刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
痺れた手をソルティーから遠ざけて、気を紛らわせる為に、瓦礫の向こう側に視線を走らせた。
秘門の奥には、直ぐに城の壁が見える。
「主」
ハーパーが秘門の傍らに立ち、ソルティーを通す用意をする。ソルティーはそれに誘われる様に、息を詰めて城壁の中へと身を投じた。
恒河沙と須臾が入り、ハーパーが最後だった。
恒河沙が間近に見上げた城の壁は、何処までも高くそびえ立つ様で、壁伝いに伸びた蔓の多さにその古さが伺われた。
「此方だ」
感慨を深める余裕もなく、ハーパーが次の扉へと三人を導く。
ハーパーの後ろを恒河沙に腕を掴まれながら歩くソルティーは、瞼を降ろしていた。
――城門から左は兵士達の詰め所が六つ、向かいには深夜警護の仮眠部屋。そして武器庫へと続く階段。いや……その途中には、別の部屋も在った筈だ。
ソルティーは記憶の中の城の様子を思い出そうとした。しかしハーパーの様に、城に詰めていた経験のない彼には、自分が行き来した場所しか明確に思い出せない。
――士官部屋は……。執務室は二階。
城の左右を大きく分けると、文官の集う右と、武官の集う左。奥には術者達。どちらかと言えば、ハーパーが籍を置いていた文官の詰め所にしかソルティーは行かなかった。
幼い頃は、ハーパーが城に連れて来ていたらしいが、あまりその記憶は残っていない。自分が何者かを理解する頃には、何かの儀式が無ければ年に五度だけ、短い時間を城で過ごすのを許されていただけだ。
――地下牢の場所は、はっきり覚えているのだが……。
こんな事なら、何度叱られて牢に入れられても、城の中を探検すれば良かった。何時でも出来ると先延ばしにして、良い子のふりをしていた自分が馬鹿らしい。
「恒河沙、少し頼みがある」
「何?」
「周りの様子を教えてくれないか?」
今更何をしても遅い事は判っている。それでも知りたかった。あの日何も無ければ、自分が何処に暮らしていたかを。
「俺なんかでいいの? ハーパーの方が……」
恒河沙の言う通り、城に詳しいハーパーに聞けば、より克明に思い描く事は出来る。但しそれは、言う方も聞かされる方も辛い。
「お前の言葉で良いから。何処にどんな物が見えるのか、幾つ扉が在るのか。それだけでも構わないから、見えたそれだけを教えてくれ」
「う、うん。あのな、右にすっごく高い壁があるんだ。それに草が貼り付いていて、多分あれ三階の窓かな? そこまでいっぱいだよ」
「窓は幾つ」
「う〜んと、多分一階にはなくて、二階から四階は三つずつ。それから上には、一つずつ三つある」
「他は?」
「うん。あ、何か扉があった」
「扉?」
「あ、あそこから入る見たいだよ。ハーパーよりちょっとだけ小さい扉があるの。……ハーパーが今壊しちゃったけど。周りはいっぱい木が植えてあるよ。何か全部まん丸に切ってるけど、ずっと、さっき通ってきた壁にひっつけて植えてる」
恒河沙が説明している間に、ハーパーの前までソルティーは着いた。
城壁の扉に比べ厚みのない扉は、ハーパーの拳に容易に崩れ去っていた。
「ソルティー、足下に石がある」
「中の様子は?」
「………」
城の中に足を踏み入れ、ソルティーに問われるまま言葉にするつもりが、恒河沙は言葉を失った。
どう説明して良いのか判らない。
細い廊下がずっと長く続いていた。それだけなら簡単に言葉に出来る。無数の瓦礫が転がっていなければだ。
「恒河沙? どうしたんだ?」
「ソルティー、聞かない方が良い」
「須臾……」
先刻自分達が懸命に避けていた彫像の破壊が、其処では行われていた。
喩えそれに血肉が無くとも、確かに石になる瞬間まで生きていた者を、これ程無惨に破壊する事が出来るのか。
繋ぎ合わせる事も不可能に、何十人ともなる破壊された彫像の欠片。ソルティーにはその形は既に、人の部品だと感じていなかった。
「ソルティ、両方の壁に扉が並んでるよ。んでな、扉の上に、剣が二つある……飾りがあるんだ……」
恒河沙は、ソルティーの腕を握り締めながら、床に転がる欠片以外を言葉にしようと、声を振り絞った。
――言えないよ。言えるはずないよ。こんなの酷すぎるよ!
ソルティーが凄く大切にしていた国を、人を、滅茶苦茶にした奴が許せない。恒河沙は初めて本気で、ソルティーの敵が憎くなった。
怒りに肩を震わせる恒河沙に、ソルティーは見えない物が見えた気がした。
「ごめん、もう良いから。無理して言わなくても良い。無理をさせた、ごめん」
嗚咽を堪える恒河沙の頭を抱き寄せる。出来るなら今すぐ彼の目を手で覆ってやりたいが、もう手遅れだろう。
「可哀想だよ。こんなの、可哀想だっ!」
誰かも判らない、もしかすると自分の父親かも知れない。でも、もうそんな事はどうでも良い問題だ。こんな酷い事をする奴は、どんな死に方をしても誰も、絶対に悲しんだりする奴は居ない。
「絶対倒してやる。こんな事する奴、絶対にぶっ倒してやるっ!!」
恒河沙の声が石の城に反響する。
「そうだ、ぶっ倒してやろう。こんな卑怯な奴、許しておけない」
須庚でさえも感情的に声を強めていた。
「我も同感だ。この様な仕打ちを受ける謂われなど無い」
目の前の惨状から目を背けていたハーパーも、怒りの眼差しで前を見つめた。
三者三様の怒りを聞いたソルティーも、同じ物を見れない自分を情けなく思いながらも、胸の怒りを増大させた。
「主、その者は何処に居られるのだ」
「恐らく、王の間」
自分の感覚では解らないが、体を動かす力がそこへ引き寄せられている。
「ならば行きましょうぞ。皆の仇を討ちましょうぞ」
ハーパーは床の欠片に気を使いながら、それでも足早に前を歩く。
この通路を突き進むと、表からは隠し扉になっている突き当たりになる。何かが起こった時に、此処が最後の攻防の場所とされた通路だったが、突き当たりの壁は開けられ、今はただの廊下と同じだ。
「ソルティ、大丈夫?」
元は兵士だっただろう欠片に、何度か足を取られた。その度にソルティーの表情が険しさを増す。
「大丈夫だ。お前こそ無理しなくて良いから」
「俺は大丈夫だよ」
恒河沙は歯を食いしばりながら、周りの総てを見つめ続けた。無論それをソルティーに語るつもりはないが、彼の代わりに目に焼き付けようとした。
――俺に出来るのはこれくらいなんだ。
こんな時しか支えられない。こんな時だからこそ支えて上げたい。ソルティーの気持ちの半分も理解出来ないから、他の事でそれを補いたかった。
しかし、そんな恒河沙の気持ちを裏切る様に、隠し通路を出た彼の目の前には、もっと酷い現実が広がっていた。
「ほんとに…楽しんでるんだ……」
立ち尽くして呟いたのは須臾。
廊下にわざわざ並べたのだろう。様々な姿で最期を迎えた者達が、整然と一列に並んでいたのは、これまでの光景を考えれば逆に異様であった。
何よりも目につき、胸を抉るような痛みを感じさせられたのは、彫像の首が全て挿げ替えられていた事だろう。
兵士の体を持つ子供や、女性の体を持つ老人。他にも多種多様な組み合わせで並び、総てが廊下の内側に向かっていた。
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい