛び跳ねる背中に向かって伸びていた。
晴れ渡った空は高く、時間を取られた為に、畑の収穫は大変だろう。
それでも手伝いが二人になったから、手早く済むと思われる。
これからこの二人が、カリスアルの歴史に大きな刻を斬りつけ残すのは、これからずっとずっと先の話になる。
今はそう、世は総て事も無し……。
episode.――― fin
刻の流狼 完
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい