刻の流狼第三部 刻の流狼編
最後の言葉に肩を震わせた恒河沙に、須臾は腕を回して宥める様に背中を叩く。
「でも、あの状況じゃあ仕方ないよ。そりゃソルティーにしてみれば、隠しておきたかった事かも知れないけど、あの力は驚いても仕方がない物だよ。驚くなと言う方が無理だと思う」
「だけど俺がその前に彼奴やっつけてたら、ソルティーは隠したかった事隠せてたんだろ」
「……結果は同じだったんじゃないかな。あの時出てきた男は普通じゃなかった。何者か判んないけど、彼奴の相手が出来るのはきっとソルティーだけだった」
思い出しただけでも背筋に緊張が走る。
須臾にもはっきりとあの男が誰かは理解出来ないが、それでも存在してるだけでその場を支配できる者は、そう多くは存在しない。
アストアの森で対峙した妖魔に感じた恐怖など、あの男の足下にも及ばない。もしあの男が敵意を露わにして戦いが始まっていたとしても、間違いなく体が竦んで動く事は出来なかっただろう。
制約も無しに出現できる精霊は、無尽蔵に近い力を有していると言われる。しかしそんな高位の精霊でさえも、自力でこの世界に現れるには莫大な力を使用しなければならず、この世界で形を成しながら周囲に驚異を感じさせる力を持つなんて、普通では考えられない。
その考えられない相手とソルティーは真っ向から対峙し、尚かつ彼等は対等に話をしていた。
これだけでもソルティーを普通の男とするには、余りにも無理がある。
「確かにソルティーを動かしてしまったのは、傭兵としての僕達の落ち度だ。どんなにソルティーが強かったとしても、彼の代わりに戦うのが僕達の仕事だから。――だけどあの時、踏み出したのはソルティー自身が決めた事だ。責任は彼にもあると僕は思う」
「ソルティーはなんも悪くないっ!」
「悪いとか悪くないとかの話なんかしてない!!」
「ッ……」
「ごめん、怒鳴るつもりはなかった。兎に角、ソルティーだってそれは判ってるとは思う。もし僕達の責任だって言うなら、ソルティーはそれをちゃんと言ってくれる。だから余計に、今は誰にも会いたくないんだと思うよ」
「でもハーパーが……」
「前みたいに、ソルティーが直接お前を拒絶した訳じゃないだろ? 僕は、彼がハーパーに頼んでお前の事をどうこう言う、そんな卑怯な男とは思えない。お前は思えるの?」
その言葉に恒河沙は思いっきり首を振った。
「だったらさ、もう少し時間あげようよ。ソルティーにしても、今回の事は色々考えたい事だと思うしさ、無理に判って貰っても仕方ないと思うし」
「それ待ってたら許して貰えるのかな? 俺の事、前みたいに見てくれるのかな?」
恒河沙は膝に置いた両手を握り締め、須臾は彼の言葉に直ぐには返事が出来なかった。
――今回はソルティーも相当へこんでるみたいだし……どうしたもんかなぁ。
これが本当の友人同士なら、それなりに時間が解決してくれると言える。だが傭兵としての契約がある限り、自分達の立場は変えられない。
それがソルティーにとっての切り札である事も事実だろう。
彼が自分達を未だに雇い続けている理由は、恒河沙の存在がかなり大きいと須臾も感じている。恒河沙が一緒にいたいと強く願っているから、彼はどうしても迷いながらも今一歩を踏み出せない。
それが彼の優しさなのか弱さなのか。その判断は今は別にしても、その恒河沙に対して彼が後ろめたさを感じるのであれば、どうしてもそこには解雇の二文字がまとわりつく。
時間を掛ければ修復は可能だろうが、それまでに彼が恒河沙の気持ちを重荷に感じれば、彼は確実に切り札を使ってくる。無論これ以上恒河沙が妙な道に進まない様にする為には、解雇が一番手っ取り早い方法だ。
それは判っているのにも拘わらず、胸に過ぎるのはまた別の気持ちだった。
――あの男が何をするつもりなのか見極めたいんだよなぁ。
ソルティーが旅をしている理由の片鱗は見えたが、ここまで来て結末が見えないのは悔しいのも事実だ。傭兵としての役割ではない別の事でお払い箱になると言うのも、何となく幕巌に見せる顔がないと言う理由もあった。
「ハァ〜〜」
結局は須臾自身にもまだこの旅を終わらせたくない気持ちが大きくあり、その事に気付いて大きな溜息を吐き出した。
それから旅を続ける理由を固めるべく、もう一度恒河沙に向き合った。
「恒河沙はそんなにソルティーの事が好きな訳?」
須臾としては自分の気持ちを理由にする事は陳腐であり、格好良くない。
格好良くない事は恒河沙に任せてしまえとばかりに聞いたのだが、問い掛けの選択は確実に間違った。
「一杯好きだ」
「あ、そう」
若干顔が引きつる台詞を聞き届け、そんなに好きなら少しくらいは自分もソルティーに掛け合う位はしてあげよう、自分の理由を作った。
だがしかし、こんな時にでも思いのままに余計な一言を付け加えるのが恒河沙である。
「ソルティーも俺の事一番好きって言ってくれた」
「…………な……に……?」
「俺の事、大事だからって言ってくれて、そんで、俺の事ぜんぜん気味悪がらなかったのに、俺は俺のままが一番だからいいって言ってくれた。俺もソルティーの事一番好きだから、一番大事だから、おんなじ事しなきゃなんなかったのに、出来なかったから、俺、もうソルティーの一番じゃないんだ……」
恒河沙の言葉は至って真面目な気持ちからのものだったのだが、如何せん彼の直列思考には、ソルティーの言葉の意味は全く伝わってはいなかった。
須臾にしても恒河沙とは長い付き合いだが、恒河沙を通してソルティーの言い分までは聞こえてこない。――いや、恒河沙が妙な勘違いを直ぐにしてしまう事は、充分に理解し、きっとこれも何かの勘違いだろうと思う。思うのだが、
「恒河沙君、それは一体いつそう言う話になったのかな?」
疑いたくなる気持ちも仕方がないだろう。
冷静に聞いているつもりだが、うわずった声を隠せず、顔の筋肉が痙攣しそうな笑みを造り、こめかみには筋が浮かび上がろうとしていた。
「この前、お風呂一緒に入った時」
ぶちっと頭の何処かで、鈍い音が鳴ったのを須臾は聞いた。
「何かされなかった?」
「何かって、何だ?」
「例えば、体触られたり、抑え込まれたりとか、色々…」
聞いている途中で自分で何を言っているんだと感じ、途中から声が小さくなる須臾に、恒河沙は一端首を傾げたが、その後首を振って心配性の保護者を安心させた。
――はぁ良かった。そうだよな、幾らなんでも嫌がる相手にはねぇ……。
そこまで考えて、須臾は思いっきり恒河沙を疑問視する。
――此奴、抵抗するか? ……しない、絶対抵抗しない! 此奴は絶対に、自分が何されてもそれに気が付かない!!
須臾の全身に普通では流れない汗が噴き出し、顔は青白く変色していく。まるで悪夢がそこまで迫っている様だ。
「恒河沙君、君はソルティーと、裸で抱き合ったり、口と口をひっつけた事とか、なにを挿れられたりとか、ありますか?」
最後の『なに』と『挿れる』はよく分からないが、前二つは確かにした。しかしソルティーに口止めされている。
悪い事をした気は無いが須臾に言えないのは気が咎めて、つい目を反らして戸惑いながら言葉にする。
作品名:刻の流狼第三部 刻の流狼編 作家名:へぐい