刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
優しい面差しを浮かべるアルスティーナに、恒河沙は何度も心の中でお願いした。同じ人を好きになったのだ、だから気持ちは同じだと信じて。
「済まない……、時間が掛かって」
「良いよ、んな事は。仕方ないって」
アルスティーナの石像の前で、涙を流し終えたソルティーに須臾が、辛さを隠した表情で言う。けれど酷く半端なものになった。
「お互い様だよ。特にこれ程の美少女だったら、僕でも忘れられない」
須臾の精一杯の軽口に、ハーパーは露骨に表情を険しくしたが、ソルティーは微かに笑った。
「お前は出逢った女性総てを忘れないさ」
「何だよそれぇ……。あ〜もう、心配してやらない」
――良かった。まだ大丈夫だ。
昔のソルティーなら、この現実にどれだけ耐えられたか判らない。随分と打たれ強くなったものだ。それこもれも、全部自分のお陰だと須臾は思う。ただそれを言うと、真っ向から恒河沙に否定されるので、思うだけに留めた。
「じゃあ行きますか」
街を見下ろす城に向かって須臾が首を向けた。
ソルティーはもう一度アルスティーナの石像の方へ顔を向け、
「行ってくるよ」
今にも振り向いて、笑顔で送り出してくれそうな彼女に告げてから背を向けた。
「姫、行って参ります」
ハーパーは深々と頭を下げる。
「じゃあ、またね」
手を振ったのは恒河沙だった。
「君が生きている時に会いたかったよ」
「戯けが!」
「馬鹿っ!」
須臾の頭をハーパーに殴られ、腰を恒河沙に蹴られた。
「お〜〜いってぇぇ〜〜〜」
頭と腰を同時に押さえて身を捩る須臾を置いて、恒河沙達はソルティーの後を追う。
「まったく…、本気で殴るなよ……。んじゃ、ソルティーの婚約者ちゃん、そこでソルティーが帰ってくるの待っててよね」
須臾はアルスティーナに笑い掛け、そして真剣な顔になって三人の後を追うべく、彼女に背を向けた。
アルスティーナが子供に差し出した手は、決して届く事はない。しかしその優しい気持ちは失われない筈だ。
その優しさが四人を護ってくれるのを、須臾は願わずにはいられなかった。
マグリートの中央を貫く大通りは、そのまま城へ続く道になっている。
常ならば、月に一度、解放される城へ赴く人の為に造られた道だ。
助けを求めて城へひた走る者達や、城へ誘導する兵士達の彫像の群に、ソルティー達が行く手を遮られたのは、丁度城壁を手前にした辺りだった。この辺りになると、彫像達の表情は、陰惨さを極めていた。
ひしめき合いながら城門を目指す瞳には、狂気に近いものが感じられた。
誰も死にたくなかった。自分だけでも助かりたかった。幼子を押しのけて、我先にと逃げる醜さを晒した男性の姿を、卑怯だと責める事が出来ない。
「……これ、一寸進めないよね?」
ただの石像なら薙ぎ倒しも出来るが、元は生きた人を相手に、敬意を払う事は出来ても、破壊する事が無理だ。魔法で飛んだとしても、この分では降りる場所すら探すのに苦労しそうである。
「此方だ」
成る可く彫像へは目を向けずにハーパーは城壁に沿って、左側へ体を向けた。
城には幾つかの出入り口がある。誰でも自由に出入りが出来る、城下に向けられた表門。使用人専用の裏門。兵士専用の戦門。そのどれでもない、恐らく、あの時ですら開けられる事の無かったであろう、秘門。
「国王一族を逃がす為の門が在る。我ですら、主を預けられた時に、始めて父より知らされた」
「ソルティーもそこから出たの?」
「いや、私は跳躍で逃がされたんだ」
ソルティーが父王の兵士に連れてこられた部屋には、十数人の術者が待っていた。
既に何をしても国を救う事が出来ないと悟ったユイディウスが、城に詰めていた術者を総て集めた。
部屋に押し込まれ、閉ざされた扉から魔法陣に連れられた。
見渡した誰もが、悲観的な顔をしていなかった。ソルティーだけでも助かって欲しいと、心の底から願っていた顔だった。いたたまれない程に、決意した顔だった。
『貴方様さえ御無事なれば、この国が滅びる事は無いのです。未来永劫、御血筋続く限り。ですから、どうか生き延びて下さいっ!!』
扉越しに聞こえた兵士の願いは、家臣全員の願いでもあった。
結果として跳躍は失敗し、願いは叶えられなかったが……。
――それでも私は此処に帰ってきた。
それが形の違う帰還であっても。
高い城壁の外を歩いていると、少しずつ彫像は減少していった。城の外周を五分の一も進むと、兵士だけになった。
「それにしてもさあ、街に入った途端攻撃されなくなったね?」
不意にそれを思い出した須庚に、他もそういえばと立ち止まった。
「諦めたんじゃね?」
「そんな訳ないでしょ?」
「待っているだけだ。何もかも、始めから知っていた筈だからな」
「ソルティ?」
「妖魔も地精も、ただの遊びに過ぎない。意味を持って操っていた訳じゃない」
結界の中はそれこそ彼の者の領域である。にもかかわらず、此処まで地精だけを攻撃に使っていたのだから、抑も本気で自分達を消そうとしていたかどうかも疑わしい。
「遊びって……おいおいって感じ」
その遊びにどれだけ苦労させられた事か。
人の生き死にを遊びだと言い切れる者が敵だとするなら、それはきっと気が狂っているに違いない。
「ただ滅ぼしたかっただけだ。そう思ったからした。たったそれだけで、リーリアンは滅亡させられた。この国に憎しみも、恨みも無かったのにだ!」
自分で事実を口にしながら、それに耐えきれずに城壁へ拳をぶつけた。
憎しみが在ったならまだましだと思える。何でも良い、どんな理由でも、理由が在るだけこの結末に、納得出来る何かを見付けられたかも知れない。
もしも理由が在るとするなら、封じられた者が出現を企てた場所に、偶然この国が在った。だたそれだけだ。
ただしそれさえも、避けようと思えば避けられたはずだと思わずには居られない。
「ソルティー、手、痛いよ」
加減もせずに壁を殴って傷を造るソルティーの腕を、恒河沙が引き寄せる。
「ソルティーが痛いの俺、やだから、早いとこ終わらそ。んで、も一回、あのお姉ちゃんに会いに行こ」
「恒河沙……、ああ、そうだな」
ソルティーが感じられない痛みを、代わりに感じている様な恒河沙に、ソルティーは怒りを抑え込む。
「行こ、ハーパー待ってるし」
「ああ」
少し先を歩いていたハーパーの前には、城壁と同質になってしまった扉が在った。
他の門とは違って、ただの扉の様にも見えるそれは、植え込みに隠される様に造られていた。
その石の植え込みを打ち砕き、姿を見せた秘門は、本来外からは決して開けられない造りになっていた。数少ない王の側近だけが、秘門を開ける呪文を、口伝えに受け継いでいた。今では何の意味もない事だが。
「此処ならば、向こうに人を気にする事は無いであろう」
ハーパーの言葉に恒河沙が大剣を手にした。
「んじゃ行くよ。うらぁーーーーっ!!」
恒河沙が大きく剣を振り上げて、振り下ろす。堅い扉は、一度目には欠片を飛ばしただけに終わり、二度目に亀裂を走らせ、三度目に崩れた。
「かってぇ〜〜」
「大丈夫か?」
「あ、うん。大丈夫!」
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい