刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
祖国への望郷の念は消そうとしても消えはしない。還れぬからこそ帰りたいと切に願う。だが足を踏み入れた祖国が、自分の記憶する場所とは違っているなら、過去だけに生きるのは罪ではないと、今なら思う事が出来た。
――主が戻ってこられたなら、その時こそ自由に歩んで貰おう。
「実際あとどれくらい待てば良いんだろ」
須庚の心配はやはり跳躍の残り回数だった。ソルティーが無事に目的を果たして風壁が無くなっても、そこから現れるのが彼だけとは限らない。最悪の場合、これまでの敵が一挙に押し寄せてくる事も考えれば、出来る限り戦いの手段も残しておかねばならなかった。
「そこまでは我にも判らぬ」
ハーパーの試算は昼夜問わずソルティーが歩き続け、一切敵の妨害を受けなければの話だ。
無論妨害はあると見なしている。独りで戦い続けながら王都を目指しているソルティーを思えば、苦難の道程に「早ければ」等とは言えない。国がどの様な姿を晒しているのかも判らない中で、幾ら想像しようと無理がある。
結局三人で地図を眺めていても埒が明かない事に、最初に気付いたのは須庚だった。
「ねえ、みんなでこれで遊ばない?」
恒河沙の背中にのし掛かって、須臾は使い慣れた札を見せた。色々と買い込んできたくせに、結局は恒河沙も簡単に出来る札遊びにしたのだ。
「何をするのだ?」
「教えましょう」
遊び一般を知らないハーパーが口を挟むが、一応するつもりはあるらしい。人の遊技に興味は一欠片もないが、今の状態はハーパーでさえも現実逃避が欲しかった。
須臾は恒河沙とハーパーを斜めに向かいに座らせ、四十五枚の札を切る。
「まずは、こうやって五枚ずつ配ってね――」
須臾は滑らかに札遊びの説明をしだし、こうして本日の暇潰しは始まった。
昨夜遅くまで札遊びに熱中した所為で、須臾の目覚めは遅かった。
勝敗は手練手管の須臾の一人勝ち。意外と負けず嫌いだったハーパーの「今一度、勝負」が止まったのは、恒河沙が札を持ったままうたた寝を初めてからだ。
もっとも恒河沙を寝かせてからもハーパーは勝負を挑み続けたお陰で、須臾が寝たのは既に明け方近くだった。
ハーパーはその後一睡もせず、地面に広げた札を眺めながら、意外と奥深い遊びに思考を占領されていた。
一応遊んでいる内に、勝つ為に何が必要かは理解出来たのだが、どうしても運任せの札はハーパーに都合の良い手を運んでくれなかった。須臾が札を配る時に不正を働いている可能性はあったが、恒河沙に配らせても自分が配っても須臾には勝てない。
「僕には幸運の女神様が居るからね」
そんな須臾の冗談も、こうも負けが続けば真実に聞こえた。
負けない自信がものを言うのが、こういった時折金も賭けられる遊びだ。その精神的な勝負強さは、まだハーパーには理解出来ない事だろう。
「これは矢張り、再度挑戦しなければならぬな」
軽い気持ちで始めた遊びが、人に負かされ続け、忘れていた闘争心に火が点っている。
ハーパーは徐に立ち上がると、恒河沙の横で眠っている須臾の横に立ち、彼の頭を揺り動かした。
「須臾起きろ」
「…ん…んん……なぁに〜〜?」
「勝負だ」
須臾の薄目の先に札を突き付けると、須臾はまた目を瞑った。しかも寝たふりだけではなく、ぐうぐうと鼾の音真似さえもする始末だ。
「起きるのだ。昨夜の負けは納得出来ぬ」
ハーパーの性格と言うよりも、寧ろ竜族の性質の問題だろう。しかしまさか、再戦の為に起こされるとは思っていなかった。
須臾は肩にハーパーのごつい指を感じながら、札遊びを教えた事を後悔する。序でに、態と負けてやれば良かったとも思う。
眠気もどこかへ消えてしまう程、何度も体全体を揺すられ、須臾は渋々体を起こした。
「もう……、此奴が起きるまでだよ」
「うむ。さあ始めようではないか」
どことなくうきうきしている様にも見えるハーパーに、須臾は肩を落としながら札を配る。
――適当に負けてやるか。しっかし、竜族ってみんなこんなんなのかな……。
真剣な表情で自分の札を見つめるハーパーに、呆れた視線を投げかけても、気付く素振りも見せない。
手持ちの札一枚を、間に置いた山の札と交換し、時折唸るのはまるっきり人と同じだ。どう見ても英知の種族と、持て囃される者には見えなかった。
「そう言えばさあ、もし、ソルティーが無事に帰ってきたら、本当の所は、どうするつもり?」
自分も手持ちの札を捨てながら、恒河沙が熟睡している間に聞きたかった事を聞く。
「ううむ……」
「ねえ、聞いてる?」
「うむ。判らぬ。決断するは主故に」
ハーパーの返答に須庚は不思議そうな顔をする。
「国を建て直す事は考えてるの? 王様の血って、特別なんだろ?」
世の中には下らない権威を振り翳す愚王も居るが、アスタートの王のように血に力を備える者が存在する事も知った。一度は恒河沙の為にハーパーの価値観を否定した須庚だったが、自分には正確に理解できないとしても、ハーパーがソルティーの血筋を尊んでいる事までは拒絶しきれなかった。
それに仮にソルティーとハーパーが国を再建すると言えば、喜んで協力するつもりにもなっていた。
けれどハーパーは、緩やかな声で語った。
「恐らく主は、そうはすまい」
「どうして?」
互いに視線は札に集中しているが、ハーパーが多少言葉を躊躇ったのは感じた。
「主は、当初より事の終わりには、自らの死を考えて居った。もとより死した身故に、先をお考えになる事は無かったのであろう。だからこそ我は、主に国の復興を志す夢を抱いて欲しかったのやも知れぬ」
須臾は口を歪ませた。
復讐の終わりを、同時に自分の終わりと決めていたソルティーの考えは、なんとなく理解出来る。しかしそれは後ろ向きな考え方であり、それがハーパーの気持ちに頑固さを与えたのだろう。
ハーパーはそんな須臾へ一度視線を走らせた。
「しかし主は変わられた。国の復興を考える事は無くとも、身の処し方は、既に死では無い筈」
「此奴の旦那さん?」
「それも一つの道。勝負!」
「よし来い!」
地面に叩き付けるように二人は同時に札を広げた。
「よっしゃ、僕の勝ち! ……あ」
――やべ。
須臾は勝利に片手を上げつつ、瞳に炎を燃え上がらせているハーパーを見た。
両手を握り締め、屈辱に打ち震える肩。次ぎに彼が何を言うのか先に聞こえてきた。
「今一度、勝負!」
「はいはい〜〜」
――今度こそ負けよ。……っつうか、いい加減勝ってよ。
須臾はほとほと疲れ切った気持ちで、地面に広がった札を拾い集める。その手が止まったのは、自分に向けられた何とも言えない視線の為だ。
「……ん?」
須臾とハーパーが視線の方へ顔を向けると、そこに見えたものに二人は目を見開いた。
「シャリノ!?」
「よう」
須臾の大声に、シャリノは片手を上げて挨拶に代えた。シャリノの横には、相変わらずの無表情を携えるベリザも居た。
「どうして此処に……?」
此方に向かってゆっくりと歩いてくる二人に、須臾は立ち上がった。二人の出現は予想外も良い所で、ただただ驚くばかりである。
「色々となあるんだよ。大人の事情って奴さ」
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい