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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 逃がしたかったのは、生きていて欲しかったのはソルティーだけだ。王と言う役目上産まれた他の王子ではなく、愛したレビオナとの間に産まれた子供だけを逃がした。
 王ではなく、身勝手かも知れないが、あの混乱の中でユイディウスが最後に選んだのは、親としての愛情だった。
「胸を張ってお帰り下され。王は主の事を誇りに思って居られますぞ」
「……ああ」
 ソルティーは涙を堪える為に、瞼をきつく閉じた。
 帰ったとしても、もう二度と話をする事も、子供の時の様に怒られる事も出来ない。どんな事を言われても構わないから、もう一度生きて会いたかった。
 そして総てを奪った者への憎しみは強くなる。
 いつの間にか外からの明かりは少なくなり、部屋は薄暗くなっていた。
 ソルティー達はその中で、ただじっと佇むだけだった。



「ソルティーが居るのはこの家ですかぁ?」
 恒河沙が紙袋とカンテラを手に、誰も居ない家を片っ端から訪問して、やっとソルティーの所まで訪れたのは、蒼陽が昇りきってからだった。
「あ、居た居た、居ましたぁ」
 まだ明かりも灯していない部屋に勝手に入り込み、ソルティーの前まで来ると床にカンテラを置く彼に、先に声を掛けたのはハーパーだった。
「何用だ」
「うん、須臾から差し入れ。さっき街から帰ってきたから、はい」
 恒河沙はハーパーに透明な液体の入った、大きな瓶を差し出す。
「ハーパーには純水な。んでぇソルティーにはこれぇ、お酒とぉ煙草ぉ」
 紙袋をそのままソルティーに渡そうとするのを、ハーパーが慌てて奪った。そして床に中身を出して、三箱も用意されていた煙草を掴んで握りつぶした。
「あ〜あもったいない」
「この様な物は害のみ。此方は感謝するが」
 ハーパーは自分の手には些か小さい瓶を振り、少し嬉しそうな顔を見せる。
 恒河沙はその顔に仕方なく頷いて、床に転がった酒瓶を拾いソルティーにもう一度差し出す。
「んじゃぁお酒だけ、はい」
「あ、ああ」
「んでねぇ、俺ちょーっとソルティーと話がしたいんだけど……」
 ソルティーではなく、ハーパーに向かって恒河沙が上目遣いに言いだし、ハーパーは自分の持った瓶と恒河沙を見比べ、
「うむ、我はこれを外で戴くとしよう。では主」
「ハーパーッ!?」
 簡単に買収されて家を出ていくハーパーを、慌てて追い掛けようとするソルティーを、恒河沙は腕を掴んで逃がさなかった。
「お話するのぉっ!」
「………何のだ?」
 背中に薄ら寒いものを感じながらそう聞くと、ボンッと恒河沙の顔が真っ赤になった。
――やっぱり……。
 恒河沙らしくないもじもじした動きに、冷や汗がでる。
 またしても須庚に何か吹き込まれたのは明白で、“お嫁さん発言”を上回るのも確実そうだ。
「恒河沙……須臾に何を言われたか知らないが、話だけなら居ても構わない。話だけならな」
「あ……う……」
――須臾の言った通りになんないよぉ〜〜。
「で、話は?」
 あくまでも話し以外はするつもりはない。
 恒河沙が須臾に何を入れ知恵されて此処に来たかは、彼の様子を見れば直ぐに検討がつくから、最後まで“話し”だけに拘るつもりだ。
 先に釘を差された恒河沙は、頻りに須臾が教えてくれた攻略方法を、思い出そうと懸命に首を捻る。
「話は?」
 恒河沙の頭を持っていた日記で弱く叩き、早々の決断を促す。
 恒河沙の考えている事を、言葉で直接拒絶したくなかったから、早く須臾の言った事など忘れて“話し”だけをして帰って欲しかった。
「……あのな、ほんとは話じゃないんだけど」
 掴んでいたソルティーの袖をしわくちゃにして、なんとかそう言ってみたが、答えは頭を小突く本の重みと同時に聞かされた。
「話だけ」
「あう〜〜」
「それが嫌なら、須臾の所に帰りなさい」
「それは……嫌だ……」
 あからさまに距離を置かれる事はなくても、二人だけにして貰えていない。須庚やハーパーが邪魔だとは思わないが、なんとなく二人きりでべったりしていたいのに、そう出来なくなってもうどれだけ経つのか。
――もう俺の事嫌いになっちゃったのかな……。
 そういう感じは一切伝わってこなくても、こう須臾が自信満々に教えてくれた事と違えば、考えたくなくても考えてしまう。
 ソルティーは、なんとか現状維持をしようとしている恒河沙の姿に、気の滅入りそのままに肩を落とした。
「ちゃんと座って話そう。……とは言っても此処には、椅子も捨てられて無かったな」
「ベッドも? ――いてっ!」
 思いの外素早く、それも手加減無しで頭を叩かれ、思わず彼から手を放してしまった。
「此処で良い。此処に座って話をする」
 ソルティーは埃が舞うのも気にせず荒い仕草で床に腰を下ろし、片膝を立てもう片方も折り曲げてその上に本を置く。その後、立ち尽くしたままの恒河沙に顔を上げた。
「座りなさい」
 と強めに言って指さしたのは、自分の前の床だった。
「……うん。でも、ソルティーの膝の上がいい」
「話をするだけなら、こっちでも同じだろ?」
「おんなじじゃない。ぜんぜんおんなじじゃないだろっ」
――ちょっとでも近くがいいもん。
 恒河沙はソルティーから本を奪って、無理矢理自分の体を脚の上に乗せて向かい合った。
「こっちがいいんだ。ソルティーは俺がひっついてたら嫌? ……俺の事、嫌い?」
 間近から感じさせられた不安に、ソルティーは躊躇無く首を振る。
 そうする事で直ぐに恒河沙の抱く安堵の気持ちが伝わってきた。たったそれだけの事だというのに、腹立たしいほどに自分の気持ちさえも揺り動かされてしまう。
「だったらここが良い。どこでもいいけど、ここが良い」
 ふてくされた様に口を尖らせ、絶対に動かないとソルティーの腰のベルトを掴む。
 離れたくない気持ちの表れが握る力となって、指の先を白くさせた。
「だから、ここでお話しよ」
「はいはい、判ったから、日記を返して」
 恒河沙に何時投げ飛ばされるか気が気ではない日記に手を伸ばし、折った脚を伸ばしながら取り上げる。
 恒河沙は少し位置の上がったソルティーの顔から、床に置かれた本に目を移して、また顔を上げた。
「にぃひって何?」
 初めて聞く言葉に素直な関心を示す所は、須庚からどんなに妙な知識を入れられようと変わらない。
 ソルティーは置いた本をもう一度拾い上げ、恒河沙の前で途中の頁を広げて見せた。
「日記だよ、日記。その日に在った出来事をこうやって、日付と、自分の感想とかを交えて書き記すんだ」
「ソルティーの? ……なんて書いてんの?」
「いや、私の父のだ。私も先刻初めてハーパーから受け取った物だけど、私の産まれる前後の事が書いてあったよ」
「ソルティーのお父さんてどんな人?」
 これから行くというソルティーの生まれた国での話は、恒河沙は殆ど聞いた事がなかった。
 聞く必要がなかった事もあるが、大きくはソルティーがそれを語りたがらなかったからだった。しかし今は、彼は少し違うように感じた。
 ただ辛く苦しそうなだけではない、もっと温かい何かを感じられたから、恒河沙は素直に問い掛けを口に出来、返される言葉も躊躇いが無かった。