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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 言われた言葉に須庚はハーパーの手元へと視線を向けた。彼がわざわざ剣の片割れを預けた事に疑問を感じていたからだ。しかしそれをしっかりと意識する前に、ソルティーの手は風壁に触れていた。
「こうも露骨だと、腹立たしくなるな」
 風壁に触れたソルティーの体は弾かれなかった。
 まるで固い壁に触れているように、彼の手はしっかりと固定され、その意味に自嘲さえも浮かべてしまう。
「私だけが先へ進めるそうだ」
「ソルティー……」
 呟かれた声は、安堵ではなく悔しさが多かった。風壁に触れたソルティーの手は両手となり、何かに耐えるように拳が作られていった。
「この先に私の民がいる。死してなお葬られもせず、そこに生きていた事さえも忘れ去られた私の民がいるんだ。助けてやりたい。それが不可能なら、せめてここから解放してやりたい。その為に私は戻ってきたんだ。この現実から逃げる為じゃない」
 自分自身に言い聞かせる言葉で、ソルティーは風壁の向こうに語りかけた。
「須庚」
「ん……、なに」
「今までありがとう」
「……返しようがない時に言うなよ」
 受け入れるのは諦めるのと同じだ。しかし見せ付けられた現実と、祖国への無念を抱えるソルティーに対して引き返そうとは言えない。
――きっとソルティーには見えてるんだ。
 無数の民が折り重なって死んでいる様が。壁一つ向こう側に、大切な家族が倒れているのを知っていれば、どんな事をしてでも壁を打ち崩して駆けつけるだろう。そしてそうする為に此処まで来たソルティーを、須庚は力尽くで引き離す事は出来そうになかった。


「どうやらこの先に進めるのは、私だけらしい」
 風壁の前から戻ってきたソルティーは、何か憑き物が落ちた様子を伺わせる気楽さで告げた。
「ソルティーだけ行けるってどう言うこと? なあ、どうしてそうなるんだ?」
 恒河沙が納得が出来ないとソルティーと須臾を交互に見比べ、二人に聞くがその答えはどちらも口にしない。
「ハーパー?」
 答えてくれない二人からハーパーに顔を向けると、彼はゆっくりと首を横に振った。再び須庚を見れば、彼さえも仕方ないと言わんばかりの顔を横に振るのだ。何も教えられていない恒河沙は、一気に不安の穴に叩き落とされたようになる。
「なあ、どうしてなんだよ? 説明してよ! 俺、ソルティーと一緒に行かなくちゃなんないんだからっ!」
 誰も何も言わないのが不安でたまらない。
 何か一言でも言ってくれれば、こんなに嫌な気持ちにはならない筈なのに、須臾もハーパーも苦しそうな表情を見せるだけだった。
 ハーパーは始めから知っていた。自分がソルティーと旅をする理由は、彼と共に戦う事ではなく、自我を失う危険性が大きかった彼と戦う為だ。その為だけに晃司に用意された。
 須臾は結界が風壁である事の重大さを知り、あまつさえソルティーの抱える苦悩を理解して、諦めを余儀なくされた。考えても居なかった、人の身に余る攻防。聞かされていただけでは、到底信じられなかった目の前の現実に、悔しいがソルティーに決断を翻させるだけの考えが出てこなかった。
 恒河沙だけが突然の出来事となり、勝手に納得してしまった三人に納得できず、感情を尖らせてしまう。
「ソルティーッ!」
 恒河沙が俯いてから大声を出したのは、ソルティーの顔を見る勇気が出なかったからだ。
 須臾とハーパーの様な諦めではなく、さっきから彼の顔に浮かんでいたのは安堵で、そこに自分が行けない事も含まれるのを見ていたくなかった。
「また嘘なのか? 一緒に行くって約束したのに、どうして何も言ってくれないんだよっ!!」
 握り締めた両手が震え、強く瞑った瞼が熱くなる。
「俺も行く、どんなとこでもついてく。連れてくって言ってよっ!」
「恒河沙、それは無理だよ」
「須臾は黙ってろよっ、俺はソルティーに言ってるんだっ! だって変だもん。ソルティーだけが行けるなんて、絶対に変だっ!」
 頑なに否定する恒河沙に、その答えを明確に口に出来るのはソルティーだけ。
 その彼が何も言わないのが、余計に恒河沙の耳を塞いだ。
「ソルティーが入れるなら俺だって入れる。どんなとこだって、俺はソルティーと行けるんだからっ!」
 信じれば叶えられる。どんな事でもソルティーとなら乗り越えられる。
――こんな壁なんか!!
「俺がぶっ壊すっ!!」
 怒りで頭に血が上った恒河沙は、背中の大剣を外して柄を握った。大剣を握った時には既に走り出していた。
 だが、須庚の叫び声と共に伸びてきたソルティーの腕が、恒河沙の腰を抱き留めて足を浮かせた。
「ソルティー!!」
「恒河沙」
 止めるなと叫ぶ恒河沙がに対して、ソルティーが掛けた声は優しかった。暴れて抜け出ようとする体を止める腕も同様に優しく、強制的なものを感じさせないそれは、酷く悲しさを感じさせた。
 次第に恒河沙の抵抗が力を弱めていくと、泣き出してしまいそうな彼の頬に、ソルティーは頬を寄せた。握っていた柄が手から解かれ、ガランと音を立てて地面に落ちた。
「俺も……ソルティーと行きたいんだ……」
「解ってる。お前の気持ちは本当に嬉しいよ」
 例え死ぬと解っていても、恒河沙なら突き進むだろう。それが自分の為だと思えば、嫌だと思えるはずもない。
 勿論それは、無謀な方向への強さだ。
 ソルティーは恒河沙を抱きかかえたまま風壁に振り返り、少しばかり真剣な表情で灰色を見詰めた。
 今抱える大切な者の重みと、向こう側で自分を待っている者達の重みは、比べようはない。けれどもしも自分達が普通の人間であったなら、この腕の重みは違っていたとも思う。
《私は今更何も望まない。永劫の闇も受け入れよう。私がこの子の宿業も全て担う。だからこの子には扉を開かないでくれ》
「ソルティー……?」
 誰かに語りかけるような響きの言葉は、その意味まで恒河沙に伝える事はなかった。ソルティーは恒河沙を地面に下ろすと、不安を抱える彼の頭に手を置いた。
「恒河沙、今度は二人で試してみるか?」
 もう一度駄目だと諭されると思っていたのに、聞こえた言葉はぜんぜん違っていた。それどころかソルティーは、少し困った、でも大好きな微笑みを浮かべている。
 透き通った空色の瞳が「どうする?」と問い掛けた時、恒河沙は驚くのを止めて力一杯頷いた。
「うんっ!」
 ソルティーは喜んで返事をする頭を撫で、真剣な顔を風壁に顔を向けた。
「試すのは一度だけだ。もしそれで駄目だったら、待っていてくれ。何があってもこの中に入ろうと考えずに、この壁が無くなる事だけを信じてくれないか」
「……でも」
「お願いだ。一度しか試せない事でもあるんだ」
 失敗すると結界が壊れ、風壁の均衡が崩壊する。そうなれば一気に風壁が災禍となって襲いかかり、何もかもお終いになってしまう。
 その言葉を受けない限り一人で行くと言うソルティーに、嫌だけど頷くしかなかった。
 本当は行くなと言いたかった。
 それを口にしたら、恒河沙の嫌いな顔をソルティーにさせてしまう。辛そうな顔で首を横に振るのが判ってしまうから、唇を噛むしか出来なかった。
 ソルティーは、渋々納得を強いられた恒河沙から手を放し、ハーパーへと手を差し出した。