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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 産まれて初めて聞いたベリザの怒鳴り声に、ミシャールは驚きのあまり黙り込んだ。
 ベリザは短刀でシャリノのズボンを切り裂き、靴を裂いた。一々脱がせている時間はなかった。
 いつの間にか窮屈になっていた服の一切がなくなり、シャリノはやっと締め付ける痛みから解放された。しかし彼の痛みは納まらず、転げ回りながらその激痛に耐えた。
 ミシャールはその兄の姿に戸惑い、そして驚愕した。
 骨を軋ませながら、伸びていく手足。その手足に似合う体の成長。
 止まっていたシャリノの時が、やっと彼の手に戻された。
「あ…兄貴……」
 両手で口を覆ったミシャールに向けられた、最早少年ではない男の顔に、そばかすは浮かんでいない。



 うっすらと白み始めた空を見上げる男が居た。
 呆然と、何も考えられなくなったのか、口元は力無く開けられたまま、閉じられる気配はない。
 彼の手には太く長い太刀が握られ、血が滴り落ちている。地面には数人の彼の餌が、息絶えて転がっていた。
 男が見つめているのは、遙か彼方の北西の地。その傍らには、小さな両腕で自分自身を包み込む、妖精の姿があった。
「た……大将、今のはなんやったんや……」
 あまりにも大きな力が自分達を貫いていった。それが何なのか判らずに、ただ驚き恐怖する。
「…くしょう……」
「大将?」
 妖精は相棒の怒りにまた体を縮ませた。
「畜生! 畜生畜生畜生! おめぇを倒すのは俺の筈だったじゃねぇかっ! それを忘れやがって、勝ち逃げなんざ卑怯だろうがっ!!」
 男は太刀を放り出し、再戦を誓った拳を突き出した。
「帰ってこいっ!! 帰ってきやがれっ、この卑怯者がぁっ!!」



 たゆたう闇の中、力無く浮かぶ少女の頬には、止まらない涙が流れている。拭う事が出来ないのは、何も体が動かない為ではない。
 出来るなら、このまま此処で朽ち果ててしまいたい。出来るなら、この与えられた命を捨ててしまいたい。死と異なる死を得られれば、せめて近くに行けるかも知れない。
 悲しいのは、失ってしまった事。
 苦しいのは、止められなかった事。
 許せないのは、死ねない事。
 助けたい、その気持ちに偽りはなかった。報われない気持ちが、ずっと空回りしていた。それがこれから永遠に続くのかと思うと、狂いそうな亀裂を胸に感じた。辛苦を感じる心さえも、まやかしかも知れないというのに。
 それを抱いて生き続けなければならない。
 自分に与えられた罰を、背負い続けて行かなければならない。
「……ソ…ル…ティ………」
 この罰に名前があると言うのなら、愛だ言ってしまいそうだ。
 命を失い、時を失った自分には、これ以上滑稽でお似合いな罪はないと、頬を流れる涙に少女は笑う。





 須臾が、粉々になった石の欠片に覆われた場所をゆっくりと歩く。
 少し前まで、此処に城があったなど、誰が信じるだろうか。何もかも無くなった。城も、人だった物も、そこで行われた戦いさえもが、全て消えてしまった。
 荒れた地面を歩き回り、やっと何かを見つけ出す事が出来た。持ち上げるだけで壊れそうなそれを大事に抱え、そこに浮かぶ現実に眉を寄せた。
 全体に錆を浮かばせるそれが、つい先刻まで綺麗に磨かれていた剣には見えない。
 何年も、何十年、何百年と此処に放置されていた様な、古い剣の持ち主は、死んでしまったところだ。
 彼が身に着けていた鎧は何処にも見当たらなかった。身に着けていた服があるはずもない。たった一つを残して、他は全部砕けて消えてしまったのだろう。
 残っている物は、これだけだ。
 片割れを失った剣だけだ。
「これだけしか残ってなかったよ」
 持ち帰った剣をハーパーに渡そうとしたが、彼はそれを首を横に振って断った。主を永久に失った彼は、その体を一回り小さくしてしまったように見えた。
 須臾は直ぐに彼の足下に跪いて、其処に蹲る者へと剣を差し出した。
「恒河沙……これ…」
「………」
 須臾の姿も見えていない様な恒河沙の手には、紫の石が握られていた。
 首に掛けられていた石を繋ぐ鎖は、崩れて今はもう無い。時を越えられる石だけが、くすんだ輝きを残しているだけになっている。
「恒河沙、お前が貰って上げなよ。ソルティーの形見なんだか」
「ソルティーは死んでないっ!!」
 やっと反応を見せたそれは、あまりにも現実から目を背けた叫びだった。
「俺と約束したんだっ、これが終わったら二人で旅をしようってっ! ソルティーは約束守ってくれるもんっ! 絶対に守ってくれるんだっ!!」
 ソルティーの死を受け入れられない、受け入れちゃ駄目だと、恒河沙は頑なにその現実から目を反らす。受け入れれば最後、もう二度と彼が自分の所に帰ってきてはくれないと、信じ込むとしているようだ。
 痛いほどその気持ちが判る須庚とハーパーは、何も言えずに黙り込む。
「ソルティー言ったんだ。ちゃんと約束してくれたんだ。これからどこ行くかも決めていたんだ、だから、ソルティーは絶対死なないんだ」
 恒河沙は握った紫の石を何度も撫でて語りかけた。
「約束だから、ちゃんとソルティーは叶えてくれるんだ。これからは俺がソルティーの言う事叶えて上げるんだ。何だって、俺頑張るんだ。だって、ソルティーのお願いだったら、俺、どんなお願いでも頑張れるんだ」
 時折歪んだ笑いを浮かべる恒河沙の手が、須臾の持つ錆び付いた剣に触れた。
「ソルティーは嘘言わないんだ。俺とずっと旅をするって言ったんだ。他にも約束してくれたんだから…。だから……、ソルティーが、死ぬはずないじゃないかっ!!」
 須臾から剣を奪い、力任せに地面に叩き付ける。錆びた剣はそれだけで三つに砕け、赤茶けた錆をばらまいた。
「ソルティーだけなんだ、ソルティーだけなんだ……」
「恒河沙……」
 須臾には恒河沙に手を差し伸べる事も、慰めの言葉も吐き出す事が出来なかった。
 生きる事をソルティーは諦めてしまった。と、言えれば楽だろう。確かに他の手段を探そうとしなかった事は事実であり、あまりにも彼はさっさと一人で決めてしまった。
 しかし相談されていても、自分達に何が言えただろう。無駄な時間が過ぎただけなのは判っていた。自分達には肉塊を滅ぼすだけの力も知恵もなかった。足掻くだけ足掻いて事態を悪化させればよかったのかとなれば、頷くだけの強さはない。
 ただ、彼が一人決断して突き進んだ時に、誰も彼の犠牲を止めなかった事が、より恒河沙を頑なにしていた。
 恒河沙には、須臾もソルティーを見捨てた一人でしかない。ハーパーも同じだ。誰もあの背中を止めなかった。
 灰色の地面に彩りを添える錆びた剣を、拾い上げた慧獅の手。その掌の中で、剣はまた崩れた。
「ソルティーは死んだんだ。もう帰ってこない」
 掌を汚す錆を握り締め、慧獅は恒河沙を見下ろす。
「よく見ろ! これは時間が戻った証拠だ、彼奴は当の昔に死んでいた人間なんだ!」
 広げて突き出した慧獅の掌を、恒河沙は見ようとしない。
 慧獅はそんな恒河沙の顔を無理矢理に掴み、鼻先までそれを近付ける。反らせなくなった錆を退ける為に、恒河沙は目を瞑った。