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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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「お前の気持ちを疑ってる訳じゃない。ただ少し……急に確認したくなる時があるんだよ、誰かを好きになった時には。お前も前はよく聞いてきただろ?」
「そうだけど……」
 ソルティーは申し訳なさそうな笑みを浮かべて、不安そうに見つめてくる恒河沙の髪を撫でながら、彼が落ち着きを取り戻すのを待った。
 あまりにも真剣な問い掛けだった為に、直ぐには恒河沙の不安を拭い去る事は出来なかったが、必要のない不安を恒河沙が長続きさせられないだろう。
――結局私は、最後の最後まで甘く考えていたのだな。
 僅かばかり期待さえもが脆くも崩れていく。
 冥神とミルナリスの目的を知りながら、それでも恒河沙の感情が彼自身の感情であるのを、縋り付く思いで願っていた。
 にもかかわらず、彼を未だに信じたいとも思う気持ちも消せずに存在し、苦々しい気持ちでソルティーは内心で己を笑う。
――全てまやかしだ。私の気持ちも恒河沙と同じに、力が作用しているだけに過ぎない。彼女達も冥神も、元はシルヴァステルの力で成り立っている。その力で造られた私達が動かされるのは当然の事だったんだ。
 恒河沙の髪を撫でていた手が離れ、決意を固めるように強く握り締められる。
――私が消えれば、きっと解放される。この想いは無かった事になるんだ。……最初から、私は居ないのだから……私は……。
「ソルティー……?」
 一度は握られたソルティーの手が力無く開かれ、微かに震えを帯びた状態で背中へと回された。
――誰か、今すぐ私を殺してくれ……、さもなくば生きさせてくれ!!
 どれだけ決意しようと、弱さが悲鳴を上げる。
 傍にさえ居られれば良いと強く願うのは、恋愛の感情とは異なる強烈な何か。
 本来一つだった力に導かれ惹かれあったきっかけが失われれば、この感情に意味は無くなる筈だ。それが判っているのに、まとわりついてくるのは忘れ去られるという恐怖。
 願いと恐れが複雑な蜷局を描きながら心を埋め尽くし、耐えきれずに醜い感情が口を突きそうになった時に、恒河沙の声が響いた。
「俺…ソルティーの事好きだよ。ほんとだよ」
 恒河沙にとってはソルティーに与えてしまった疑惑を、何とか払拭したかっただけかも知れない。けれどその言葉が彼の口を閉ざし、腕の力を緩めるきっかけになった。
「ああ、判ってる。――私も、同じだ」
――同じなんだ……。
 今度こそソルティーは決意する心で語り、恒河沙の背中から手を離した。
 この両腕のように、彼に絡もうとしていた過去からの鎖を解放へと導く意思を込めて。
 喩え須臾の言った様に、恒河沙の目の前で死を迎えなくても、得られる結果が同じならば、何もかも知らずに居た方が良い。
 卑怯な手段かも知れないが、ソルティーには他の逃げ道が無かった。

――ごめんな、恒河沙。

 もしも自分が普通の人間だったなら、こんな感情は持ちはしなかった。出逢う事すら必要としなかった。
 だからこそ、初めて人を好きになったと信じている彼に、この気持ちが造られた物だと知られたくない。
 ソルティーに出来る事は、恒河沙が何も知らないまま自分を忘れさせる事だけだった。






 サルーは数年前まではかなり栄えた街だったが、ここ最近の地表の乾きに伴って、街の大半が既に閉鎖されていると言っても過言ではない。
 パクージェ全体が、農作物が主体の産で成り立っていたのだから、近隣の村がほぼ壊滅状態では、まともな稼ぎにはならないだろう。
 人が居なければ街は死ぬ。
 今はここを取り纏める領主の働きもあり、南部からの援助でなんとか街としての機能を最低限努めてはいるが、それもあとどれだけ保つのか判らない。

「――駄目だね、ここから先にましな村はないって」
 新しい地図を買いに行っていた須臾の持ち帰った話は、誰もが予想していた通りの事だった。
 宿の作りつけの机に地図を広げ、須臾が耳にしてきた村の名前に線を引いていく。
「ここも、ここも。街道沿いは全滅って感じかな。少し離れた場所に迂回しながら行くのも手だけど、この分じゃぁ行ったとしても多分同じだろうね」
「自分達が食べるだけで精一杯だろうな」
 これまでの村でも、似たような村が幾つか存在していた。
 一定した気候を保つこの世界で、不作になるというのは殆ど有り得ない。どんなに小さな村でも、直ぐには困らない程度の蓄えを用意しているが、年単位ではどうする事も出来はしない。
 しかも川の水さえも干上がってしまうような状況であるなら、生きていく為には街や国を捨てなければならないだろう。
「仕方がないな。判った、詳しい事は明日考える。今日はもう休んでくれ」
 ソルティーは須臾から地図を受け取り、早々に話を切り上げた。
 直ぐに地図を折り畳むソルティーの姿に、須臾は一瞬眉をひそめたが、何も言わずに部屋から出た。
――嫌な感じ……。全然考えてる様子じゃない。
 須臾は閉めた扉を暫く眺め、既に判断を下している感じのするソルティーの思惑に、頭を悩ませた。
 これから大きな問題になるのは、食料だろう事は間違いない。とは言えソルティーには必要なく、大気から直接理の力を得られるハーパーも同じだ。
 態とらしく悩む素振りさえも見せられなかった問題に関わるのは、恒河沙だけでなく須庚にも影響がある。問題にされなかった問題を前に、須庚はどうしてもソルティーの心変わりを感じずには居られない。
――問質せば良かったかな。……やばい結果かな、やっぱり。
 ソルティーの事を知れば知るほど、彼の次ぎに考える事が想像でき、そして今度こそそれが自分達に対する最終宣告になるだろうと感じた。
――今度はやばいかも。
 もう屁理屈も通じない現状を前にしては、流石に須臾も肩を落とすしか無かった。

 須臾の気配が扉の外から消えるのを待って、ソルティーは漸く一息入れた。
――これで須臾は心の準備が出来たな。あとは……。
 鞄の中身を整理している恒河沙に目を向け、何も気付かなかった様子に対立する感情に胸を痛めた。
 自分が明日言う事が、どんな卑劣な裏切りになるか。
「……まない」
 恐らく何を言われようと謝る事が出来ないと、口の中で届かない謝罪を言う。どれだけ心の中で叫ぼうとも、明日はそれを言えないのだから。





 ウィルパニル東のシャリノの屋敷に思わぬ訪問者が現れたのは、丁度ソルティー達がサルーに入った時だった。
 一人で次ぎに狙うお宝の下調べをして帰ってきたシャリノは、まるで自分の部屋の様にくつろぐ者の姿に目を丸くした。
「……えっと、確かあんたは」
 一度だけ挨拶程度の話をした記憶を手繰り寄せ、椅子から優雅に立ち上がり頭を下げる者に指を指した。
「ミル〜〜何とかって言ってたっけ?」
「ミルナリスですわ。突然の押し掛けで申し訳御座いません。急を要する事ですので、何卒ご容赦下さりませ」
「急? ……俺に何の用だ?」
 シャリノは訝しげにミルナリスの表情を読もうとするが、感情を一切表面に出さない彼女から伝わる物は何もなかった。
「貴方様のお力をお借りしたいのです。オレアディス様から戴いた、貴方様のお力を」
 その言葉にシャリノは顔を顰めた。
「それは、一体誰の頼みだ」