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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 ソルティーが聞けばまた口論を引き起こしそうな企みを口にして、恒河沙を抱き込んだままベッドに倒れた。
「お嫁さんは時には辛抱強く待つものなのよ、僕の愛しいリタとおんなじでね。旦那さんを待つのもその気にさせるのも、お嫁さんのお仕事だよ」
 須臾はまた余計な浅知恵を恒河沙に植え付ける。
 その話を恒河沙は真剣に頷いて、空っぽの頭に放り込んでいった。


 ソルティーが選んだ家は、恐らくこの村の長が住んでいた建物だろう。村の者達が集まれる様に広く造られた一階の広間は、ハーパーが体を伸ばせる程の広さがあった。
「此処が最後で御座いますな」
「ああ。……感じるか?」
「無論。父より賜りしこの鎧に、祖国の想いが伝わります」
 ハーパーは身に着けた鎧に手を当てて、打ち寄せる感慨に目を瞑る。
 ソルティーもそれは同じらしく、使い込んだ為に形を変えた鎧に触れた。
「父は許してくれるだろうか。私がこの鎧を着けて帰る事を、少しでも良く思ってくれるだろうか」
 記憶に残っているのは、何時も自分に向けられていた父の静かな怒り。優しい言葉は一度も与えられなかった。
 期待されていたのは判っている。それに応えられなかった己の不甲斐なさも、誰に教えられなくとも知っていた。だから尚更王としてではなく、父としての言葉を渇望した時期もあった。
「王は、誰よりも主の事を思って居られますぞ。その鎧とローダーが、何よりの証では御座いませぬか」
「………」
 ハーパーが自信を持って語る事は、ソルティーの不安を拭い去るだけの力は無かった。
 ソルティーが逃がされたあの日、予め用意されていた鎧や剣は、国にとって失う事の許されない品だったからだろう。もしあの時逃がされるのが自分でなかったとしても、誰かがこれらを持って逃がされていた筈だ。
 しかも結局は何百年と異なる場所に幽閉され続け、祖国復興は遂げられぬ夢となり、思い浮かべる父達の姿でさえ、振り向かせる事は出来そうにない。
 押し黙ったままのソルティーに、ハーパーは一度だけ溜息を吐き出した。
 そして徐に右手を掲げ、不安定になった空間に指を差し入れた。
「王には我が生涯、何人にも触れさせるなと命を受けておりましたが、これを……」
 ハーパーがソルティーに差し出したのは、何処にも題名は書かれていない、質素な革張りの本だった。
「王は王であるが故に、自らを厳しく律して居りました。王妃とて同じ運命を選びし方。しかし、子を思う心を捨て去った訳では御座いませぬ」
 受け取った本を開くと、最初の頁には日付だけが記されていた。ソルティーは指先を紙の上に滑らせて、そこに封じられた文字という思いを感じとっていく。
 書かれていた日付が何を意味するのか判らず、ソルティーは恐る恐る次の頁へと紙を捲り、翌日の日付と記憶にない父の言葉を知った。

『昨日、王妃の懐妊の知らせを受けた。これよりその印を残すべく思い立ったのだが、何も浮かばず、ただ時間を無駄にしてしまった。王子だろうか、王女だろうか。いや、無事に産まれてくれば、それだけで喜ばしい事。何時産まれ、何時私を父と呼んでくれるのだろうか。早く私の前に姿を現して欲しい』

 これを皮切りに、毎日居るのか居ないのか判らない王妃のお腹を、足繁く確かめる様子が書かれていた。
 いや、この中に描かれていたのは、王でも王妃でもなく、仲睦まじく支え合った者達が愛し合った結果に授けられた証を、心から喜ぶだけの普遍的な姿だった。

『今日初めて王妃の中で動く我が子を感じた。元気そうだ。この胎動をその身で感じる事の出来る王妃が、どれ程羨ましい事か。男親は虚しいばかりだ』

 毎日毎日同じ様な事を書き連ね、子供の見えない成長を事細かく書き、そして喜ぶ。
 それはソルティーには初めての父王の姿だった。
 しかし丁度ソルティーが産まれる二月前から、その日記の内容は変わり始めた。

『今日サティロス様よりの御言葉を、司教から聞かされた。俄には信じがたいが、その兆候は確かに存在する。しかしそれが何時になるかは私には判らない。そして、私達ではどうする事も出来ないのだろう』

『神は神では無かったのか。私達の信奉する神は、私達を見放すのか。もうすぐ我が子が産まれようとするのに、神はこの子の幸を奪うと言うのか』

 数々の疑問や憤りを認める。その疑問が一体何なのか、それははっきりとは記されていなかったが、今になっては知る事が出来る。
 恐らくシルヴァステルの存在を知らされた故の不安なのだろう。自分達が平和を築いている足下奥深くに、世界に災厄をもたらす存在が眠っている。何時それが目覚め動き出すかも判らない状況に何が出来るのか。
 王として、そして父として、この中の彼は考えなければならなかった。

『今日、やっと私の元へソルティアスが来てくれた。ソルティアス、王子だ。
 王女であれば、背負う事も少なかったであろうが、これも仕方のない事だろう。ならば建国の祖と同じ名を名付ける。
 これより幾多の苦難を背負うかも知れぬこの子に、私が与えられる事は、強さと優しさを持ったとされる、偉大な王の名を与える事だけだろう。出来る事なら、何事もなく幸せであればと願う』

 それから十日は、ただただ産まれてきた子供を喜ぶ事が書かれていた。
 最後の頁には、神に対する疑問と、自分に対する力の無さが書かれていた。
 そして最後の言葉は、

『それでも私は信じたい。神に創り出された、小さな人という存在が決して無駄ではない事を。そして祈りたい。私の傍らで眠る幼子が、この世界で健やかなる事を』

 心の底からの願いで日記を締め括り、次の頁からは白紙が続いていた。
 ソルティーは読み終わった後も本を閉じる事をせず、一番始めの、日付だけの頁に目を降ろした。
「父は、優しかったのか……?」
「誰よりも。その様な物を主にだけお書きになった事を、他の御兄弟に知られては不都合が御座いましょう。我にお渡し下さる時も、主にも読ませてはならぬと幾度と無く申されておりました」
「そうか……」
「分け隔てなくと言うのは、貫き通すには難しき事。そして、殊更主には強くなっていただきたいと願って居られました」
 ソルティーは本を閉じ、ハーパーの言葉を重く受け止めながら、しっかりと握り締めた。
「その鎧も、主がお生まれになってからは、一度も身に着けては居りませんでした。恐らくその時より既に、王はお決めになられていたのでしょうな」
「父上……」
 他の兄弟よりも自分に厳しかったのは、ユイディウスがある意味自国の崩壊を予見していたからだろう。
 世界を滅亡させかねない強大な存在が、自分達の足下に封じられているという恐怖は、並大抵の物ではない。無論それを安易に他に漏らせば、瞬く間に国全体を不安に揺り動かしてしまう。
 明日になるか、何百年も先になるかまでは神にも判らず、その不安の中で彼が出来るのは、何れは王となる道を歩まなくてはならない王子に、自分以上の強さを身に着けさせる事だけだった。
 だからこそ竜族のハーパーに預け、親子としての馴れ合いを避けた。