恋愛掌編集
彼女が振り向いたとき
きいん!と硬球の音が響いてきた。男共の叫び声が聞こえてくる。そんな音を載せて、秋の涼しい風が三階の窓まで吹いてきた。その心地の良い空気に都合が良いと言わんばかりに、運動部の生徒達がグラウンドや校舎周りを動き回っている。彼女はそんなグラウンドをずっと眺めていた。
教室の窓際、奥のそこが僕の席。彼女は僕の前の席で窓の外を見ている。この窓からでは、グランドは校舎に隠れて左の片隅しか見えない。ここから見えるそこでは野球部の連中が、バッティング練習をしている。数人のバッターがバッティングピッチャーの投げる球を何球も何球も打ち返している。まるでそんな機械のように見えてくる。どこまで飛んでいるのだろうか、ここからは飛ぶ先までは見えない。時々、ピッチャーを守る柵にボールがぶつかって大きな音が響いていた。彼女は僕の机に肘を突っ立てて、そんな風景を見ているものだから、僕は彼女の頭の後しか見えない。
「あの中に好きな人でもいるの?」
「んーん」
彼女は、こちらも見ずに気の抜けた声で返事をしてくる。
「見ててなんか楽しいの?」
「なんかさあ。誰かが、誰でも良いけど、何か作業してるのって見てると楽しくない?」
「ああ、分からなくはないけど。」
僕も製造工場の機械が延々と製品を作っていく番組を暇つぶしに見ることはある。誰かが、何かが、そうやって何かを為していくところというのは何とはなく僕は憧憬を感じてしまう。彼女もそう言う気持ちがあるのだろうか。そんな思いで眺めていた彼女の髪が風でさらさらとなびいた。
「あのさ、あれなんだろう。」
そんな風に彼女の後ろ姿を見ていると、彼女は指を差して尋ねてきた。僕は窓の外を見てみる。しかし、指の指す先には何もない。ここからは見えないのかと思って、彼女の目線に合わせようと身を乗り出した。
「どれ?」
「あれ。」
さらに身を乗り出して指を差す方向に目をこらす。何もない。その時、急に彼女が振り向いた。すぐそこにあった顔がさらに近づいて、彼女の唇が僕の口に触れた。僕は驚いて、とっさに身を引いてしまう。驚いている僕に彼女は嬉しそうに笑顔を見せた。
「なに?」
「いや、さっきのそう言うことかなって思って。」
彼女はそう言って自分の唇に指をあてた。僕はつい拭いそうになった手を下ろす。さっきのと言うのは、好きな人云々ということだろうか。
「嫌だった?」
そう言いながら、彼女はてへへとでも言わんばかりに笑顔を見せた。卑怯だなって思った。そんなこと言われても嫌なわけがない。彼女はきっと僕が好いていることなんてお見通しなんだろう。
「いや、ありがとう。」
僕は精一杯何でもないように言った。