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刻の流狼第三部 刻の流狼編

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episode.24


 時間とは川の流れに似ている。
 幾つもの小さな水の流れが集まり、大きな本流となる川へと変わっていく。その川の流れに人の人生が乗り、流れていくのだろう。
 別れては集まり、そして別れるを繰り返し、大きなうねりや穏やかな流れを幾つも乗り越え、最後にその者の時の果てへと辿り着く。
 川の流れは一つではない。それと同じ様に、人もまた同じではない。
 変化し続ける川の流れの様に変化し続ける人生が、人を良くも悪くも変えていく。


 * * * *


 夜になってから漸く須臾に連れ戻されたミシャールの様子は、お世辞にも芳しい状態ではなかった。
 自分が居なくなってから勝手に話しを進めたベリザだけではなく、話を引き受けたソルティーも腹立たしく思う。荒れた気持ちはそのまま乱暴な言葉に変わり、手の着けられない状況が、彼女一人の手で作り出される事になった。
 ソルティーが何度か冷静さを取り戻させようと努力はしたが、感情的に怒鳴り散らす彼女には手の施しようもなく、早々に手を引いた須臾に倣う事にした。
 結局深夜になってから目を覚ましたベリザに説得を任し、部屋にソルティーを残して恒河沙と須臾は隣の部屋で眠りに就いた。
 ベリザとミシャールの話にソルティーは一切口は挟まなかった。
 此方の答えが一応決まっているからには、最終的な決定権は彼等にある。
 盗賊という生業が一体どんなものなのかはソルティーには理解できないが、それでも彼等の持つ誇りは理解する。少なくとも聖聚理教の神殿で対した際の彼等のやり方は、法の中では罪であっても、人の道には外れていなかったように思う。
 苑爲に手傷を負わした事は許せる事ではないが、それは彼等にとっても本意ではなく、そのけじめを彼等自身で行って見せた。
 彼等には彼等の真があり、その点に措いて誇り有る生き方だと認めるしかない。
 だからこそ、身内の事は自分達で、と言う気持ちは理解出来る。しかし、それが不可能だと知る時が必ず有る事も、ソルティーは自分自身の事として知っていた。
 二人に力を貸す事は、本来なら許される事ではない。
 どんな事情や大義が有っても、盗みに手を染める事は罪だ。その罪を生業にする彼等に手を貸す事も、同じ罪。
 それでも彼等が盗賊となる原因がこの世に有るなら、その原因こそが罪の根源だと言えるだろう。

 その理由がソルティーは知りたいと思う。

 何故変わってしまったのか。どうして人は悪しき道を辿ろうとしているのか。それを知る事の出来る機会が自分に有るのなら、知る事が今の自分に出来る正しい道なのだと思う。


 ミシャールの心はあまりにも頑なだった。
 人を信じろと言うのは簡単な事だが、信じて裏切られた経験が多ければ多いほど、『信じる』と言う言葉は意味を失っていく。いや、それは失うのではなく、奪われてしまったのだろう。
 仲間をこれ程までに信じているのにも拘わらず、他を一切信じられない今の彼女を作り出したのは、彼女ではなく他者なのだから。
 しかし感情的に拒絶を繰り返すミシャールを唯一説得できるベリザは、彼女とは全く正反対に感情を感じさせない。
「早く助けないとシャリノ困る。俺達もシャリノ居ないと困る」
 そう言いながら彼の表情も言葉も、全くそれを表していない。
 まるで言葉を覚えたての子供が、意味も知らずに単語を読んでいるだけの様な感じだった。
「だから! あたしがなんとかするって言ってる!」
「ミシャールに力無い。俺も無い。他のみんなも子供で力無い。誰かに力貸して貰わなければ、シャリノ助ける事、出来ない」
 ベリザの言葉にミシャールは何度も言葉を詰まらせながらも、懸命に自分の主張を護ろうとする。
 しかし「何とかする」とは言えても、具体的な方法が語られる事はなく、それが彼女の限界を示していた。
「あたしのお兄ちゃんなのに、あたしが助けないでどうするんだよ。それに、彼奴等が本当にお兄ちゃんを助けてくれるって保証なんか無いんだ! ずっとあたし達だけでしてきたじゃないか。それなのに、どうしてベリザは判ってくれないんだ!」
「ミシャールの言いたい事判る。でも、ミシャールの言う事正しくない」
「ベリザ!」
「俺、シャリノ大事。ミシャールも大事。だからどっちも助けたい」
 ベリザはミシャールの肩に腕を伸ばて引き寄せると、しっかりと抱き締めた。
 その力強さは彼の抑揚のない言葉とは全く違い、必死に拒もうとするミシャールの抵抗を軽々と封じ込めてしまう。
「シャリノの力、俺達に無い。俺達だけで行けば、必ず失敗する」
「やってみなくちゃ判らない!」
「一度捕まった。シャリノが助けてくれてやっとだった。そのシャリノが居ないのに、何が出来る。可能性は。方法は」
「だけど、だけどだけどだけどっ!!」
「俺達だけは失敗が大きくなる。シャリノ助けられないだけじゃなく、ミシャールまで捕まる。俺、それだけは嫌だ。俺お前の事助けたい、けど、俺は力無い。だから彼等に頼む。シャリノが信じた、だから、俺も信じる。これまでずっと、シャリノは正しかった。悔しいけど、それでやっとシャリノもお前も護れる」
「悔しいって、ベリザ……」
 出来る事なら、誰にも頼らずに自分達の手で。――その気持ちはベリザも同じ。
 しかしそれ以上に、彼にとってはシャリノを助ける以上に、ミシャールを守らなければならず、闇雲に突っ走ってしまう彼女を止める為に腕に込める力を増した。
「俺シャリノと約束してる。ミシャールの事大事にするって約束した。だから、無駄な事考えて欲しくない」
 自分の腕の中で俯いているミシャールの黒髪にベリザは額を押し当てた。子供が子供をあやすような仕種が、二人がどれだけ長い時間を共にしてきたかを物語る様だ。
 それから暫くベリザは何も口にせず、彼女の震えが納まるのをただじっと彼女を抱いて待った。
 表情が無くても、言葉に感情が無くても、彼の優しさは部屋に溢れる。
 長い沈黙が続き、窓の外から小鳥の囀りが聞こえ始めた頃、静まり返った部屋にミシャールの溜息が聞こえた。
「まったく、何時の約束よそれ? そんなの何時兄さんとしたんだよ」
 棘のある言葉遣いだが、ミシャールの腕がベリザを押しのける事はなかった。
 ミシャールの言葉にベリザは顔を上げて、ほんの少しだけ考える時間を取ってから、また淡々と言葉を発した。
「五歳の時。シャリノにミシャールをくれと言ったら、大事にするならやると約束した」
「……………………………………………………ちょぉぉぉっとぉっっ!! なぁにぃよぉそれぇ! あんたが五歳って言ったら、あたしまだ一歳じゃないっ!」
 勢いを付けて振り上げられたミシャールの頭を寸前に回避し、ベリザは無表情に彼女の吊り上がった目を見つめる。
「あんた達何人の事勝手に決めてんのよっ!」
「ミシャール人形みたいに可愛かった」
「そんな事当たり前でしょ。……って、違ーーーーーーーうっ!!」
「そう違う。今のミシャール美人」
「あら、ありがと……それも違ーーーーーーーーーーーーーーーうっ!!!」
 どうやら痴話喧嘩になりそうな様子の二人に、ソルティーは椅子に座り続けるかどうかを思案したが、結局部屋を出る事にした。