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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 オロマティスの絶叫が灰色の空へと吸い込まれていく。同時に彼を彼としていた大きな力が、一気に弾け散った。
 それが見えたのは、瑞姫達に憑いている者達だけだ。
“オロマティスが……消えた……わ……”
「消えたぁ?」
“ああそうだ。彼は内側からの力に負けたのだ”
“そして今は……”
「これはぁっ、俺の体だぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
 恒河沙の体が元気全開で立ち上がり、彼の声で叫びを上げた。
 束の間緩んでいた空気が再び緊張感に包まれたが、明らかに恒河沙が放つ気配はオロマティスとは違う。声も表情も印象さえも元の恒河沙その物だ。
 はっきりとその区別がつく須庚が泣きそうな顔で声を上げた。
「恒河沙っ!!」
「………うにゃ?」
 恒河沙はどうしてか上を見上げていた顔を、名前を呼ばれた方へ向ける。
「恒河沙、恒河沙だよ、ソルティーッ!! ……ソルティー?」
 恒河沙の帰還に喜び須臾がソルティーの方へ顔を向けると、彼の様子がおかしかった。
 ぐったりしている所ではなく、事切れている様な感じさえもする。開けられていた瞳も閉じられ、腕は下へ垂れ下がっていた。
「ソルティーッ!!」
 須臾の叫びに全員の視線がソルティーに集まる。ハーパーは自分の腕の中で重くなっていく彼に、呻きすら出せないでいた。
 一気にこの場の緊張感は別の方向へと向かい、中でも瑞姫の真っ青になるほどの焦りは尋常ではなかった。
「やだ!? 慧獅何してるのよ!?」
「仕方ないだろ! 俺だって半分しか残ってないんだ!」
「そんな事よりさっさと始めるんだろ!」
 瑞姫達が蒼白になってソルティーの元へ駆け寄っていく。そんな光景を、状況が全く掴めない恒河沙は、呆然と見詰めていた。
「ソルティ……?」
 ハーパーの腕や、途中から前を塞いだ三人の所為で、ソルティーの様子がよく見えない。確認しようと思って足を前に進めようとしたら、カクンと膝が折れた様に体が傾いて、そのまま床に倒れてしまう。力が入らない体は酷く怠く、妙に息苦しく感じられた。
「あ…あれ……? 体…動かない……あれ……?」
 オロマティスが今まで使われた事のない力を、恒河沙の体で思いっきり使った為だ。それと急激な宿主の入れ替えに、体が追い付かなかったのだろう。
 しかも奇妙な感覚はそれだけではなく、頭の中まで掻き回されているようだった。
「恒河沙まで!?」
「貴方はあの子の所に行って。ソルティーはあたし達がなんとかするから!」
「わっ判った!」
 今は瑞姫の言葉を信じるしかないだろう。須庚は倒れたまま動けない恒河沙の元へ走った。
 その時、恒河沙と同じ様に、倒れたまま動かない筈の阿河沙の指が微かに動いた。気付いた者は居なかった。
「お前、心配したんだぞ! 自分がどうなってたか判ってるか?」
「うん…あのな、俺、母さんと父さんに会ったんだ……」
 須臾に抱き起こされながら、恒河沙は少し嬉しそうに言葉にする。
「イェツリと阿河沙さんに?」
「うん。すっごく、あったかかった。俺の体もな、母さんと父さんが取り返してくれたんだ」
「…そう。うん、良かったね」
 取り戻したという事は、恒河沙はオロマティスに体を奪われていたのを理解している。しかも両親が取り返したという事も、先程のオロマティスの叫びの裏付けとなった。
――オレアディス……いや、イェツリ、阿河沙さんありがとう。恒河沙を護ってくれて。
 恒河沙の中で何が起きていたのか判らなくても、彼の嬉しそうな顔を見ただけで十分に思えた。
 肩を貸して立たせようかと思ったが、身長差で無理だった。結局須庚が恒河沙を担いで全員が集まる場所へと向かった。
「なあ、ソルティー、どうしたの?」
「……う、うん。一寸疲れたから、あの子達に回復して貰ってるの。嫌だねえ、年寄りは無理をすると直ぐに疲れて」
 とても今非常に危ないとは言えなかった。無理して軽口を言うと、恒河沙は頬を思いっきり膨らませた。
「ソルティーは若いよ」
「もう三十だぜ? 若くない若くない。それに、お前ソルティーの事、最初おっさんって言ってなかったっけ?」
「そ、それは……、謝ったから良いんだ」
「あら、そうですか。まあ、今は一寸邪魔しちゃ駄目だから、ソルティーに会いたいのは判るけど、少し離れて居ようね」
 出来るだけ瑞姫達の焦りが伝わらない様に、けれどソルティーの様子は見えるように場所に二人は立った。ただ恒河沙の意識が不安と戸惑いに向かわないようにと、須臾は必死に話し掛け続けた。

「慧獅、どう出来る?」
「あまり期待しないでくれないか。俺の今の力だと、亜空間に彼を運べるだけ回復させる事が出来るかどうかだ」
“いや、それすらも最早叶わない”
「どうしてあんたは悪い方ばかり言うわけ!? もっと努力しなさいよ! 慧獅、お願いだから、ソルティーを助けて……」
 瑞姫の最後の言葉は、微かに震えていた。
 慧獅は手をソルティーに触れ合わせたまま彼女の方へ視線を送る。晃司はその彼に向けて力を注ぎ込んでいた。
「そんなに此奴の事が好きなのか?」
「慧獅……。違う、好きだから助けたいとかは言わない。だってそうなると、あたしこの世界の人、全員助けたいもん。ソルティーは好きだけど、あたし頑張ってる人は全員好き。慧獅や晃司もそうでしょ?」
「そうだな……」
「まぁな」
「でも、ソルティーは、凄く沢山、あたし達の所為で嫌な目に遭わされた。あたし達がそうしちゃったの。それなのに、文句言わないんだよ? 感謝してるって言うんだよ? あたし達、そんなソルティーに何もしてやれないの? そんな風にしか出来ないあたし達に、なんの意味があるの? あたし、お母さんに人に優しくされたら、その倍は優しくしてあげなさって言われた。あたしの基準はそうなの。……二人は違うかも知れないけど」
「……俺もそうだぜ。商売柄、良いお客さんにはおまけしちゃうしな」
「まっ、俺も似たようなもんだな。優しくされた方だけど」
「うん。だからお願い。彼を助けて下さい」
 瑞姫は二人に向かって、なんの衒いもなく頭を下げる。
 慧獅達はその姿に、照れ臭そうな顔をし、そして真剣にソルティーへ向かう。
 慧獅は瞼を降ろし、意識をソルティーの体を構成する、破綻仕掛けの力に集中する。晃司はその補助を、はやり目を瞑って行った。
「瑞姫も手を貸してくれ、そうすれば何とかなるかも知れない」
「うん!」
 瑞姫は慧獅の手に自分の手を重ね、ゆっくりと目を瞑った。
「……まだかなぁ?」
 直ぐに終わると思っていたのに、なかなか終わらない様子に、恒河沙はもう痺れを切らし始めた。
「う〜ん。年寄りは回復も遅いから」
 須臾は恒河沙を膝の上に置いて、壁に凭れて腰を落ち着かせていた。
 後ろから腕を回していたのは、勿論恒河沙を動かさない為だ。
「だからソルティーは年寄りじゃないって!」
「はいはい、若くて若くて、でも回復が遅いのね」
「須臾〜〜〜〜〜〜」
 別にからかうつもりはないが、こうでも言わないと恒河沙は須臾を見ない。放っておくと、邪魔はしないからソルティーの側に居る、と言い出しそうで、須臾なりに必死に言葉を出していた。
――やっぱりもう駄目なのかな……。