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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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――アルスティーナは……?
 あの日、ソルティーは彼女の姿を見ていない。捜すように兵士の一人に言ったが、聞き入れては貰えなかった。
 ソルティーは力無く立ち上がると、顔を城とは違う方向へと向けた。
「ソルティー?」
 恒河沙がふらふらと歩き出した背中に声を掛けたが、その脚は止まらなかった。
 街の南東。マグリートの領主の屋敷の向こうには、柵があって、アルスティーナが毎日世話を怠らなかった花畑がある。其処で、手順通りの儀式ではなく、本当に二人だけで結婚の約束をした。
 あの時まで、誰よりも護りたかった、愛していた。
「アルス……」
 道を阻む彫像に体をぶつけながら、ソルティーは真っ直ぐ歩き続けた。
 逃げ惑う民を差し置いて、彼女が城に逃げ込む筈がなかった。
『私、リーリアンが大好き。だってソルティアス様が産まれて、治める国ですもの。ですから私は、この街だけでも護って見せますわ。そうすれば、少しでもソルティアス様のお役に立つでしょう?』
 小さな花がよく似合う人だった。
 何れ王妃になると決まってからも、それを鼻に掛けず、質素な暮らしを望んでいた女性だった。誰からも好かれる人間だった。街の子供達は、誰もが彼女を姉と慕っていた。
 地面に落ちていた誰かの荷物に足を取られ、蹌踉めき、何度も倒れそうになる。
『ソルティアス様は前だけを向いていて下さい。私はずっとその背中を見ていますから』
 何時も微笑んでいた。悲しい時にも、辛い時にも、一度も涙を見せなかった。
 気丈な女だと、ソルティーの周りの者に陰口を囁かれても、言い返さずに笑みを見せる。それは彼女の強さだった。
『私はこの身が朽ち果てても、ソルティアス様の味方です。誰にも邪魔はさせませんわ』
 思い出の中にしっかりと刻まれた言葉の数々に、どれだけ助けられたのだろうか。
 それなのに、あの日、自分が最後に放った叫びが、彼女に届いたとは思えない。悔やんでも悔やみきれない思いだ。
「アルス……、アルスティーナ……」
 掻き分ける彫像の群。もしかすると通り越した中に、石になったアルスティーナが居たかも知れない。それでもソルティーは、真っ直ぐ彼女の暮らしていた屋敷に向かっていた。
 そしてソルティーの辿った道の正面に、訪れた者総てを優しく出迎える、閉じられた事のない門が見えた。
 門の前には、城を指差す男性が立っている。どんな時にも落ち着いた人だった筈が、大きな声を上げているのが判る、気迫の感じる表情を残していた。
 彼が唯一自慢していたのは、豊かに生え揃えていた髭。子供の頃、ずっとそれが羨ましかった。ソルティーの義理の父親になる筈だった男性は、父王とハーパーの次ぎに尊敬していた人だった。その妻も、貞淑と慈愛を持って夫に寄り添っていた。
 門の前に立ち連なる彫像をくまなく手に触れさせ、ソルティーはアルスティーナを捜した。
――どうして判らないんだ! きっとこの中にアルスが居る筈なのに。
 彫像が在るのは判っても、姿形まで伝わらない。
 自分に対する悔しさを堪えながら、彫像達を触る姿は滑稽だ。ソルティーのその滑稽な姿を、恒河沙達は黙って見守るしかなかった。
「アルス……アルス……」
 彷徨う様に両手を周囲に伸ばし、手に触れる総てを確かめる。そして足下に別の彫像が触れた。
 跪いて手を伸ばすと、小さな子供だった。転んだのか、起き上がろうとしているのが手に伝わる。その子供の手が前に向かって伸ばされているのを辿ると、別の手が在った。
 子供よりは大きい、しかし細い手は女性。しかも大人ではなかった。
「………」
 その子供を抱き起こす為に伸ばされた手は、優しさが込められていた。
 ソルティーの指が、手から柔らかかったはずの服の上を滑り、肩へと向かう。首に触れ、顎を伝い、微笑む唇に触れた。
「アルスッ――」
 両手で冷たい石の顔をなぞり、彼女が最後に残した表情を確かめた。
「アルス……アル……アルスティ…ナ……アルスティーナ!」
 何度その名を呟いても、もう二度と自分の名を呼んではくれない。微笑み掛けてはくれない。
 暗闇を補う為に動いていた指は、彼女の頬を撫でるだけになった。
 泣かないでと願ったアルスティーナの前で、ソルティーは涙を流した。
 ただ、自分が泣いている事すら気付いていない、そんな風に須臾には見えた。
「ねえ、やっぱりあの人って……」
「姫、アルスティーナ様だ」
「ソルティーの、婚約者だった人……」
――ソルティーがあいしてた人。いっぱい大好きだった人。
「きれーなお姉ちゃんだ。すごく優しそうだ」
 真っ直ぐにソルティーだけを見る恒河沙の言葉に、正直須臾もハーパーも戸惑った。ソルティーが、未だにアルスティーナの事を引きずっているのを見せ付けられ、何を思ったのか、二人には想像できない。
 死んでしまった者に太刀打ちできない。それがこんな別れで在れば尚更だ。
 表情を消している恒河沙に、須臾が何かを言う前に、恒河沙はソルティーに向かって歩き出した。
「恒河沙……」
 止める言葉は大きくならず、両手を握り締めた背中だけを見つめた。
 恒河沙はソルティーの後ろに立ち、上から彼とアルスティーナの姿を、何も言わずに見つめるだけだ。
 間近で見た彼女の姿は、考えていたよりもずっと綺麗だった。心の綺麗さが顔に出ている、そんな儚げな優しさがあった。
――ソルティーの好きな人……。
 ソルティーの指が彼女の頬を撫でる度に、胸の奥が痛みを放つ。恒河沙は言葉に出来ない痛みに、唇を噛み締めた。
「ごめん……お前の前で……」
 恒河沙が居ると判っていても、指を放す事が出来ない。彼女の為に流す涙を止められない。
「ごめん。でも…、今は、今だけは……」
「……うん」
 恒河沙は小さく頷きながら言った。本当は抱き締めて自分が慰めてあげたがったが、きっとそれはしてはいけない事だと思う。
「いっぱい泣いていいよ。だって、ソルティーの大事な人だもん」
「ああ……」
「大切な人だったんだよな。いっぱい好きだったんだよな」
「大切だった。私の世界はアルスだけで成り立っていたんだ。大切だった、大事だった、好きだった……。誰よりも護りたかったんだっ!」
 言葉の総てが過去形。
 果たせなかった誓いが許せない。
「護りたかった。ずっとそうしていたかった。なのに私は……共に死んでやる事も出来なかったんだ…ッ…アァ…アルスティーナアーーーーーーーーーッ!!!」
 ソルティーは初めて声を上げて泣いた。堪えきれない悲鳴だった。泣き叫び、何度もアルスティーナの顔を確かめる。
 護りたかった、助けたかった、傍で死にたかった。一筋の髪の乱れすら判るのに、それを直して上げる事も出来ない。石になってしまった彼女に、謝る言葉も声に出せなかった。
 今、護るべき者を背中に感じながらも、ソルティーは今やっと、過去に愛した人に涙を流せた。恒河沙はそうするしか出来ないソルティーを黙って見詰め続けた。
――ソルティーの好きだったお姉ちゃん、俺絶対ソルティーを護るから。だからソルティーを連れてかないで。