刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
ミルナリスが精霊なのは言われなくても体が教えてくれた。
しかし彼女がオレアディスの配下でない事も同時に知らせてくれている。
主に忠実なのが精霊だ。その彼女が動くのは、オレアディス以外の主の為でしかない。
「オレアディス様って訳じゃ無いだろ?」
「ええ、違いますわ」
ミルナリスは、はっきりと否定を打ち出し、シャリノにも判る緊張を気配に漂わせた。
「しかし、総ての元は同じですわ。これはオレアディス様の心残りを断ち切る為でもありますから、私、そして私の主だけのお願いでは御座いません。オレアディス様の承諾も御座いますわ」
「それを俺が直接聞いても、そう言い切れるのか?」
「ええ、勿論。それはご自由になさって戴いて結構ですわ。しかし、私はそれ程多くの時間を待てませんの。出来れば今日中に仮約束でもして戴けないでしょうか。そうしなくては事情を説明出来ませんもの」
ミルナリスの言葉から、彼女が嘘を言っているかどうかの判断は不可能だった。周囲には緊張感を放ちながらも、薄い笑みを認めた表情には一切の変化がない。金色に輝き、蛇を思わせる瞳が、更に彼女から感情を消失させていた。
急を要すると言うのも、此処に留まれる彼女の時間の問題なのは話の内容で判るが、真意がはっきりしない限り危険は付き物だ。シャリノは即答を拒む方を選択した。
「もしも俺がその事情って奴を聞いた後、嫌だと言ったらどうする」
精霊の話を、内容も判らずに頷くのは危険だと言うのは、自分やベリザの一件で充分知り尽くしている。
念には念を入れて話をするシャリノに、ミルナリスは彼の考えていなかった答えを出した。
「致し方御座いませんわね、その時は別の手段を捜すだけですわ」
「……何だ、意外と素直に引き下がるんだな」
真剣な割にはと揶揄された時に、漸くミルナリスは感情を僅かに見せるように、唇を堅く結び彼を睨んだ。
「私は最善の方法を貴方に求めただけですわ。私に貴方の持つ力が有れば、誰にも頼まずにします。それに、貴方がオレアディス様に一度、あの方の事を頼まれていると知ったからこそ、こうして訪ねましたの」
「ちょっ、一寸待て。あの方って、もしかして……」
「恒河沙様ですわ。オレアディス様のご子息」
シャリノの言葉を遮ってもたらされた答えに、シャリノは暫く思考を巡らす。
唯一自分達の事を話した須臾が、ミルナリスと行動を共にしていたのは知っているが、彼が安易に自分の話した事を彼女に話すとは思えなかった。だからこそ話をしたのだ。
ならミルナリスの話は、直接オレアディスから聞きだしたか、須臾が信用して話したかのどちらかになる。
――どこまで信じられる話なのかが問題だが……。
「判った、一応その事情とやらは聞く」
シャリノは、一度話を聞けば引き返せない予感を抱きながら、しかし自分が決して部外者ではないと判断して答えを出した。
ミルナリスはその彼の言葉に、深々と頭を下げた。
その姿は、今にも消えそうな程不安定だった。
大地が幾ら枯渇しようと、地上を吹き抜ける風は何時もと変わりない。
ただその風も、北西から来るものだけは、息吹を感じさせない流れだった。
――サティロスは無事なのか。
ソルティーは開けた窓から空を見つめ、嘗ては地上に度々姿を見せていた精霊神の一人を思い浮かべた。
風の精霊が統率を失っていない所を見ると、主を失ってはいないとは判っていた。しかしサティロスの統治下である筈のこの地でも、彼女を知る者は今や皆無になっている。
ウォスマナスとは違う存在である彼女が、今どうしているのかを知る術がない。
――考えるだけ無駄か……。願わくば、総てが終わりを迎えた時に、また我が祖国の地に栄えをもたらさん事を。
胸に握り締めた手を当て、深く瞳を閉じる。
――そして、私に言葉を紡ぐ勇気を……。
恒河沙が須臾を連れて扉を開ける音を感じながら、ソルティーは決断を下すべく目を開けた。
「ソルティー、呼んできたよ」
「ああ、済まなかったな」
何もなかった様に二人に振り向き、須臾の殊更慎重な顔付きに一瞬だけ自嘲の笑みを浮かべた。
「どういう話かな?」
須臾は腕を組み、最初から喧嘩腰で話を切りだした。ソルティーに自分が気付いていると教える為であるのは間違いなく、思い直して欲しいとも込められていた。
その気持ちを真っ向から受け止めるソルティーは、須臾から一切目を反らさず、窓枠に凭れて普通の話をする様に口を開いた。
「今日までの仕事の精算をしたい」
「それって、契約の解除って受け取って良いんだよね」
「ああ」
始めから予定されていた事を自然に話す二人に、須庚の後ろで聞くだけだった恒河沙は一人自分の耳を疑っていた。
呆然として、耳に入った話を纏められずに、薄く口を開いて自分を見ていないソルティーだけを見た。
「二人の契約は今日限りだ。シスルに帰る旅費も計算して良い」
「帰れって事?」
淡々と話すソルティーに、須臾は自然と低くなりすぎて出し難くなる声を、腹に力を入れて吐き出していく。
「そうだ。そう約束をした筈だ」
次ぎに帰れと言った時には、素直に帰ると約束したのは須臾だった。
あの時と今とでは気持ちの違いは在るだろう。ここへ来るまでに見てきたソルティーの真剣さは嘘ではなく、ずっと旅を続けて行きたいと変化していった気持ちも疑うまでもない。
それなのにあの時に総て予測して話をしていたとしか思えない程、今の彼の言葉には躊躇いが感じられなかった。
――どうして一人で決めるんだよ!
どんな事が起きても、必ず二人を帰す手段だけは手放さなかったソルティーに、言葉に出来ない怒りが湧く。
だが彼だけを責め立てられる程、須庚は自分の無力さを知らないわけでもなかった。だからこそ彼は黙り込み、代わりに別の声が部屋に響くのは当然だったろう。
「帰れってどういう事だよっ!!」
やっと何を言われたのかだけは理解できた恒河沙が、焦った声を上げた。
「仕事が終わりとか、帰れとか、そんなの全然言わなかったじゃないかっ!」
「言う必要はない筈だ。事前に話をする契約はしていない。決めるのは二人を雇っている私だ」
「ソルティー!!」
冷酷な言葉を吐き出すソルティーに、恒河沙は詰め寄って彼のシャツを握り締めた。
「だって、約束したじゃないか。ずっと一緒に居るって、約束しただろっ!」
「状況が変わった」
納得できようもない憤りのままに、力を込めて揺り動かそうとする恒河沙の手を振り解き、困惑する彼の目を真っ直ぐに見つめ返す。
「変わったって何が……? 何も変わってないだろ?」
「此処から先に立ち寄れる村や街は、一切無い。お前を連れては進めないんだ」
「でも……」
「どんなに急いでも二月は掛かる場所だ。まともな食料の何一つ無いだろう場所に、お前を連れていけない」
「我慢するっ。普通の人みたいに、少しで我慢するから」
行き場を失った手を握り締め、必死に訴えたが、ソルティーの表情は少しも変わらなかった。
それどころか、
「迷惑だ」
「…ソル…ティ……」
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい