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刻の流狼第三部 刻の流狼編

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――まあそうだよなぁ、ソルティーはソルティーなりに一生懸命なんだよな。恒河沙に嫌われたくないか……まぁ、気持ちは判るけど。
 手段は間違っていないが応用が無い。人生経験の乏しさに起因する間違いだ。
 それでも確かに彼は、自分達と旅を続けている間に随分と変わった様に思う。長い旅の間のゆっくりとした変化だった為に気付きもしなかったが、出会った頃は決められた物事を淡々と処理しているだけだった。
 だが今は、彼は以前の様に簡単に決断しなくなった。無駄に悩む様になったとも言えるが、きっと模索と言えるだろう。
――それって多分……。
 大きくソルティーが変わったと思うのは、ミルナリスを死なせ自棄になった彼を恒河沙が連れ戻してから。
 それを思いだした瞬間に須臾はもう一度気を引き締めて、ソルティーに向き直った。
「もう一度聞くけど、本気で彼奴が好きなのか? 男と女みたくの感情だと、そうハッキリと言えるのか?」
「好きだ。そう言う意味で好きだと気が付いたのはつい先刻だが、確かに恒河沙の事は好きだよ」
「だったらあの女の子、ミルナリスはどういう事だ」
 何も怪しい関係がないとは言わせない。
 そんな鋭い眼差しに、ソルティーは自嘲気味な笑みを浮かべた。
「同族」
「同族? 冗談じゃない、あの子は人じゃないだろ」
「そう言う意味じゃない。……似た者同士だな。互いの傷を憐れみあって、一時的な温もりを欲しただけの関係だ」
「ミルナリス……前のミリーの罪滅ぼし有り?」
「恒河沙が居なければ、またそれも有ったかも知れない。だが愛じゃない」
「愛ね……臭い台詞」
 そう吐き捨てながらも、須臾の胸の内にはもうソルティーの言葉を疑う気持ちは消えていた。
 彼が言う様に確かに最初は好意ではなかった。しかし彼はいつの間にかそれを持つ様になり、気持ちを変化させていったのだろう。
 それは良い。彼が本気というならば、恒河沙が遊ばれて捨てられる事は有り得ない。腹立たしいが、それ位までにはソルティーを認めていた。
 だがそれでもまだ拭えない問題があると感じ、聞きたくはない質問を敢えてぶつけてみた。
「で、恒河沙は好きだけど、抱く気は無いと? 彼奴がその気になるのを待つと?」
 無論二人がそこまでの関係にならない方が良いとは思う。
 それでも明らかに恒河沙任せなソルティーの言い方が気に掛かるのだ。
「待つとかそう言う意味じゃない。私からは抱けないだけだ」
「まさか不能とか」
 その言葉には流石にソルティーも顔色を変えた。
「そうじゃない。抱けば二度と手放したくなくなる。別れられなくなる」
「別れるって、一寸待てよっ」
 また蘇ってきそうな怒りを抑え、両手を力一杯振り下ろす。
「あんたいったい彼奴どうするつもりだよ? まさか本気で仕事の間だけの、ごっこ遊びで終わらせるつもりじゃないだろうな?」
 一気に噴き出してくる不安と怒りに対してのソルティーの答えは、真剣な面持ちを横に振る事だった。
 正直それに須臾はホッとした。
 束の間の安堵だったが。
「死ぬかも知れないからだ。いや、生きては戻れない」
「ソルティー……」
「前に言っただろ、この先には敵が待っているんだ。私でなど到底敵うはずもない敵が居る」
「ちょっと待ってよ……あんたそれ、死に戦仕掛ける様なもんじゃないか」
「その通りだ。勿論生きてあの子の元へ戻れるなら、そうしたい。その可能性は僅かばかりでも在るのならな。あの子の気持ちを受け入れる、それがどれ程の罪悪かも、別れる時どれだけ傷付けるかも知っている。それでも、恒河沙を失いたくない。私に向けるあの瞳を失いたくないんだ」
 子供の様な我が儘だった。
 大切な物を傷付けたくない気持ちと、大切な物を失いたくない気持ちのどちらもが、同じ大きさで彼の内に存在していた。
 そしてもう一つ、同じ大きさで復讐と言う気持ちもあった。
「旅を止めるとか出来ないの?」
 須臾の出した選択肢を、ソルティーはゆっくりと首を振って拒絶した。
「それが出来ないから此処に居る。引き返す事は出来ないんだ」
「そんなの、僕が言う事じゃないかも知れないけど、どうして死にに行く様な所にわざわざ行かなきゃなんない訳? 復讐に何の意味があるんだよ」
 ソルティーは須臾の最後の言葉に表情を堅くし、握り込んだ拳を柱に叩き付けた。
「何千万もの民が殺されたんだっ! 罪もない女や子供達までもが、一瞬で殺された。総て私の国の、私の民だ。誰が忘れようとも、私だけは忘れてはならない事実だっ!」
「………」
「あの日、私だけが国から逃がされた。人々が苦しみながら死んでいく中で、私だけが。その事実がある限り、逃げ出した私がもう一度逃げる事は許されない」
 須臾には判らない王としての言葉だった。
 ソルティーにとっては面識のない者でも、失いたくはなかった大切な者なのだろう。その者達を護る事が王としての役目であり、誇りでもある。それを奪われた苦しみを、今までずっと背負い続けてきた。
 ある意味その苦しみがソルティーを支えていた。恒河沙に出逢わなければ、何の後悔もなく進んできた筈だ。
「ソルティーから見れば、その民の代わりになってるの、恒河沙は」
「違う。本当に誓って言うよ、あの子だけは特別だ。こんなにたった一人を大切に思えるとは考えてもいなかった。アルスの代わりは居たかも知れないが、あの子の代わりは誰にも出来ない」
「本気?」
「こんな事で嘘が言える程の器用さは、生憎持ち合わせては居ない。本気だから、困って居るんだ」
 溜息を吐き出しながら梁に腰を据え、項垂れた頭を両腕で抱え込む。
 恒河沙と別れる事が死ぬ事よりも辛い。秤に掛ける訳ではないが、どちらもソルティーには重要な事で、選べないから悩みが増す。
「私だって普通の男だよ。今でも男に欲情はしないと思っていても、好きな相手から誘われれば、どうなるか判ったものじゃない」
「ま……確かに…」
 極一般的な男の性を出されて須臾は頬を掻いた。
 取り敢えずこう言う事を真面目に言ってしまえるだけ、ソルティーの恒河沙への想いも苦悩も本物としてあるのだろう。
「まぁ彼奴がそれを強請るとは思えないから安心して……と言うのも酷かな?」
 微妙な同情を臭わせられ、ソルティーは更に肩を落とした。
 別にソルティーを嗾けるつもりは毛頭ないが、恒河沙の無知が凶悪過ぎる事は、須臾は嫌でも知っている。
「……あげる、だもんなぁ……」
 須臾のふと口をついた感慨深げな呟きを聞いた途端、ソルティーの肩がびくっと跳ね上がった。
「あ、やっぱり言ったか彼奴」
 がくっとソルティーの首が下がり、彼の狼狽がヒシヒシと伝わる。
 好きだと自覚してしまった今、耳元で『あげる』なんて言われたら、自制の箍が外れてしまうのは目に見えている。
「お願いだから、恒河沙が絶対気付かない様にして欲しい。ただでさえもミルナリスとのやり取りでどうなるか判らないんだ」
「ミルナリス……ね。どうするの、まさか二股なんかするつもりはないよね? そんないい加減は、僕は許すつもりはないけど」
 顔を顰めてソルティーに指を指す。それにソルティーは大きく息を吐き出すと、自嘲の笑みを浮かべた。
「ああ、いい加減だな……」