刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
これで三度も止められた。自分の敵だと言いながら、ソルティーはその敵と戦おうともしない。しかも自分を止める。訳が分からない。
納得できずに憤りだけを募らせる恒河沙に、ソルティーはもう一度首を振った。
「勝てる相手じゃない」
「そんな事やってみなくちゃわかんないよっ!! ソルティーをこんな目に遭わせてる奴なんだろっ!!」
恒河沙は、相変わらずずっとソルティーを見続ける“阿河沙”を指さし、そして思いっきり睨んだ。
しかし、それに対して阿河沙の動きは無かった。
ソルティーだけを自分と対話できる者と決めて居るかの様に、他の動きに対して、一切の感心を示さないのだ。
「勝てないんだ」
「ソルティー!」
「そうだ。私を滅ぼす者は、この世界には存在しない。それはこの世界を滅ぼす事に繋がるのだからな」
「シルヴァステル、アタラントはそれで喜ぶのか」
恒河沙が動かない様に手首を握り締めたまま、ソルティーはシルヴァステルとの対話を再開させる。
四肢を床に着け、顔だけを彼に向け。
「貴方が愛したの女性が誰よりも愛した世界を、貴方は破壊すると言うのですかっ!?」
右足を潰した力は、腿まで押し寄せた。
民を守る為に作られた王の間に、肉と骨が爆ぜる音と恒河沙の悲鳴がひたすら響き渡った。
「何故一度は刻み込んだ気持ちを、貴方はお捨てになるのですかっ!?」
今度は左。膝から下が潰れていく。
「もう一度、どうして愛する人を望まなかったのですかっ!?」
左の腿まで潰され、ソルティーは体勢を保てずに床に這った。腰から下は、最早血溜まりとも言えない。
「もうやだぁっ! 止めてよっ! ソルティーをこれ以上傷付けないでっ!! ソルティーが死んじゃう! 死んじゃうじゃないかっ!!」
恒河沙がソルティーの首に片腕でしがみつき、声を荒げる。
須臾もハーパーも、ソルティーの潰された脚から、目を背けていた。本当に生きていたのなら、もう助からない程の血を流している。それでも動くソルティーを見ていられなかった。
「答えて下さい」
ソルティーは恒河沙をそのままに床に肘をつき、顔をまたシルヴァステルへと向けた。
「シルヴァステルッ、答えをっ!!」
ソルティーは必死の嘆願を口にした。
これが最後の言葉のつもりで、無様な姿を晒してでも、シルヴァステルのたった一言を求めた。
何時も神は答えを与えない。試練を与え、疑問を与え、その答えを見付け出そうと足掻く人の姿を、ただ見下ろすだけだ。
――しかし今は……。
シルヴァステルは神ではない。たった一人の創造物の為に、神の座を手放した者。
シルヴァステルは、暫くソルティーの顔を見つめ続け、そして、殊更ゆっくりと瞼を降ろした。
「アタラントは居ないのだ。私の世界は、彼女と共に消えた。私はもう、二度と創造をする事は無いだろう。この、彼女が愛した世界は、彼女の死をもって消えねばならない」
静かな言葉だとソルティーは思った。
己が封印を破る為に、幾千の命を喰らった者の言葉には聞こえない程に、静かな、寂しい言葉に聞こえた。
「答えを、ありがとうございます」
ソルティーは、シルヴァステルから恒河沙へと顔を向けた。
嗚咽と肩の震えは同じに感じ、また泣かせてしまった、と思う。
――もう、私にお前を好きだと言う資格はないな。
シルヴァステルと対話をしながら、ソルティーはずっと恒河沙と世界を秤に掛けていた。
瑞姫達が、自分と世界を比べた様に。
創造主が愛は無かったと言ったのなら、ソルティーはこのまま恒河沙と、確実な死を選ぶつもりだった。そんな、ただの愉悦だけに創造された世界に、何の意味も無い。
しかしシルヴァステルは、確かに愛を持ってこの世界に居た。愛を持ってこの世界を創り上げようとした。
その答えがこの世界に在ったからこそ、自分は恒河沙を好きになれたのだろう。愛の無い世界ならば、こんなにも切ない気持ちを感じる事は無かった。そして、自分と同じに愛する者を護りたいと思う者達が、この世界には溢れているのだ。
誰かを犠牲にしてでも、この世界を護りたい。――と。
「恒河沙……ごめん……」
ソルティーは、言いたくなかった言葉を口中で言い、左耳に指を掛けた。
「…ッ……え…」
「瑞姫、慧獅、晃司。後は頼む」
左耳、一番上に着けていた封緘を、ソルティーは言葉と共に外した。
恒河沙の手首を掴んでいた指に、力が入らなくなり、体は床に俯せに倒れた。糸の切れた操り人形の様に。
「ソルティーっ!?」
慌てて抱き起こそうとする恒河沙の視界に、異様な光景が映し出された。
「……ソ…」
恒河沙、須臾、ハーパーの目の前で、ソルティーの背中が不気味に蠢く。それは指先にも見えた。
「もう、どうしてこんなに待たせ……ああああああああ!? やだ! うそっ! あたしの王子様がーーーーーっ!!」
本当に指先だと思った瞬間に腕までが出てくる。ズルリと鈍い音がしそうだ。聞こえたのは若い女性の声での絶叫だ。叫びの後に大口を開けた女の子の顔が出た。もしくは生えたと言える。あまりにも現実離れした不気味な光景に、三人の目は釘付けになった。
十代半ばを過ぎたくらいの少女以上女性未満の女の子――瑞姫は、ソルティーの肩に両手を当てると、体重を掛けずに一気に体を外へと出した。すたっと華麗に彼女が着地する時には、同じ光景が始まろうとしていた。
二人目の発生者は、多少体つきの良い短髪の男性、晃司。最初に出てきた女の子よりも大人びて見えるが、顔をよく見れば幼さが残っている。同い年くらいなのかも知れない。
三人目は慧獅。一人目と二人目の間くらいの体付きだが、やや貧弱そうだ。顔はかなり整っているが、整っているのを自覚して自慢に思っていそうな雰囲気は、須庚と似ていた。
晃司と慧獅もソルティーの体から生えてくる時には、かなり驚いた様子であった。しかし直ぐにソルティーの状態を確かめようとしなかったのは、着地した瞬間にはシルヴァステルと向き合わなくてはならなかったからだろう。
三人が出た後は、ソルティーの背中は何時も通りの広い背中だ。
「ソルティ……」
恒河沙が揺すっても意識が戻る気配はない。不安の表情を須庚へと向けて助けを求め、彼が動こうとした時に、再び瑞姫が絶叫した。
「足ぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
三人揃った事で多少の余裕が出来たようだ。近寄ってくる事はなかったが、シルヴァステルに向けて片手を突き出した状態で顔をソルティーに向けていた。
瑞姫は息の続く限り叫び続けた後に、厳しい表情を慧獅にやった。
「慧獅はソルティーの治療をお願い! 晃司! さくっとやっちゃうわよっ!!」
切り替えが早いのか、単なる自己中心的なのか。兎に角瑞姫は、周りの混乱を露程も気にせず、力強くシルヴァステルを指差した。
一方シルヴァステルは、物憂げな表情のまま瞼を降ろしたままで、恒河沙達を相手にしていた時の様に、瑞姫達にも反応を示す様子はない。
「なんなんだよこの人等は……」
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい