刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
episode.41
人の業は断ち切れる物ではない。そしてそれは、神とて同じ事かも知れない。
永劫に生き続ける事自体が、神が宿す業だと言える。――いや、抑も業というものが世界に存在しているという事は、世界を創り出した神にこそ根源があり、神の紡いだ全ての事象に業が備わっているのだろう。
だから人はその身に宿した業からは逃れられず、己が行く末に悲喜をする。
しかし神の業は、生者のみに与えられるのではなかった。死を宿らせた者へ降り懸かった業は、死と共に受け継がれてしまったのである。
死さえも侵す程の根深い神の業を、断ち切れるだけの刃は黒。
神の紡いだ業よりも尚深い、闇より出でた剣と共に……。
* * * *
「――ッ!」
ソルティーが気合いと共に剣を振り下ろす。
目前に迫ったマグリートを記す標識の周りには、無数の石像の破片が散らばっている。
形は様々で、地精が体を形作る前に破壊された物も在り、無味乾燥した世界にはどことなく、この荒廃した異物が似合っていた。
空間を操れない地精は、攻撃する為には精神世界から出なければならない。標的を前にしなくとも攻撃は出来るが、当たらなければ意味はない。――いや、当たったとしても、その効果が現れなければ殺傷は不可能だった。
人よりも遙かに優れている筈の彼等の攻撃が、一切ソルティーに通じないのだ。
ソルティーが決して総ての魔法を退けている訳ではない。寧ろ小さな魔法で在れば、避ける事もしなかった。
理の力が充満した空間が、精霊よりも人間の方に大きな影響を及ぼそうとは、地精にとっても想像していなかった事なのかも知れない。人に力を授ける精霊は、自ら攻撃する事に長けてもいなかった。何より攻撃を受けた精霊は、どれも等しく霧散する。普通の死ではなく、消失していく仲間を見れば、如何に精霊であろうと焦りは大きくなり、隙は生じ易くなる。
剣と肉体を繋ぎ続けているソルティーには、精霊を砕く度に力が注がれていた。
何処か充実した感覚に囚われながら振るう剣は、いつもよりも格段に滑らかな動きを見せる。結界内は人の世界よりも、精霊の世界に近いのかも知れない。
多少の傷なら直ぐに回復した。もとより痛みなど感じない。地精に付け入られる隙を造らねば、どんな魔法でもソルティーは自ら受けた。
目も見えず、耳も聞こえない。しかし際立つ感覚が、見えている、聞こえている時よりも、はっきり敵の動きを伝えていた。
「何故だ!?」
地精達は幾ら攻撃しても、息さえ乱さぬ相手を前に戸惑い、そして殺された。
こんな筈ではなかったと思っても、答えを捜す時間は与えられなかった。たった一人の人間を殺すだけが、既に仲間を何十と失っている。主であるグリューメの命を在っても、これだけの犠牲を強いられる事は信じがたい、避けなければならない事だ。
「わっ、我等を失えば、大地が枯れるぞ!」
「今更戯れ言を並べるな!」
ソルティーは地精の首を刎ねる。
「お前達が出てこなければ良い事だろう!」
豊饒を司りながら、その役割すら破壊しようとする者に与した者達の言葉に、どれ程の意味が在るのだろうか。しかも、この地精を動かす者は、一度たりともソルティーの前に姿を現さない。卑怯極まりない相手に対してのソルティーの答えは、立ち塞がる者総てを容赦なく薙ぎ倒す事だ。
「お前達とかかずらう暇は無い! 死にたくなければ、其処をどけっ!!」
マグリートに近付くにつれ、体が引き寄せられる気がした。
恐らくそれは気のせいではなく、奥底に秘めた力が解放を望んでいるからだろう。
――まだだ。まだ駄目だ。
今解放すれば、ソルティーが敵の姿を知る事は出来ない。自分から総てを奪った者の、真実の姿を見る事が出来なくなる。
外から内へと侵攻した餓えと渇望。
迫り来る侵食に対する恐怖と絶望。
逃げる余裕を与えなかった者への憎しみ。
溜飲を下げるのは、殺された者達の気持ちを代弁してからだ。
殺ぎ落とされる事のない気迫を持って、ソルティーの剣が石像を両断する。残す一体に向けて剣を突き出し、闇が浮かんだ瞳が不気味に輝いた。
「道を開けるなら見逃してやる。仲間と同じ道を辿るか決めろ」
「……グッ」
使い込まれ、輝きを失った剣先を見つめ、地精は恐怖にまみれながらも両手を掲げた。
逃げる事は許されない。逃げ帰る場所もない。体を引き下がらせようとする強迫観念を抑え込み、主の命を全うする為に、地精は攻撃の意思をソルティーに見せた。
「馬鹿が」
すっとソルティーの瞳が冴える。口元にはうっすらと笑みが零れ、剣は翻った。脅えを隠せなかった地精の魔法は、ソルティーの頬を掠めるだけに終わった。
「ヒッ!」
地精が気付いた時には、ソルティーの姿は眼前まで迫っていた。
崩れる石像が地面に音を立てて落ちるのと、剣が鞘に納まるのは同じだった。
「対の者が首を挟む問題かどうか考えろ」
ソルティーは転がる地精の成れの果てに、吐き捨てる様に言葉を出し、顔をマグリートへ向けた。
――もう少しだ……。
待ち受ける者を予想せず、ソルティーは力強く前へ踏み出した。
その直後、ドスッ!――と後方から響いた音に振り向いた。
そして、頭上を見上げた。
ソルティーが顔を上げる本の少し前。
「シャリノの馬鹿野郎〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
須臾が半泣きでシャリノへの暴言を大声で解き放った。
「うぎゃぁぁぁああああああああああ!!」
空に恒河沙の絶叫もこだまする。
空。しかも、地上の建物が小指の爪程に見える大空に、三人はシャリノに跳ばされたのだ。幾らなんでも、突然こんな場所に跳ばされては、空中遊泳を楽しむ余裕が、……有る訳がない。
「二人とも!」
いち早く翼を広げて体勢だけは整えたハーパーが、決死になって二人へ腕を伸ばすが、どう頑張っても届かない。
急速に近付く地上。殆ど放心状態でそれを見つめた。
「風よ我が身を支える翼と成れ!! っつうかなってぇ〜〜〜」
もう他に考えられなくなった須臾の言葉は、彼の落下を止めた。
「嘘っ!? ハーパー、呪文が使えるっ!!」
「風よっ!」
ハーパーは広げた翼で吹き上げる風を受け止めた。そして下方から聞こえた声に、はっと首を向ける。
「はくじょうものぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
恒河沙は仰向けに落ちながら、二人に向かって指を突き出す。
風を手に入れたハーパーよりも、持ち物の所為で重量の在る恒河沙の落ちる速度は、半端ではない。とは言っても、あまりの事に持っていたシャリノ達からの差入れは、とうに腕から消えていたが。恒河沙を加速させていたのは、背中の大剣だ。まるで大地が恒河沙だけを吸い込もうとしているように、ぐんぐんと速度を上げていった。
ハーパーが咄嗟に下方へと飛んだが、その巨体の為に抵抗は大きい。
「恒河沙っ! 我が指先に灯るは風の纏い! 届いてっ!!」
須臾が恒河沙に突き出した指先から、半透明の風の精霊が生まれて恒河沙へと向かう。
風の精霊はハーパーを追い越してからも速度を増したが、既に恒河沙の体は遠い所にあった。
「うひ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい