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刻の流狼第三部 刻の流狼編

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 まだ目を反らすだけのいい加減さを見せられれば、それ見た事かと言い放つ事が出来る。しかしどれだけ睨み付けても逸らされる事のない視線があり、それ故に腹立ちは募るばかりだ。
「本当に彼奴がしてくれって頼んだのかよ。まだなんにも知らないガキだった彼奴が、どうして……。あんたにしてくれって頼む訳無いだろ」
 怒りが増せば増す程、表面上の冷静さは保たれるが、ソルティーの胸ぐらを掴んだ右手の力は、彼を次第に締め上げていく。
 しかしソルティーは一切の抵抗もなく、表情さえも変わらない。
 痛みは確かに感じない。もうそれを感じられる体ではなくなっている。ただもし痛みを感じられたとしても、今と同じ状態だったろう。
「頼まれたのは本当だ。……確かに恒河沙は何も知らなかった。ミルナリスとのキスを見て、自分にも同じ事をしろと言ってきただけだ」
「何だよそれ……冗談じぇねえぞてめぇっ!!」
 簡潔な言葉は明らかに須臾の誤解を招き、ソルティーはもう一度柱に背中と頭を叩き付けられた。
「あの女の子が何だか知らねえけど、女が居るなら彼奴に近付くなっ!! 断る言葉なら腐る程ある筈だっ、何でそれを言わないっ!!」
「駄目だと言えば、好きではないから出来ないのかと言われた。後悔するからと言えば、絶対にしないと言われた。他に言葉は浮かばなかった」
 ソルティーは淡々と事実だけを口にした。
 嘘を言うつもりも、須臾の気を納めるつもりもない。恒河沙を押し止められなかったのは総て自分の責任で、こうなる事さえも判っていた。
 言い訳の一つも口にしないのは、それはそれで潔いと言えるが、今の須臾には受け入れられはしない。彼の中では、恒河沙はまだ何も知らない子供でしかないのだから。
「してくれって言われただけでするのかよ。勘違いさせ続ければ、彼奴は平気で男のあんたに、抱いくれと頼むかも知れないんだぞ。あんた、男を抱く趣味は無いって言ったよな、そん時にやっぱり頼まれたからって言って抱くのかよ」
「抱くだろうな」
「このっ!」
 須臾はソルティーの言葉に耐えきれず、胸倉を掴んだまま彼の顔を殴った。
 咄嗟に歯を食いしばったものの、唇の端と口腔が切れ、顎を伝って床に血が滴り落ちる。袖でその血を拭おうとするソルティーを、もう一度須臾は殴り飛ばし、彼を床に這わした。
「冗談じゃねぇぞっ! 頼まれたからする? そんな気持ちで彼奴に関わるなっ! 彼奴の気持ち利用して適当に終わらすつもりなら、最初っから彼奴に気を持たせる様な事をするなって言っただろっ!」
 天井や床から舞い散る埃の中で、須臾の激しい怒声が響き渡る。
 口中の血を吐き出して起き上がろうとするソルティーを再度掴み、また柱に背中を叩き付ける。それでもソルティーの表情にはなんの変化もなく、ただ真っ直ぐに須臾を見つめるだけだ。
「あんたには暇潰しでも、彼奴は真剣にあんたの事が好きなんだ。あんたがたった一言、死ねと言っただけで本当に死んでしまう位、あんたの事を好きなんだ。それをあんたは適当にあしらおうって言うのかよっ!!」
「適当になど、一度も思った事はない。そう思われても仕方がないが。……だが、あの子が頼むなら、口付けでも、抱き締める事も、抱く事でも出来る。恐らく、死ねと言われれば、躊躇わずに死ねるだろうな」
 ソルティーは顎に伝う血を袖口で拭い、一点の淀みも感じさせない言葉を吐き出し、自然に出てきた自分の言葉に目を細める。
 その逆に須臾は瞠目し、動揺を隠しきれない声を出した。
「……あんた何言ってるのか判ってるのか」
「自分でも驚いているが、生憎まだ気が触れては居ない。確かに初めは、その場凌ぎの優しさだったかも知れない。いつの間に気持ちが変わったかなど判らなくても、今はあの子が好きだよ」
「……嘘だろ。こんな時に冗談なんか言うなよ、判ってるのか、彼奴は男なんだぞ」
「こんな時だからこそ、冗談なんか言えない。私は恒河沙が好きなんだ」
 そう言ってソルティーは小さく笑った。
 幸せと哀しみを半々に混ぜ合わせた様なその表情に、自然と須臾の手の力が緩められ、ソルティーはゆっくりと目を瞑った。
 視線を逸らす為ではなく、これから告げる事の全てを須臾に委ねる為に。
「あの子と居ると、子供の頃に手に入れられなかった何かが得られると感じた。最初はその為に優しくした。好意など無かったよ、確かにね」
「彼奴と居て得られる何かなんて、騒々しさだけだろ」
「そうかも知れない。だがそれが羨ましかった。あの子の様な明るさも元気も、どんな事にも直向きな所も、全て私には無かった事だ。屋敷の外に出るだけでも許可が必要な暮らしが、どんなに静かな世界か判るか?」
 そこまで口にしてからソルティーは目を開けた。けれどそれは直ぐに彼自身の両手によって覆い隠された。
「周りには大人だけしか居なかった。毎日同じ言葉ばかり、同じ年頃の知り合いなど居ない。もし会えたとしても、話す事も許されなかった。普通の暮らしに憧れていた。周りの目に怯えずに話が出来る相手が欲しかった。普通の事を普通に思える様になりたかった」
「……だから彼奴かよ?」
 須臾の手は完全にソルティーから離され、彼の頷く仕種には溜息が出た。
 自分達に見せていた彼の優しさの裏側は、あまりにも哀れだった。
 格好を付けていた訳でも、ましてや気を持たせた訳ではなく、彼の優しさは彼の臆病さの表れだったのだ。
「二人は私の憧れそのままだった。馬鹿な話だと思われても仕方がないが、私は相手の顔色を伺ってずっと生きていた。ハーパーにさえ、そうしていた時期があった。そんな必要もない二人の姿に、ずっと憧れていた。憧れていた子供らしさを持つ恒河沙に、自分の子供の時を照らし合わせて、傍に居る事で変えられる筈のない事を変えようとした」
 胸を締め付ける辛さを耐えようと、指先が額に跡を残す。
「そんなの、初めに言えばそれなりの付き合い方をしてやったんだ」
 少なくともそう言ってくれていれば、恒河沙の気持ちだって変わっていたかも知れない。
 当たり前の事を当たり前の様に口にした須臾に、ソルティーは両手を顔から離し、力無い微笑みを浮かべた。
「友人の作り方なんて、私は知らない。誰も教えてくれなかった」
「そんなの教えられる物じゃないだろ」
「それすらも知らないんだ。私が教えられたのは、人を物として見る事だった。二人に会ってから、初めて対等と言葉を知った」
「それであんなに恒河沙に優しかった訳?」
「嫌われない為にはそうするのだろ?」
「あのねぇ…」
 須臾は思わず額に手を当てて、深く項垂れる。
 恒河沙が物を知らないの馬鹿なら、ソルティーは人を全く知らない馬鹿だ。
 嫌われない為に優しくする、それは本当の優しさとは言わない。そう言う当たり前の常識を、ソルティーは知らなかったのだ。しかもそう言う当たり前の事すら、誰かに教えられると思っていた。
 彼が妙に厳しい決断を下すのが早かったのは、人を物にしか見ていなかったからに過ぎない。
 須臾には理解出来ない次元の話だが、否定は出来ない話だ。
 肩を落としたままの須臾は、これ以上怒る気にはなれない自分を感じた。