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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 後ろを振り返ると、風壁ではない灰色の壁が在るだけで、その向こう側は見せない。この壁の向こうで、誰が何を思っているのか、ソルティーに伝わる筈がない。ただ、きっと恒河沙は怒り、そして悲しんでいるだろうと、容易に胸の中を満たしてしまう。
――謝っても許しては貰えないだろうな。
 謝罪を口にする機会が在るとも思えないし、無い方が良いに決まっている。
 ソルティーは口元に笑みを刻みながら、壁に背を向けた。
 眼前に広がるのは色のない世界。総てが石。風にそよぐ草木の生える道も、澄み渡った空も、其処の有る物の総てが石で造られた死の世界。もしも誰かの目が捉える事が出来たなら、色を備えるソルティーの方が異質に見えるだろう。
「矢張り、城か」
 生きとし生ける者総ての命を喰らい、石へと変貌させられた世界に、皮肉にも今は理の力で溢れている。
 己が出現するためにこの国の命を奪い、国を滅亡させた。封印され、結界を張り巡らされ、それでも喰らうのを止めない者の力が、結界の中に充満していた。
 満たされながらも一つの方向へと向かう力の流れが、その者が何処に居るのか教えてくれた。
 ソルティーは剣を鞘に直しながら歩き出すが、直ぐにその二つの行為を止めた。
「妖魔ではないな。地精か」
 言葉に呼応する様に、ソルティーの前で石の大地が柔らかく蠢きだす。それは、一つ、二つ、三つと石柱の如く立ち上がり、人に近い形を造る。五つ目が最後に形を造りだした頃には、一つ目がソルティーに向かって腕を上げた。
「己が…鍵……か…」
 男の形を象った地精の声は、酷く辿々しく響いた。体を動かせば、崩れはしないものの細かな破片をぼろぼろと地面に落としていく。命の無い石を、無理矢理自分達の身にした為だろう。
 ソルティーは右のローダーを鞘に直して、左から右へと剣を持ち替えた。
「鍵と言う名は無い。ソルティー・グルーナだ」
 楽しそうに微笑みながら、瞳は黒いまま冷たく輝く。
 石像達は無機質な表情を浮かべ、ソルティーへと前に踏み出した。
「今は特に気が立って居るんだ、対の者だろうと手加減をする余裕は無い!」
 ソルティーは完全な八つ当たりの宣告と同時に、石像に向かって走り出した。
 剣に刻まれた文字から放たれる輝きは黒。
 ソルティーの今の気持ちを現す色は、彼の言葉の通りに、石像に宿る命を砕く漆黒の輝きだった。





 風壁の向こうへと蒼陽が沈んでいくのを見るのは、これで七回目になる。
 ソルティーが風壁の向こう側へ行ってしまってから、恒河沙は何度もぼろぼろになるまで突入を試みた。しかし弾き返される。火傷を作っては須臾に治療してもらって、また向かう。
 二度目の時には大剣を風壁に叩き付ける暴挙にも及んだが、これまで何度も不思議な力を出してくれた大剣も、ただ弾かれるだけだった。
 恒河沙が何も出来なくなったのは五日目だった。
 ソルティーを飲み込んだ見せ掛けだった筈の風壁が、完全に風壁へと戻ったのだ。
 須臾がそれを察知して、ハーパーと共に恒河沙を止めなければ、恒河沙の体は別の意味で風壁に飲み込まれていただろう。
「……ソルティーの馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿」
 恒河沙は風壁に石を投げ入れながらソルティーを待った。
 待てと言っておきながら、何処で待てとも、何時まで待てとも言われていない。しかもソルティーが言ったのは、風壁が無くなるのを待てだった。自分が帰ってくるのを待てとは言わなかったのだ。
「今度会ったら、絶対殴ってやるからなぁ」
 手に持っていた残りの石を一度に投げ入れ、それが霧散するのを睨む。
 考えるのは何時も、ソルティーと帰ってきた時の事ばかり。なんと言って叱ってやろうかとか、何発殴ってやろうかとか。
――会いたいよう。待つなんて嫌だよ。
 あと何日此処で待てるのか。須臾の跳躍出来る回数は残り少ない。この精霊の住めない場所からの跳躍は、ソルティーの造った宝玉の力でも、二回跳躍をすれば宝玉一個が破裂する。
 残り一個になればそれを使って街へ帰ると、無理矢理約束させられた。そこでソルティーを待つと。
 帰ってこないとは考えない。それは須臾もハーパーも同じだ。だから誰も、自分から此処を直ぐに離れようとは言わなかった。此処にいれば、風壁が消えたら直ぐに迎えに行く事が出来る。だから危険を承知で此処にいた。
「恒河沙、ご飯食べよ」
「うん!」
 須臾の呼び掛けに恒河沙は元気に返事をした。
 空元気も元気の内。気弱になって、いざという時に力が出ないのは避けたい。
 今は須臾の用意してくれた食事を一杯食べて、そしてソルティーに会った時に、まず最初に、彼の好きな笑顔を思いっきり見せて上げたかった。
 取り敢えず、殴るのはその後だ。



 立て続けに遅い来る地精の群は、ソルティーには些か物足りない敵だった。
 彼が振るい続けるローダーは、一瞬でも触れれば精神体を破壊出来た。理の力を喰らうだけのもう片方のローダーでは、高位精霊の力総てを奪うのに僅かではあるが時間が掛かる。
 手加減を一切捨てたソルティーは、相手が滅する方法を選んだ。
 再生の道を与えない剣に、その身を砕かれる仲間を見つめる精霊達に、少しずつだが恐れが芽生え始めた。しかし退く事をしないのは、彼等の主の言葉が存在するからだろう。
「それ程消えたいのか」
 絶えず漆黒の輝きを放つ剣を突きだす。
 戸惑う精霊の向こうには、田舎の風貌を見せる石の村。道には数え切れない、嘗て普通に営みを続けていた彫像が立ち並ぶ。
 外の明かりを取り込もうと窓を開ける者や、偶々道で出会って挨拶を交わす者達。子犬を抱き上げようとする子供や、これから畑仕事に向かおうとしている老人など、誰もが今にも動き出しそうな姿を晒し、時間さえも閉ざされたこの国で石となっていた。
 誰も自分が死ぬのだと、考える暇さえ与えられなかった。
 国の端から生じた命を喰らう乾きは、一瞬でこの村を石へと変えた。脅えも知らぬまま死を迎えただけましかも知れないが、そうだと言い切るにはあまりにも無惨だった。
「汝を、これ以上、父へ近寄らせる訳にはゆかぬ」
 次々と姿を現す生きた石像の言葉は同じ。
 ソルティーの持つ鍵の役割を、成り立たす事は出来ない。その理由も、そうする事で何が起こるかも知っていながら立ち塞がる者達に、ソルティーは怒気を露わにする。
「それなら阻んでみせろ。出来なければ、滅びるのみだ!」
 もう自分を抑え、力を加減する必要は無い。眼前の敵を倒し、それを操る者の前に立つだけを思い浮かべた。
 剣を翻し、轟音を響かせ放たれる地精の魔法を、一閃で消滅させる。次々と発生する地精を、次々と葬り前へと進む。
「私の国を乱した報い、許されると思うな!」
 沸き上がる怒りのまま、ソルティーは剣を振るい続けた。
 痛みを知らず、恐れも捨てた。力を持つだけの人形を倒せるのは、最早精霊の中には存在しない。





【宜しいですか?】
 部屋に緩やかな声がこだまする。その後にローブを纏った杖を持つ女性が現れた。
【何の用だ?】
 命官クシャスラを前にして、豪勢な椅子に腰掛けた男が、面白く無さそうな返事をする。