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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 現実的でありながら、非現実の産物。生と死の狭間で石にされた者達の、思いもよらない副産物が、静かに誰か来るのを迎える為に立ち並ぶ。
 その中でも特に、異様な姿を晒していた彫像の前で、ハーパーは跪いて拳を床に叩き付けた。
 憎しみと怒りの入り交じった彼の前には、彼の父、ローダーの体があった。
 ハーパーよりも二周りは大きなローダーの口には、泣き叫ぶ赤ん坊の首が入れられ、ご丁寧に、赤ん坊の顔は床を見下ろす様に、微かに下に向けられていた。突き出した指には、恐らくその赤ん坊の体が刺さっている。
 そして、半開きの翼には無数の子供の顔が刻まれていた。ざわざわ翼に穴を開けて、子供の頭を埋め込んで、継ぎ目も無いほど一体化させているのだ。狂気の沙汰としか思えない。
《父上ーーーーーーーっ!!》
 武官を纏める者でありながら、優しさを第一としていた者の最後の姿に、ハーパーは言葉を堪える事は出来なかった。
 離れたソルティー達にすら伝わる彼の憤り。言葉が判らない二人にも、ハーパーの気持ちは痛いほど判った。
「ローダーなのか? 恒河沙、其処に竜族が居るのか?」
「うん……。ハーパーよりおっきい竜のおじちゃんだけど……」
 どんな姿を晒しているかは言えなかった。
 ソルティーはハーパーの震えを感じ、彼に近付いた。
「ハーパー……」
《主、我はこれ程何かを呪った事は御座いませぬっ! 如何なる理由が在りましょうと、我が父が、この様な姿を晒さねばならぬとは、我は、我はっ!!》
 ソルティーには、ローダーがどんな姿になっているのかは判らない。其処に大きな彫像が在る事しか感じられなかった。
 見上げても、自分を見下ろす赤ん坊の顔は見えなかった。
――ローダー、貴方は今どんな姿をして居るのだ。
 ソルティーが最後に見たローダーの姿は、城の兵士に指示を出す後ろ姿だった。しかし一瞬の出来事に、それが本当に彼だったかは言い切れない。
「ソルティ……、ハーパーのお父さん?」
「ああ。勇猛果敢な、素晴らしい武官だった」
「行きましょうぞ。この様な仕打ちをする者を、一時たりとも生かしてはおけぬ」
 ハーパーは鋭い牙をぎりぎりと軋ませ、ゆっくりと立ち上がった。
「ハーパー、いいの」
 ローダーから離れようとするハーパーに、恒河沙が赤ん坊の顔を指差すが、ハーパーはそれを見ずに立ち去る。
「総ては、終わってからで良い。総てが終わった時こそ、我は胸を張ってそうしよう!」
 命を失った体を、せめて普通の状態へと戻し、そして墓を造るのは今すべき事ではない。
 何かを断ち切る様に歩き出すハーパーに、恒河沙は何も言えなかった。それは須臾も同じだ。
「ソルティー、行こ」
「ああ…」
 恒河沙に腕を引かれてハーパーの後ろを歩く。一度だけ振り返ったが、矢張りその瞳には何も映らなかった。何が在ったのかを聞きたくても、言葉に出来ない物を見せ付けられたに決まっている。腕を引かれながら、ソルティーは唇を噛み締めた。
――私が、一番に楽をしている……。
 本来なら自分が見なければならなかった事を、代わりに見せてしまっている。三人から感じられる、気迫とも殺気ともつかない感情。膨れ上がる一方のそれは、通り過ぎようとしている狂わされた彫像達の為に他ならない。
「みんな…済まない……」
 それがソルティーに出来る精一杯だった。
「ソルティーが謝る事無い!」
「そうだよ、悪いのは別に居る」
「我等の敵は一つですぞ」
 三人が言葉を繋ぎ合わせ、誰もがソルティーの言葉に首を振った。
 優しさではなく、決意の言葉として。その気持ちに応えるべく、ソルティーは踏み出す足に力を入れた。





 王の間。国によっては謁見の間、玉座の間とも言われるその部屋は、このリーリアン城では三階に位置していた。
 東西南北に位置する四つの独立した建物が、中央の建物で繋がっている構造になっている。城の中央は、政を行う王の管轄だ。其処は三階までしか無い。
 一二階が区切られた部屋の作りをしているのに対して、三階は王の間しか存在しない。ソルティーは詳しくは知らない。ハーパーが言うには、そうしたのは十二代目の国王であった。
 諸外国の使者を迎え入れる為ではなく、民の為だ。
 戦になれば最後の砦となるのは城その物。竜族が闊歩する為に、他国の城よりも遙かに大きな造りだが、より多くの民を避難させる為には、無駄に建物を仕切っては役に立たない。いざとなれば竜族はもとより、王ですら城を離れ、民に城を開放して周囲の守りを固める。それが、ソルティーが王族の勤めとして始めに教えられた事だ。
 華美も、荘厳さも必要ない。必要なのは、国を慕う民の心だけ。国の祖となったソルティアスの志であった。
 その、王の間に至る大きな扉の前へ四人が立つまでに、矢張り何度か息を飲む、あまりにも陰惨な光景が在った。

 大階段に沿った彫像達は、他とは違いすぎた。
 捻れた石の置物。熱した飴を捻ってから固めた、そんな姿。しかしその顔だけは捻れもなく、ひっそりと訪問者を見つめていた。
 須臾は醜悪なその姿に、思わず口を両手で覆った。吐き気を感じたのは、その置物を造った者が、置物にする者を選んでいる事だ。どうやって石をこんな風に出来るのか、それは判らないが、選んだ基準は苦悶の表情。より怯えている、より苦しんでいる顔を選び、階段に並べていた。
――狂ってるなんて生易しいものじゃない。そんな可愛い奴じゃない!
 声に出して叫びたかったが、こんな姿をソルティーに教えたくなかった。須臾はソルティーの目が見えなくなっていて良かったと、この時ばかりは本気で感謝する程である。
 絶対にソルティーの手に、この彫像の成れの果てを触れさせてはならないと、恒河沙と両脇を固める様に階段を上った。
 それが一層ソルティーの感覚を周囲に向けさせた。
――どうして……、どうしてこんなモノが!?
 階段に飾りの柱はなかった。しかもそれが、手摺りの内側に置かれているなんて、普通ならば考えられない。
 細さも長さも一定ではないそれが一体何なのか。いや、一体誰だったのか。ソルティーは一言も口に出来ずに、ただ黙って階段を上り続けた。
 そして漸く王の間の前まで辿り着いたのだ。



「ほんとに此処なんだよね」
 奥歯を軋ませながらの須臾の言葉に、ソルティーが頷く。
 体の奥底から、何かが這い上がってくる感触が、何よりの証拠だ。ただそれは、ソルティーにしか判らない感覚で、須臾達には全く何も感じなかったが、
 此処に至るまで、確かにずっと静かだった。全てのモノが動きを止めてしまった空間では、四人以外に音を立てる物は無い。しかし、此処での静けさは別物だった。
 静寂さえも飲み込まれている。そんな感覚が確かにあった。
――ソルティーの勘は外れないんだよね……。
 今にして思うと、それは此処へ無事に辿り着く為に、予め備えさせられた感覚なのかも知れない。その為に彼は、失敗して逃げ帰る事が出来ずに此処まで来てしまったと。
 そんな想像にさえも憤りを感じながら、須臾は声に力を入れた。
「んじゃ、化け物退治に行きますか!」
「おうッ!!」
 恒河沙の大剣と、須臾の脚が同時に王の間への扉を打ち破った。