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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 剣が波打つ光を放ち続けているだけのように見えるが、それでもソルティーには効果があるのだろう。息さえ吐くのが難しそうな状態からは脱して、柄を握る指の震えも止まった。
 恒河沙はその間にも乱される心の中の不安と闘っていたが、不意に何かに引き寄せられるように後ろを向いた。
「どうしたの?」
 自分へと顔を向けたのかと一瞬思った須庚の声は、直ぐに緊張感のある声へと切り替わった。
「何か来る!」
 ゾワっと肌が粟立つ程の強い殺意が背後に生まれた。須庚は咄嗟にベルトに下げた袋から呪導具を取りだし、組んで構えた。その時には石の道がぼこぼこと膨れあがり、波のように襲いかかってきた。
「俺が行く!!」
「恒河沙?!」
 既に恒河沙は大剣を手にしていた。
 須庚の横を一気に走り抜けて、濁流のように迫ってくる岩に向かって、低い体勢から大剣で斬りかかる。
「ソルティーはっ、殺らせないぃぃっ!!!」
 恒河沙の怒りの高まりに合わせるかのように、大剣が岩に食い込み緑色の光を放つ。重さなど感じさせない動作であるにもかかわらず、刃は深々と固い岩に食い込んで破砕した。
「恒河……ちっ、こっちもかっ!!」
「須庚!」
「ハーパーはソルティーを! 敵は地精だっ、恒河沙は一人でやれる!」
「解った」
 須庚は逆方向にも生じた岩の波を受けるべく走り出し、ハーパーはソルティーの傍らに膝を着いて、振り上げた掌を地面に叩き付けた。
 パンと弾けるような音と共に、ソルティーを中心に火炎の輪が描かれる。炎は瞬く間に地面に吸い込まれ、僅かな間地響きが続いた。冷たかった地面は人肌ほどの温度となり、再びハーパーが呪文を唱えると、古の文字と記号で作られた呪紋が浮かび上がった。
「主……」
 この状況の中でもソルティーは目を開ける事はなかった。それだけ状態は悪いのだろう。
 不可抗力だったとはいえ、最悪な状況に自分達がソルティーを追い込んでしまった事に、ハーパーは無念さを隠せない。
 しかし悲嘆に暮れる暇は無かった。
「まさか精霊と戦う事になるなんてね!」
 それも高位精霊ともなれば、須庚も気楽さを捨てねばならない。呪導具をさっと撫で上げるようにして振動を発生させると、自分の体を媒介に高位の契約精霊達を呼び出した。しかしいつもなら四人の精霊が現れるが、火と水と風の精霊しか姿を現さなかった。
「大丈夫、怒らないよ」
 地の契約精霊は声だけを届かせて、主に逆らえない己を詫びていた。
 もっとも地を相手にするのは、風と水に限る。無数に生えてくる石の針を風が砕き、水が地を抉っていく。火精は紅蓮の炎を出現させると巨大な蛇の姿となり、空を泳いで魔法を発動させていた地精へと襲いかかった。
 炎に巻かれた地精は、岩を依り代にした姿を現したものの、相性的に地が火を上回る。炎に焼かれながらも、次々と石の針を須庚目掛けて撃ち放つ。
「豪雨の壁! そしてぇ、落ちろ!!」
 須庚の掛け声と共に一瞬で空から滝のような雨が横一列に広がって壁となり、飛んできた石の針が折られていった。同時に遙か上空に出現していた、青年の姿をした風精が炎の渦へと落下する。
 瞬く間に風精の姿は金色に光る一条の矢となり、その雷の化身が地精の体を貫いた。
 声を呼ぶにはあまりにも不気味な呻き声の振動が須庚に届くと共に、地精はその力を崩壊させた。そして同時に、ソルティーを挟んだ反対側でも、同様の響きが空気を振るわせていた。
「ソルティーの敵は死ねぇぇぇぇええ!!」
 恒河沙が横へと向けた一撃が、一体の地精の体を葬っていた。彼が倒した精霊はこれで二体目。
 しかも恒河沙の周囲には、砂の山が幾つも作られるという、異様な光景となっていた。
「どうしてだっ、何故お前がその力を持っているっ?!」
 最後の一体となった地の精霊は、明らかに動揺していた。ぎくしゃくする岩の体で指さすのは、緑に発光する大剣であった。
「るっせぇんだよっ、とっとと消えちまえよっおぅるぁーーーーーーー!!」
「ッ――?!」
 敵を相手に一切聞く耳など持っていない恒河沙は、大剣を短刀を扱うように片手だけで握って地精に突進した。
 突き刺さった途端に精霊ごと岩を砂に変えてしまった緑の光が恐ろしいのか、地精は地面の中へと溶け込んで逃げようとした。――が、大剣の放つ光が剣より先に進み、誘導されたように恒河沙は刃を地面に突き刺した。
「なにっ?!」
 何故か地精の体は体を半分埋めた所で止まってしまう。まるで縫いつけられたように身動き取れず、剣先で地面を削りながら迫ってくる恒河沙から逃げる事は出来なかった。
「壊れちまえぇぇえええっ!!」
 叫びと呼応する緑の光が一段と輝きを増し、完全に緑色に染まった刃が、地精の脇腹から肩へ向かって亀裂を走らせた。
「がっ、あっ、あぁぁーーーーーー……」
 己の体が、精霊としての力の源が、剣が触れた場所から崩壊していく。それは生きながら急速に腐敗していくようであり、岩としての意味を失った物は砂へと変化してた。恐ろしいばかりのその変化を地精は止められずに、ただ恐れおののきながら消えていった。
「よしっ、終わった! ソルティー!!」
 地精の気配が全て消えた事を確認した恒河沙は、また急いでソルティーの元へと駆けていった。
 ソルティーの守りを固めていたハーパーは、唖然とした判りにくい表情で恒河沙を迎えたが、当の本人はソルティーだけしか見ていない。
「もう居ないみたいだね」
 須庚も周囲の索敵を終えてから戻り、多少微妙な面持ちで恒河沙が足下に置いた大剣を見下ろした。
「須庚よ、この剣は」
「僕もよく判らない。恒河沙が朝起きたら片眼こいつに取られて、勝手に契約までされてたからね。たまに不思議な力を出してくれるから助かるけど、元の持ち主と同じで、さっぱり理解できない剣だよ」
 本当に知らないと須庚は肩を竦め、彼がそうならば恒河沙自身も理解できていないという事だ。
 そうした説明によっても、ハーパーは疑問を大きくする。彼の視線が向かったのは大剣ではなく、ローダーであった。
――まるで同じではないか。
 妖魔の攻撃を受けた時にも緑の光を見たが、あの時はミルナリスが自分の力を発動させる媒体に使ったと思っていたが、そうではなかった。しかも理の力その物を破壊できる力など、ハーパーはローダーでしか見た事がなく、それは同時にローダーにその力を与えた者達の姿を思い起こさせた。
――何故あの者達と同じ力をこの剣が……。主は……まさか……。
 ソルティーの恒河沙への一方ならない気の向けようが、彼等の人としての思いから、一変して別の意味へと変わっていくのを感じた。
「あっ、ソルティー! 気がついた?! 大丈夫?!」
 ハーパーの疑問を余所に、恒河沙は僅かに目を開けたソルティーに声を掛けた。
 ソルティーはまだしっかりと視線を固定するには至らず、けれど疲れたようにもう一度目を瞑る代わりに、口元に笑みを浮かべた。
「ああ……、また……心配……掛けたな」
「ううん! 俺っ、また俺がソルティーに……ごめんなさい……」
 彼の声が聞けた事で緊張の糸が緩んでしまったのか、恒河沙がどれだけ我慢しても涙が溢れてしまう。