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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 今にも泣き出しそうな母の顔に、酷く後悔を滲ませる父の顔。見るのも辛い二人の様子に、恒河沙は思いっきり首を振りまくった。
 話の内容は一寸難しくて、全部を理解出来なかったが、二人が自分の為に頑張っていたのは理解できた。それはとても嬉しい事だった。
 ただほんの少しだけ、気になる事がある。
「なあ、んじゃあ俺って、記憶失う前と今の俺って、どっちがほんと? 今でいいの?」
 ずっとずっと気になっていた。もしも記憶というのが戻ったらどうしよう。ソルティーの事を忘れたらどうしようと。
「ええ、今の貴方がそうよ。貴方が望む姿が、貴方を創り出すの。此処に居る貴方が、本当の恒河沙よ」
 柔らかな微笑みを向け、優しく頬を撫でる二人の手に、恒河沙はもう一度目を瞑った。
「だから、貴方は戻るのよ。オロマティスの勝手で、貴方が消えてはならないの」
 オレアディスの声は次第に堅くなり、恒河沙の体を奪った者への憎しみさえも込められているようだ。
「どうしても?」
「どうしてもだ」
 阿河沙の声も決意の込められた響きだった。
「母さん達は? ほんとにもう会えないの?」
「うん、ごめんね。お父さんもお母さんも、恒河沙の親としての時間は、もう終わってしまっているの。ここにいるのはお父さんとお母さんの幽霊なの。だけど恒河沙はそうじゃないでしょ? だから戻らなくちゃ駄目なの」
 気さくな言い方は、イェツリのもの。
 彼女が生きていてくれたら、きっと凄く楽しい家族でいられたと思えた。
「私達が必ず、お前をオロマティスから取り戻す。それが親としてお前に出来る、最初で最後の事だよ」
 阿河沙の手が恒河沙の髪をくしゃくしゃに撫でる。それをイェツリが、微笑みながら指でとく。
 力強い父親の手と、優しい母親の手が、恒河沙の表情を俯かせる。
「俺、なんにも出来ないの?」
 こんなに優しい二人が、死んでしまった理由が自分の所為。やっと会えたのに、三人で楽しい時間を過ごす事も出来ない。何かしてあげたのに、何も出来ずに別れるだけ。それが凄く辛くて嫌だ。
「ねえ、何か出来る? 頭悪いから思いつかないけど、何だってする!」
 親孝行を指す言葉に、二人は破顔した。
「良いの。恒河沙が産まれてくれた事が、私達には大切な事なの。これから貴方が生きる事が大事なの。だから、元気に産まれてくれてありがとう。お母さんはそれだけで、充分嬉しい」
「父さんもだ。最後まで俯かず、私達にお前の顔を見せてくれないか」
「……うん」
 鼻をすすらせて、二人をしっかりと見つめる。
「大好きよ恒河沙。だから忘れないでね、貴方は私達にとって一番大切な子供だということを」
「うん」
「しっかりと自分を持て。そして、オロマティスに負けるな!」
「うん!」
 恒河沙の元気の良い返事にイェツリは、もう一度力を込めて息子を抱き締めた。その上から阿河沙の腕が二人を抱いた。
「しっかりね。これから貴方を戻すけど、ほんの少しだけ、今までの貴方とは違うかも知れないけれど、でも、貴方は貴方。それも忘れないでね」
「う…うん」
「では、行くか」
 どうしても長引かせてしまいそうな気持ちを抑え込み、阿河沙が二人から腕を放す。イェツリも名残惜しい気持ちを振り切りって恒河沙から腕を放し、強い意志で微笑んだ。
「あなた、恒河沙を頼みます」
「お前も無理はするな。――さあ行こうか恒河沙」
 阿河沙は恒河沙の肩を抱き寄せ、上を見上げた。其処に出口があるのだろう。
「恒河沙…さようなら……」
「……母さん……うん、さようなら」
 言いたくなかった。でも、イェツリが一生懸命、元気を振り絞って言ってくれた言葉に、精一杯の気持ちで恒河沙も応えた。
「行くぞ。イェツリ、元気で」
「ええ、あなた。さようなら」
 阿河沙はイェツリの顔を見ずに、恒河沙を抱き締めて上に向かう。
 恒河沙は、少しずつ離れていくイェツリを見下ろしていると、彼女の姿が始めに見たオレアディスの姿となった。
 その凛とした姿には、優しさよりも気迫が備わり、彼女に向かって力が集められていくのを、何故か恒河沙も感じる事が出来た。
「……母さん、どうするの?」
 小さくなる姿に呟くと、自分を抱き締めた腕の力がきつくなった。
「今から、お前をオロマティスと入れ替える。その道を造る」
「どうやって……?」
「お前の母親は、神様の一人だからね。だから信じなさい」
「うん……」
 小さくなっていく恒河沙達を見え下ながら、オレアディスは一筋だけ涙を流した。
 堪える為にクッと瞳を閉じ、両手を高々と上に向けた。
【私の息子は渡さないっ!】
 瞳をもう一度開いた時には、オレアディスの悲しみは奥底へと押し込まれていた。
 オレアディスは全身の力を恒河沙の向かう先、たった一点へと放つ。自分を形作る力さえも使う気持ちだった。
 僅かに自分が刻んだ綻びが其処にある。
 オロマティスの隙から出来たその綻びだけに力を集中させ、無理矢理その口を広げる。
 その口は暗闇に光を産み出し、阿河沙は其処へ向かう。
「さあ、母さんが造った出口だ。今から私の力を全てお前に渡すから、自分の体を取り戻してきなさい」
 上へ押し出す様に恒河沙を持ち上げ、阿河沙は出口を見る様に言った。
「父さんは? 俺に力を渡すって、それじゃあ父さんはどうなるの!?」
「言っただろう、私達はもう死んだ者だ。悲しんでくれるのは嬉しいけれど、それは体を取り戻してからでも、充分伝わるよ。さあ早く上に行きなさい。母さんに無理をさせるな」
「……分かった、行く」
「良い子だ。それじゃあ、さよなら」
「うん、父さん」
 恒河沙は急かされるまま、涙を堪えて上を見た。その体を阿河沙が押し上げた。
「さあ行け、オロマティスの好きにさせるな! お前の運命は、お前が切り開くんだ!!」
 阿河沙は光へ向かって突き進む恒河沙に向けて最後の言葉を叫び、姿を消した。
 奥底から突然湧き出してきた強い力を感じながら、恒河沙は流れそうになる涙を手の甲で拭い、キッと光を見据えた。
「俺の……母さんと父さん……。ちくしょう! ちくしょうちくしょうちくしょう!! どこの誰だかわかんないけど、俺の、俺の体を返せーーーーーーーーッ!!」
 恒河沙は叫び、近付く光に体を投げ込んだ。





「創られた神の分際で私に逆らうつもりかっ!!」
 オロマティスは灰色の空に向かって雄叫びを上げた。これまでとは違う、怒りと焦燥に包まれた姿は、
 自分を無理矢理引き剥がそうとする内側からの力。その力は痛みを伴ってオロマティスを蝕むように広がっていった。
【貴方に私の子供は渡さない! 体が欲しければ、自分の体をお造りなさい!!】
 内側から響くオレアディスの声は、周りには聞こえない。ただ、オレアディスが彼を苦しめているのは、誰の目からも明らかだ。
「アヴァヅィラムは私のうつっ――グッアッ!!」
【ならばその貴方自身の力にねじ伏せられなさいっ、オロマティス!!】
「これはっ?! ア……アヴァヅィラムが……、仮初めの貴様如きがっ、私に刃向かうのかーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」