刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
確かに二人と別れた後は、須庚が何を話そうとも彼の自由。そして、そうやって自分が本来語るべき事を、彼に口にさせたかったという弱さが無かったとは言えない。
須臾は狼狽えっぱなしの恒河沙を引き寄せると、何を思ったのか、自分とソルティーの間に立たせた。
「連れてけよ。僕達役に立つよ。一人より二人、二人より三人、ハーパーも入れて四人ってね。そうすれば、何かが変わるかも知れないし」
「俺達がソルティーを護るから!」
「駄目だ。帰れ」
「やだ! 俺の帰る所はソルティーだって約束したっ。シスルに帰ったってソルティー居ないじゃんか!」
恒河沙が大きく首を横に振って、強い声音でソルティーの言葉を打ち消す。その揺れる頭に須臾が腕を乗せ、矢張り大きく頷いた。
「そうそう。それに先刻も言った様に、僕達は何が何でもソルティーにくっついて行くって決めてるからね、そう簡単に逃げられると思ったら駄目だよ」
須臾は自信ありげにソルティーの鼻先に指を突き出し、軽快に横に動かした。
その指をソルティーははね除け、須臾に視線を戻しきつく見据えた。
「どうやってだ。まともに現実を見てみろ、この先どうやって進むつもりだ」
「そうそれ! あんたこそちゃんと現実を見なさいって」
須臾は弾かれた指を戻し、今度は自分を指差した。
「この僕を誰だと思ってるの? 顔良し体良し頭良しの大魔術師、七代目殲術師の須臾様ですよ、こんな問題ちょちょいのちょいって解決して見せますってぇの」
殴られた事が功を奏したのか、漸く自分の調子に引き込み始めた須庚は、どう解決するかは言わず、ただ自分を高々と自慢する。
そんな彼に代わって、口を開いたのが恒河沙だ。
「須臾な、昨日一日で二十も精霊と契約したんだ。嫌いだって言ってたお兄ちゃんの精霊と契約して、跳躍覚えたんだよ。すっごく疲れたって、さっきまでそこで寝てた」
「余計な事まで言わなくて良いの」
恒河沙にしてみればそれは凄い事だが、須臾には恥。
魔法が嫌いだと言いながらも、結局は女性の精霊なら手当たり次第に契約はしていたのだ。しかも、とっておきの切り札の割には、色々と手段を考えた挙げ句、慌てて精霊契約を続けざまに行って、ばててしまったなんて自慢にもならない。
ただ、普通でも一人の精霊と契約するだけでも、並々ならない疲労を伴うのだから、一日で複数の精霊、それも高位精霊と契約が出来る須臾の潜在的な素質は計り知れない。
「まあ、御存知の通り、跳躍って言っても知らない場所には跳べないから、僕が出来るのは此奴の食料調達位だけどね」
恒河沙の頭を叩き、例えそれがソルティーの建前ではあっても、解雇の理由を打破出来た事を語った。
勿論ソルティーの本音も判っている須臾にしてみれば、やっと同じ場所に立ったばかりだったが。
「だからさ、一緒に行こうよ。これからはちゃんと、自分達の事は自分達でするから」
「跳躍が出来るからと、この先は理の力自体がなくなっているんだぞ。それでどうやって跳躍が出来る」
ソルティーも必死だった。
自分の為に此処までして貰えるのは嬉しいが、今までの様に簡単に須臾の口車に乗れる筈もない。
しかし須臾は少しも掲げた自信を降ろさず、腰のベルトに着けていた掌に乗る位の袋を取り出した。
「それも大丈夫だって。顔良し体良し頭良しの須臾様に抜かりは在りませんって。恒河沙両手出して」
須臾に言われるまま胸の所で両手を広げたその上に、袋の中身が出された。
「これだけ在れば、跳躍の数十回は大丈夫。なんせ精霊入りだから、効果も充分在るでしょう」
恒河沙の手には十数個の宝玉が乗せられていた。それも総てソルティーが創り出した物だ。
「こんな事も在ろうかと温存して置いて良かった良かった」
胸を張って須臾は言い放つが、視線はどことなく落ち着かない。
恒河沙は手の中の宝玉と、後ろで口元を引きつらせている須臾を交互に見比べ、
「須臾……ちょろまかしたら駄目だろ」
「はっ…ははは…ははははは……」
事有る毎にソルティーから宝玉をせしめ、事有る毎にそれを使わずにいたのが、今になって明るみに出た。須臾にしてみればそれは効率の良いやりくりなのだが、周りから見れば横領と言えるし、それ位は恒河沙でも判断出来る。
「まっ、まあ、良いじゃん。今はこうして役に立つんだから」
ばしばしと恒河沙の背中を叩いてから、袋に宝玉を戻すまでの速さは、恒河沙さえも呆れるほどだった。
ただしこんな普段の須庚らしさが、端から見ているハーパーには必死な芝居に見えていた。どこかで口を挟もうとしても、その事で彼の台本が壊れてしまうと思えば、とても出来そうにない緊張した芝居だ。
「いい加減にしてくれ。どうして帰ってくれないんだ。本当に危険だと言っているのが、お前達には判らないのか」
ソルティーも心の片隅では、ハーパーと同じ感覚を須庚達から受けていたが、先に立つ思いがあまりにも強すぎた。
これだけ真剣に訴えているのに、一向に聞き入れられない事に苛立ちが沸き上がり、同時にそこまでさせてしまった自分自身へ怒りが向けられる。
「何時も何時も私の言う事を聞かず、一度位は素直に従ってくれ」
ソルティーは片手を額に宛いながら俯き、自分以上に頑なな相手に懇願した。
「言う事を聞いて良い事が在るなら、聞いてやっても良いけど、無いなら嫌だね」
「この先に良い事が在る訳がない」
「良いか悪いかの判断は僕達がする。僕は僕の友達が、訳の判らない奴に殺されるのは絶対に嫌だ。一度でも友達だと認めた奴が、訳の判らない理由で居なくなるのもだ。それを判っていながら、はいそうですか、って簡単に許すなんて、そんなのは友達でもなんでもない」
ソルティーを二年も掛けて見定めてきた。
色々と須臾から見れば不満は在るが、それでも彼に自分達を紹介してくれた幕巌には、幾らでも礼が言える位だ。
「ソルティーが僕達の事を考えて居るのは判ってる。でもそれは僕も同じだ。僕はあんたに死んで欲しくない。あんたのこれからが本当に決まっている事であっても、それはあんただけが行った結末じゃないか。僕が其処に行けば、何かが少しでも変わるかも知れない。もしも同じ結果なら、僕はあんたと同じ結果を見たい」
それは、共に死んでも構わないと言っているのと同じで、ソルティーを愕然とさせて首を振らせた。
須臾には何処か子供染みて見え、それを嬉しく思う。
目の前にいる男が、大人の聞き分けを教えられただけの子供なのだと、自分だけが知っている。そしてその子供の姿は、昔の自分とよく似ていた。
「僕はあんたの邪魔をしたい訳じゃない。ただ後悔をしたくないだけなんだ。このまま行かせたら、僕は後悔する。これまであんたが抱えてきた様な後悔を、今度は僕がずっと抱えていかなきゃならない。僕はそんなのまっぴらだ」
人との関わり合いの未熟さは、須庚も同じ物を持っている。ソルティーとは逆に誰とでも調子を合わせられるのは、誰も信じていなかったからこその処世術でしかない。
――僕には素の僕を見てくれる姉さんやイェツリが居て、恒河沙も居た。だけどこいつには僕しか居ないじゃないか。
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい