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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 鋭い眼差しに燃え立つ深紅の髪は、以前ソルティーの前に現れた男と似ている。若干彼より年上に見えるが、それでも外見はまだ青年の域を脱していない。
【グリューメをどうしたのかを伺いに】
【どうもしていない。父の事から手を引けと言ったが、断られただけだ。外見通りに頑固で困る】
【良かった。この事で、貴方達まで争っては御母様に申し訳ないわ】
【そんな事を心配して、わざわざ訪れたのか? 暇な奴だ】
 物憂げに溜息を吐き出し、椅子に気怠く凭れる男に、クシャスラは小さく笑った。
【そう、暇なの。だから少しだけ私の話に付き合って】
【良いだろう。どうせ何もする事がない。で、どんな話をご希望だ?】
【オロマティス】
 その名前に男は露骨に顔色を変えた。クシャスラはそれを気にせず、また笑った。
【二つ返事だったらしいわね】
 ミルナリスがクシャスラの元へ訪れたのは、他を回った後だった。その時、他の者達の言葉を聞いた。疑問を胸に溜めるのを、命神は殊の外嫌っていた。
【それが目的か】
 グリューメの話は口実だったらしい。もっとも地の精霊神の行動など、クシャスラが見通せないはずはない。
 回りくどいやり方に不満を込めて言葉にすると、クシャスラは神妙さを演じるようにローブに隠れた顔を僅かに傾けた。
【どうしてかと思ったの。嫌いだったのでしょう?】
 答えたがっていないのがありありと判る者を前にしても、クシャスラの言葉は絶対の響きがあった。
 男はクシャスラの杖を眺め、眉間に深い皺を刻む。
 人の世で信仰されるのは、実生活に最も必要される火だ。その次ぎに水。恐らく命官クシャスラを信仰する者は、この世界では少ないだろう。しかしそれがそのまま神の力関係を現すものではない。
 決して敵に回せない相手を前に、火の精霊神ツァラトストゥラは、彼女の問い掛けに口を開かねばならなかった。
【彼の為だ】
 教えたくなかった事を渋々言い、語らなければならない己の不甲斐なさを嘆くように、片手が顔を覆った。
【このままでは、彼が滅んでしまう。父を失うよりも、彼奴が現れるよりも、彼を助けたい。それが理由で悪いか】
 今にも消えそうな“彼”の姿を思い浮かべているのか、ツァラトストゥラの語気は苦悩を滲ませていた。神であってもどうする事も出来ない運命に翻弄され、藁にも縋る弱さが其処にあった。
【いいえ。嬉しい答えだったわ】
 同じようにサティロスを助けたクシャスラは、優しい微笑みをみせた。
【では、私は彼女の為に、貴方は彼の為に、オレアディスの思惑に協力しましょう】
【無駄にならなければ良いが】
【総ては彼女次第。信じましょう、同じ子を持つ親として】
【ふん】
 語られた気恥ずかしい言葉にツァラトストゥラは顔を背けた。それをクシャスラはまた笑い、凛とした響きを杖から生じさせながら、現れた時と同じように姿を掻き消した。
【何時まで傍観者で居られるか。オレアディス、彼奴を許すな】
 ツァラトストゥラは呟き、過去の普遍だと信じていた世界を思い浮かべながら、静かに目を閉じた。





 須臾が買い物を済ませて帰ってきたのは、昼近くだ。大量の恒河沙の食事と、自分の少量の食事。それとハーパーの為の純水で、須臾の両腕と背中は埋まっている。
「だぁ〜重いぃ〜〜」
 吹き出した汗を拭いも出来ずに、須臾は地面に倒れた。
「遅かったな……、石鹸の匂いだ。一人でお風呂入って来たんだ」
「悪いか。だったらお前も街に行く?」
「やだ」
「だったら文句は無し。これは僕の正当な報酬だよ」
 此処でソルティーを待ちだしてから十五日。風壁が無くなる気配は無い。
 須臾は恒河沙を押しのけて、買ってきた物を袋から取り出して並べる。今回は食料だけではなく、暇潰しになる様な物を買い漁ってきた。
「ソルティー今どの辺だろ」
 恒河沙が風壁を見上げてハーパーに聞く。
 ソルティーが居なくなってから三日目に、ハーパーが取り出したのはリーリアンを中心にした当時の地図だった。其処にはハーパーが線を引いた風壁の位置と、今自分達の居る場所が記されていた。
「主の脚ならば、既にマグリートに近いであろう」
 ハーパーが地面に広げた地図に描かれた、王都マグリートを指差す。
 リーリアンの王都は国の中心に存在し、村や街が王都を取り囲んでいた。国土は信じられない位に広く、整備された道は当時の栄華を見せるようだ。
 初めてこの地図を見た時、須臾は思わず口笛を吹いた。
「こんな国の王様になる筈だったのかぁ。ソルティーが羨ましい」
 ハーパーに暇潰しに聞いたリーリアンの昔話は、本物のお伽噺の王国だった。
 竜族に護られた豊かな国。風の精霊神サティロスの恩恵を一身に受け、恵を受けない年は無かったという。この国の王になるのなら、富と権力総てを手に入れたと言い切って良い程で、須庚の想像力を総動員させてもまだ足りなかった。
 一方恒河沙は、須庚が気軽に発した羨望の言葉に目を丸くした。
「ソルティーって、王様……?」
「……あっ」
 やばいと思って口を塞いでも遅い。恒河沙は驚いてハーパーの方へ顔を向けると、しっかりと頷かれた。
 ハーパーからすれば今更隠す事はないとの気持ちでしかなく、平民から見た国王の遠さなど考えも及んでない。それに気付いたのは、恒河沙がどっぷりと落ち込んでからだ。
「王様……」
 王様が何をする人なのか知らなくても、物凄く偉いのは知っている。
 ずっとソルティーは偉い人なんだと思っていたが、物凄く偉いとは思っていなかった。恒河沙にとってこの事は、またまた自分を惨めにした。
「王様って、いっぱいいっぱい偉い人なんだよな。ソルティー帰ってきても、俺、側に居たら駄目なのかな?」
 家柄や身分が持つ意味は理解出来ないが、それを重要視する世間は何度か見てきた。人の方のミルナリスもそう言っていた。傭兵と言う生業が、底辺に近いのも判っている。
 身分違いと言う言葉は浮かんでこなかったが、ソルティーとの間に距離が出来た。
 急にしおらしく考え込んだ恒河沙の頭に、須臾が手を置いた。
「何一人で打ちひしがれてる訳? らしくないよ? らしくない。ソルティーはもう王様じゃないんだし、お前が考え込む事は一つもないよ」
「でも王様なんだろ?」
「馬鹿だねぇ、この子は。喩えそうでもあのソルティーが、お前を捨てる筈ないでしょ。考えない考えない。考えるのはソルティーが帰ってきてから。ね?」
「……うん」
 恒河沙はソルティーの国が滅んだ理由も、その方法も、何時滅んださえも知らない。
 中を見せない風壁の向こう側に、生者が一人も存在しない事を知らない。ソルティーが死者の国の王でしかない事も、既に死んだ事も。
 ハーパーは恒河沙と須臾の話に口を挟まず、彼さえも知らない、滅びたリーリアンの今に思いを馳せた。
――王とは一体何であるのか。国が滅んでも、護るべき民を失っても、存在しなくてはならぬ王とは……。
 ハーパーにとってはソルティーが唯一無二の主であり、リーリアンを統べる唯一の存在だった。しかし自分がそれを強く思い、望み続けた事で、彼を無意味に縛り付けていたように思う。