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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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「どんな……。そうだな、父も母も厳しい人だった。あまり会った事は無いけど、怒られた記憶しかない」
「会えなかったの? どうして?」
「……一緒に住んでいなかったから。私はハーパーと暮らしていたんだ。大人になるまで親とは暮らせない家だったんだ。でも大人になって私が家を継いだら、今度は親が家を出る。そんな環境だったよ」
 本を閉じながらソルティーは力無い笑みを見せた。
 重なったのは、イェツリという自分の母親の話をする時の須庚の顔。恒河沙にはまだ知らない感情だったが、会いたい人に会えない悲しさから浮かべられる表情なのは判る。
 だからその顔に恒河沙は両手を添えた。
「寂しかった?」
「その時は感じなかった。それが当然だったから……」
 ソルティーは頬に添えられた手に自分の手を重ね、その温もりを感じながら目を瞑った。
「でも、今は寂しい。もっと話をすれば良かったと思うよ。親子として、一度も話をした事がなかったんだ。もっとも、年に数回、儀式があった時にだけ顔を合わせる程度しかなかったけどね」
 恒河沙には想像もつかない関係だった。
 自分や須庚も決して恵まれた家庭ではなかったけれど、ソルティーが口にするのは、もっと乾いた関係のように思う。
 けれどそれだけではなかったとソルティーは続けた。
「ハーパーから聞かされていた姿を想像して、会えなくても、優しい言葉を言って貰えなくても、ずっと尊敬していた。今になって父の優しさを知ったんだ。生きていればしてあげられる事が、もう決して出来ないのが、辛くて寂しいよ」
 何時も王であり王妃であった二人が、父や母になる日が何時か来ると信じていた。その日を知る事無く失ったのが悔しかった。
 あと数年だけでもあの瞬間が訪れるのが遅ければ、何かが違っていたかも知れないと、遣り切れない思いが募る。
「突然居なくなるなんて、死んでしまうなんて……思わなかったんだ…」
 悔しさを堪える為に俯いて、頬に触れた手を握り締める。
 初めて父の本心を知り、悲しみはこれまでよりも更に酷く、重たい物を詰め込んでいった。
「こうなると判っていれば、もっと期待に応える様に努力もしていた。私は、何も出来なかった」
 言葉にする程酷くなる、混在する感情が止められない。
 悲しくて、辛くて、悔しくて、苦しい。為す術もなく突き付けられた事実に対しての、抑えられない憎しみがそのまま口をついた。
「どうしてこんな事になってしまったんだ。父も母も、国中の誰も悪くはなかったのに、どうして死ななくてはならなかったんだ。皆、生きたかった筈なのに、殺される理由など無かった筈なのに、どうしてなんだ」
「ソルティー…」
 恒河沙は激しい憤りを言葉にしだしたソルティーの首へ片腕を回し、気が付けば自分の胸に彼を抱き締めていた。
 前に彼にして貰った慰める方法。――それしか知らなかった。
 だが彼の心の傷は、そんな慰めも遠く及ばないほどに深く、無惨な傷口に膿を滴らせながら今も疼き続けていた。
「私達が罪を背負っていたなら、その罰は甘んじて受け入れる事も出来る。しかし、そうではなかった。原罪は別に在った。どうして私達がその罪を背負わなければならない。どうして私達が死ななければならないっ!」
「ソルティー?」
「死にたくないっ! 誰もがそう思っていたんだっ! どんな罪かも判らない事で、死にたくはなかったっ!」
 誰かの事を言っているのか、それともソルティー自身の事を言っているのか。
 少なくとも恒河沙がその疑問を思い浮かべる前に、頬に触れた指が濡れされてしまう。
 激しかった言葉は呟きに変わり、握られていた手に力が籠もり、ソルティーの体は小さく震えていた。
「死にたくない、死にたくない、死にたく…ない……」
 恐れ戦き、何度も繰り返される言葉。
 意味のない自分の命に何も得られず、ただひたすら死を願っていた旅の始まり。
 何時狂っても、何時死を迎えても、それはソルティーにとっては死ではなく、やっと手に入れられる安らぎに等しいものだった。
 しかし今は違っていた。
「死にたくはない、生きたいんだ。生き続けて、今まで出来なかった事をしたいんだ!」
 ソルティーは慟哭に声を震わせながら、持っていた本を落とし、自分に生きる事を願わせた者の背に腕を回す。
 掻き抱くようであり、縋り付くようでもある力強さに、これまでどれだけ深い辛苦に彼が嘖まれていたのか。声や力だけではなく、彼の身に纏う全ての物が痛みを放ち、恒河沙の胸まで痛める程だった。
「お前と生きていたい。ただそれだけなのに……何故っ!!」
 ソルティーは流れ落ちる涙もそのままに顔を上げ、この暗がりでは最早微かにも見えない恒河沙を、必死に見ようとした。
 願う事の無意味さも、それを言葉にする事の罪悪も、判っていて口にしてしまった。残される者の辛さを誰よりも知っていた筈なのに、自分がどれだけ生きたかったかを知って欲しかった。
 恒河沙は目の前で子供の様な顔を見せるソルティーの涙を拭う為に、彼の首に回していた腕を前に出すと、背に回されていたが解かれその手に握られた。
「大好きだよ。愛している。――でも、今はお前を抱けない」
「…え、あ…い……?」
 知らない言葉だったわけではない。
 ましてやその言葉の持つ意味に驚いたわけでもなかった。
 嘗てアルスティーナにだけ向けられた言葉が自分に向けられた事に、恒河沙は戸惑いを感じずにはいられなかったのだ。
「愛してる。もしも私が生き残って、そしてその時に、お前がまだ私の事を今と同じ様に想ってくれていたなら、お前が考えている事総てを叶えても良い。その時には私の総てをお前に差し出しても構わない。だから……、だから、それまで待っていてくれないか」
 自分の言葉総てに困惑する恒河沙の手を引き、自分を繋ぎ止めてくれていた指先に、叶えたい約束の口付けをする。
 唇に触れるだけに誓いが終わる時には、恒河沙は泣きそうな顔に変わっていた。
 ソルティーの手を握り返しながら、口を突いたのは出したくない疑問。
「どうしてそんな事言うんだよ。なんか、ソルティー死んじゃうみたいじゃないか……」
 戦いに行って負けてしまう。ソルティーが語ったのは、そんな死ではないような気がする。
 もっと違う、もっと別の、当て嵌まる言葉を探し出せない、酷い不安がつきまとう何か。
「俺、嫌だからな。ソルティーが死んじゃうのなんて、絶対に嫌だからな。絶対俺がソルティー護るし、俺も死なないし、どんな奴だって俺がぶちのめすし、帰るのだってみんな一緒なんだからな」
「……ん、そうだな」
 気弱な言い方をしたソルティーに、恒河沙は一瞬だけ視線を鋭くした。
「そうなんだ! ……ずっと一緒だよ? どんな事があっても、俺とソルティーはずっと一緒なんだよ。ソルティーは死なない、俺が、絶対にそんな事させない!」
 声を張り上げたのは、彼に聞かせるためだけではなく、自分の不安を吹き飛ばす為でもあった。
 だからこそ恒河沙の声には力強さがあり、それがソルティーを動かした。――これまでと変わらない、二人だけの繋がりがそれを叶えさせる。
「ああ。お前が護ってくれ。私を殺させないでくれ」