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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 避けるだけに集中していれば、なんとか避け続けられるとはしても、相手は疲れる事を知らないのだ、どう考えても隙を先に見せてしまうのは須臾の方が早い。
 それに、恒河沙もハーパーも助けてくれそうにない。
 ちょっとした座興を眺めているような顔をして、尚かつ行き過ぎた行いへの罰は当然だと言わんばかりの態度で、いつまでも続きそうな追い駆けっこを傍観していた。
 しかし徐々にだが、その追い駆けっこの形が変わりつつあった。
 ヴォン――微かな振動がソルティーの手の中で起こる。
「ッ?!」
 避けたはずの剣先が、須臾の頬を掠めた。
 確実に避けた筈だった。避けられる筈だった。ソルティーが間合いを縮めなければ。
――何で!
 須臾が咄嗟に頭にそう浮かべた時には、ソルティーは更に踏み込み、斬り付け、須臾は強張った顔で避けた。
 目の前ギリギリの場所を通った剣の軌道に、自然と全身の血の気が引く思いがする。
 もう少しで剣が届きそうな事に怯んだのではなく、剣先が通った軌道に残る微かな黒い何かと、その向こうに見えたソルティーの瞳にゾッとした。
 内心、恒河沙ほどではないが、綺麗だと思っていた青空を切り取ったような彼の瞳が、黒い闇に覆われていくのをはっきりと見てしまった。変化するのを知っていても、目の前で行われてしまった現象には、嫌でも本能的な何かが刺激されてしまう。
 しかもハッキリと見た闇色の瞳は、総毛立つ程の悪寒を感じさせる物だった。見つめるだけで体中の力を吸い取られてしまうような、忌まわしい感覚。アストアに居た頃にハーパーが語った呪詛という意味を、今にして知ったような感じだ。
 しかし、疑問を浮かべる余裕は無い。
 手を休める暇もなく繰り返される攻撃に追い詰められ、集中する一点がソルティーの次の動きだけになり、足下の石に気が付かなかった。
 微かな体勢のずれを修正する時間は与えられる事はなく、ソルティーは次の一手に変更を出さず、須臾の顔目掛けて剣を突きだした。
「!!」
 一瞬も躊躇いを交えない剣に、悲鳴も出せなかった。
「主っ!」
 確実に須臾の眉間に向けられていた剣先は、彼の前髪を切り落とすだけに留まったのは、ハーパーの斧が寸前に入った為だ。
 斧の抜きの部分はソルティーの剣を通し、固定した状態で上へと跳ね上げる。
 ハーパーの表情は真剣そのもので、自らの役目のままにソルティーの変化に気が付いたのだろう。
《何を乱されて居るっ!》
 ソルティーはまだ完全には意識を手放していなかったのか、ハーパーの叫びに一瞬ビクッと震えたあと、静かに息を吐き出した。
「ああ……」
 ハーパーに剣を取り上げられるソルティーの前では、須臾が止めていた息を吐き出しながらへたりこんでいった。
――死……死ぬかと思った……。
《相手が誰か判って居るのか。これしきの事でこの様では、如何と思われるぞ》
《いや、態とだ》
《態と…ですと……》
 ハーパーは言葉では戸惑いを表したが、ソルティーの行動に直ぐに合点がいった。
 あれだけの事で意識が奪われるなら、ここに至るまでに既に正気など無くなっていただろう。ソルティーは、態と須臾に見せたのだ。自分がどれだけの呪詛を宿し、そしてその矛先が誰にでも向けられ、例えそれが自分の大切な者であっても殺してしまう事実を。
 一つ間違えば、自分自身が彼等の敵になると。
 ソルティーはハーパーから剣を受け取り鞘に戻すと、その後ろから腕を引かれて振り返る。そこには恒河沙が心配そうに見上げていた。
「大丈夫?」
 首を傾げてソルティーを心配する恒河沙だったが、何らかの返事があるよりも前に、須臾が納得できない顔で立ち上がる。
「こら、それは普通、僕に言う言葉だろ」
「ん〜〜なんか、どうせ須臾が悪いし」
「僕の何処がだよ……」
「お主達まで言い争う事は無かろう」
 ハーパーが取り出した斧を消しながら二人の間に入り、また思考が停止しているソルティーの方へ顔を向けた。
 いや、ソルティーは恒河沙に掴まれている腕を、どうやって振り払おうかを考えていた。
――本気なのは私の方か……。
 須臾やハーパーにさえも出来る事が、恒河沙には出来そうにない。
 肩の力を抜いて、そっと恒河沙の手に自分の手を重ね、優しく腕から放す。
「……ソルティ」
 不安をそのまま顔に表す恒河沙から顔を背け、その場からゆっくりと立ち去るしか出来なかった。
「勝手にしろ。但し、何があっても私は責任を持つつもりはない。喩えそれが、私の凶行でもだ」
 自らの剣の行方を止められない事を指し、以前の様には自分を抑制するつもりも無い言葉に、須臾は息を飲んだ。
――何だったんだよ…あれは……。
 境を感じなかった殺意の現れに感じた恐怖は、まだ体中にまとわりついて、当分消えそうにない。
 そして同時に、ソルティーが隠したがっている事の全てを暴こうとしている事に、罪悪感が湧き出してもくる。
「じゃあ一緒に行っていいんだ!」
 ソルティーの始めの言葉しか耳にしていない恒河沙が、喜んで先を行く背中を追い掛けた。
 途中置きっぱなしの荷物を取りに走って引き返し、また走ってソルティーの横に並ぶ。
「お前は良いよ、絶対ソルティーの矛先が向かないから……」
「ならば引き返すか」
 ハーパーががっくりと肩を落とした須臾の隣に並び、視線だけを彼に落とす。
 彼は即答は避け、何かを胸の奥深くに押し込めるように目を瞑り、気合いを入れてから目を開けた。
「冗談でしょ、最後まで付き合いますよ」
――良い事も悪い事も全部、あいつの全てを見届けるのが僕の役目だ。
 須庚はニッと表情を元に戻し、一度軽く背伸びをしてから自分の荷物へと足を向ける。その背中に向けてハーパーはもう一度声を掛けたが、酷く苦しげな含みを滲ませていた。
「主に殺されるやも知れぬぞ」
「それも冗談。僕は死ぬつもりもないし、殺される気もない。まあ、やばくなったらまた助けてよね」
 荷物を拾いながら冗談交じりに人を当てにした言葉を口にすれば、生真面目な首が横に振られた。
「主が完全なれば、我には止められぬ」
 こんな事でソルティーの自我が一瞬でも失われるとは、ハーパーも思っていなかった。それが態とであっても、簡単に切り替えられる事ではないのは、ずっと見守り続けたハーパーだからこそ判る。
 闇を産む力が強まり、ソルティーがそこへ簡単に身を堕とせる様になったのだろう。肉体と自我の狭間が広がっていると言う事だ。
 旅の終わりが近付いている為なのか、ソルティーの自我そのものの問題なのかは判断し難いが、長く平穏でいただけに、ハーパーにはそれがどうしても以前の様に取り戻せる物とは思えないでいた。
――無理を続けて居った為か。
 人としての何かを、恒河沙達を解雇する時に一緒に捨てた。
 そしてそれを取り戻す気がソルティーには無かった。彼が須臾に剣を向けた事に、全く後悔も反省もしていないのが、その証拠になるだろう。寧ろ自らその身を任せた。
 今回は態と周囲に警戒を促したかも知れないが、彼の行動にハーパーは危険を感じた。
――己を律すればこその行い。主にはそれが出来ぬ。