刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
酷く情けない言葉を恒河沙の胸に額を押し当てて言った。
そう言う事で願いが叶うなら、この力を持つ者に頼ってしまいたかった。しかし、それこそが叶わぬ願いだろう。
――どうすれば冥神からお前を取り戻せる。それさえ判れば……。
恒河沙の力が諸刃の剣になる恐れが、未だに消えていない。
彼の事に関してだけは、何一つとして先が見えず、目的の場所に彼が入れるかどうかさえも、今はまだ不確定な話だ。
もしも恒河沙が結界の中に入られる存在であるなら、ここに置き去りにしても来てしまうだろう。ならば彼が彼のままで在り続けられるようにするには、交錯するだろう僅かな機会に賭けるしかない。
ただ、それに頼らなくては自分を生かせない悔しさに、ソルティーは唇を噛み締めた。
「大丈夫。俺、頑張るから。一杯頑張ってソルティーの敵をやっつけるから、だから、だから……」
俯いたソルティーの顔を見る為に体を動かす恒河沙に、ソルティーは自分から顔を上げた。
「だから、全部終わったら、俺を……ちゃんとソルティーの、お嫁さんにして」
「…………」
真っ赤になって恥ずかしそうに言っているだろう姿を、思い描くだけで笑みが零れる。
偽りかも知れないというのに、胸の奥に宿るのは確かな温もりだった。
繋いでいた手を放し、情けなくも流してしまった涙を拭って、今度は本心から嬉しいと思う微笑みを浮かべられた。
「こんな情けない男は嫌だと言っても、聞き入れないよ?」
「言わないから大丈夫! それに、旦那様を待つのもお嫁さんのお仕事だって、須臾に言われたから、俺頑張るんだ」
自分の言葉に頷きながら拳を造る。
恒河沙から伝わる明るい力が、心を羽根の先で撫でるような感覚となっていく。その感覚は不思議なほどに穏やかで、素直な気持ちで口を開く事が出来た。
「お前が言うと、全部そうなる様に思えるよ」
「だってそうなるもん。須臾が言ってたよ、ソルティーはひきゃんへきすぎるって」
「……クッ」
指を突き出したのは須臾の真似なのか、自信たっぷりに語られた恒河沙の言葉だったが、やはりそこは恒河沙らしく盛大に間違えていた為に、堪えきれず笑ってしまう。
「恒河沙……それを言うなら悲観的だ」
「ひきゃんれき……」
「悲観的、ひ・か・ん・て・き」
「ひぃかぁん〜……てき…?」
「そう。意味は判ってる?」
笑いを交えた問い掛けに、真剣に首を振る仕種に笑いが納まらない。
心から楽しいと思う。永遠にこの時が続けばいいと。だが束の間だからこそ、それをそうとして感じられ、いつか終わると知っているからこそ大切に出来るのだと、今のソルティーは自分の経験で知ってしまっていた。
「悪い事ばかり考えてしまう事だよ。確かにそう言われても仕方がないけど、お前がその反対だから、丁度良いだろ?」
「……そんなんで良いの?」
須庚の言い方は伝染する物なのかも知れない。
まるで彼の様な言い方で問題を逸らされて、更にからかわれている様な気もするのも須庚っぽい。
「ああ、それで良い。そういうお前の楽観的な所が、私は好きだよ」
「え、あ、……うん」
――なんかソルティーがずるしてる気がする。
それでも、極至近距離で囁かれれば、何も言えずに頷くだけになってしまった。
――まっいっか、また好きって言ってくれたし。……あとなんだっけ?
「ソルティー、あいしてるって何? 何する事?」
前にミルナリスが言っていたり、須臾が美味しいご飯を作ってくれたお姉ちゃんに連呼していた記憶も在るが、それがどんな意味なのかは聞いた事がない。
「俺、アルスティーナとおんなじって事?」
言葉の意味よりも、同じ言葉を言ってくれた事が問題。恒河沙はそれが途轍もなく嬉しい事だと思って、思いっきりの笑顔になった。
ソルティーはその笑顔を失いたくなくて、否定の言葉を飲み込んだ。
「ああ、同じだ」
――同じ愛情なんて存在しない。
そう考えながら、実際その違いを明確には表せない。
判らないが、言葉が喉を突いた。言っても良いと感じたのは、本当だった。
「愛は、人を好きになる事よりも、もっと相手を想う事だよ。好きになって、恋を覚え、愛を知る。忘れてはならない大切な感情だよ」
恒河沙に言い聞かせながらも、心の中では自分の言葉に疑問を投げ掛ける。言葉にする事で思い込みたいだけだと、何かが嘲笑する。
――判らないのは私も同じか。
どうにもならない自分以外の感情を抑え込みながら、ソルティーは自分の言葉に真剣に頷く恒河沙に、嬉しそうに微笑みを見せるだけだ。
「んじゃ、俺もソルティーの事をあいしてる。一杯いーーっぱいあいしてんだ」
「……クッ、ありがとう」
――真実かどうかは、最後に判る。その時まで、私が残っていれば良いんだ。
もうすぐ見せられるであろう結論を、知りたくもあれば、同時に知りたくないとも思うのは、“そうではなかった”という結末であって欲しくない願いの表れだろうか。
どちらにしても、その時は間近に迫っている。
夜が明ければ、躊躇う事無く村を出て、そして死者の待つリーリアンに向かわなくてはならない。
――私だけが入る事になれば良いが……。
壁がどんな形をしているのかさえ知らない自分に、一体その時何が出来るのか。
「本当に、お前と出逢えて良かったよ」
「うん、俺も」
恒河沙が抱き付いてくるのを受け止めると、体だけではなく心にまで、確かな温もりが浸透してくる。
――これが最後になるかも知れない……。
その二人きりの最後の夜をずっと、ソルティーはいつまでも腕の中に温もりを抱いたまま過ごす事となった。
episode.39 fin
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい