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刻の流狼第三部 刻の流狼編

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 ならば詳しい事情を聞くのはベリザが話せる状態になってからか、最も都合が良いのは何も聞かないまま別れる事だった。
 取り敢えず今の目的は、寝首を掻きかねない彼女の警戒心を、少しでも和らげる事だけだ。
「私の名はソルティー。あの二人は須臾と恒河沙。もう一人ハーパーと言う連れが居るが、この部屋に入れなくてね。確認したければ宿の裏に居る」
「ふん、あたしを外に連れ出してどうするつもりさ」
 腕と足を組んで鋭い眼差しを送りつけるミシャールには、ソルティー達の都合も苦労も伝わらず、ソルティーは諦め半分で首を振った。
「信じて貰えないならそれでも構わない。ただ、彼の体が落ち着くまでは此処に居て貰うよ。今動かせばどれだけ危険かは判るだろ?」
「………判った」
「それで良い。その分じゃ君の方はもう一度治療をすれば歩き回るくらいは出来るようになるだろう。その後は彼の事は任せるから、好きにすればいい」
 その言葉に頷くミシャールにソルティーも頷き立ち上がる。
「須臾、彼女の事はお前に任せても構わないだろ?」
「勿論! 僕は始めっからそのつもり」
 下心見え見えの頼もしさで胸を叩く須臾の目論見に、牙剥き出しのミシャールが引っかかるとは到底思えない。
 どんな見目形の女性でも、女性であるなら心からの礼節を重んじる。その点だけは信用できる彼に注意は必要ないだろう。――と、思い込みながらソルティーは自分の部屋に戻る事にした。
 少し落ち着いてから、この状況を整理したかったのがその理由だ。
 ミシャールの様子を見れば、この先も信用を得られるとは思えない。勿論事情もだ。
 もっともそれは彼女達の生業を考えれば大凡の察しはつくし、話を聞き出したい訳でもない。
 ただ、気になるのだ。
 彼女の仲間が、確実にもう一人居た事が。
 聖聚理教の神殿で自分を手玉に取った、不思議な力を持つ少年が。
――二人を見捨てたとは思えないが。
 彼等に肩入れをするつもりはないが、あの少年が仲間を見捨てるとも思えない。
――悪い事態に巻き込まれていなければいいのだが。
 ミシャールかベリザが口を開けば、必ず自分達はそれに関わらなくてはならいと思える。
 決してそれを本意としたくはないが、後ろめたさを感じながら目を背けたくもない。

 明らかにそれは曾てのソルティーには無かった考えであり、だが確実に彼は変わっていた。
 それがこれまで目を背けた事で失ってしまった命がそうさせたのか、それとも傍に居る者達がそうさせたのか。
 それでもソルティーは自分自身の変化を心地良く感じながらも、あえて何故と自問をしなかった。





「ソルティーいい?」
 恒河沙はノックと同時に扉を開けた。
 しかし狭い室内を見渡しても、そこにソルティーの姿は見えなかった。
「おっかしいなぁ、居ると思ったのに」
「何か用か?」
「あ、居た」
 部屋の奥にある浴室の扉から顔だけを見せたソルティーに、落ち込みかけた顔をパッと明るくして走り寄る。
「自分だけゆっくりするなんてずるいぞ」
「出たら交代するから」
 今から入るつもりだった為に、シャツの前だけが開いていた。
 別に初めて見たわけでもないのに、目の前の均整良く鍛えられた体に、恒河沙は少しドキドキする。
「で、何の用だ? 二人の方は良いのか?」
「うん。名前…何だっけ? まっいいや、あの兄ちゃんは熱も下がったし、さっきもう一回薬塗り直したから、後は飯食って、寝てればいいだけ。姉ちゃんの方は須臾が面倒見てるから大丈夫」
「そうか。それで用は?」
 ソルティーは右手を鴨居に宛い、直ぐに用件を忘れる恒河沙に問いかけて、彼が首を横に傾げる仕種に目を細めた。
「あのな、俺、あの姉ちゃんに何か言ったのか? ずっと俺の事睨んでくるし、先刻もまた馬鹿って言うし……」
 一応恒河沙も頑張って思い出そうと努力はしたが、思い出すきっかけすら思い出せないから、ミシャールに言い返す言葉も上手く思いつかなかった。
 それに馬鹿の連呼は流石に堪えて、言い返すよりも先に、この部屋に逃げてきたのだった。
「でも、ソルティーお風呂出てからでいいや」
「一緒に入るか?」
 冗談っぽい笑みに、恒河沙は微かに驚いた顔をした。
 実際ソルティーは冗談のつもりで言ったが、ある意味それで恒河沙を試す言葉でもあった。
 自分を大事だと言った言葉に、どれだけの重さがあるのか。それを知りたかったから、彼が少し考えてから頷いた時に驚きはしなかった。
「俺着替え持ってくるから、ちょっとだけ待ってて」
 そう言って走って部屋を出ていく後ろ姿を、微笑んで見つめる。
 急いで戻ってきた彼を見つめるのも、同じ笑みだった。
 隣の部屋よりも若干広さは有っても、浴室にそれ程の違いはない。男二人が入るには、少々手狭な感じは否めないだろう。
「ソルティーの背中後で洗ってやるからな」
 妙にはしゃいでいる感のある恒河沙が、ソルティーがお湯を作っている間に素早く服を脱ぎ捨てていく。――だが、最後に残った頭に巻いた眼帯の時に、その手も、明るい言葉も止まった。
「……怒んない?」
 脱衣所に戻ってきたソルティーを見上げる顔は、らしくない臆病さを浮かべていた。
「どうして?」
「あのな、俺……」
 恒河沙が眼帯の結び目に指をかけて霞んだ声を出し、ソルティーは優しい気持ちでそれが外されるのを待った。
「隠してたわけじゃないんだ。でも……」
 言う勇気が出なかったと、堅く結んだそれを解きほぐし、決心して左目を閉じて初めてソルティーに右目を見せた。
 正確には左目を開けたときも閉じられたままの右目。
 その開けられる事のない右目に、ソルティーはゆっくりと指を当てた。
「別に怒らないよ。何となくそうなんだろうとは思っていたから」
 閉じられた瞼の奥に眼球がない事は触れなくても判る。それが一体何処に在るのかも、言われなくとも判っていた。
「ソルティー……俺……」
 膨らみのない瞼に描かれているのは、消す事の出来ない呪紋。
 誰にも持てない、恒河沙にしか扱えない大きな剣。呪紋の意味は誰にでも判る。
 あの大剣はこの呪紋があるからこそ、右目を犠牲にしてやっと扱えるのだ。
「気持ち悪い…よな?」
「どうして?」
「だって、これ、俺してないもん。須臾は前の俺にはこんなの無かったって言うし、だけど俺はこれが俺なんだ。……そんなの変だろ」
 ある朝目が覚めたら真っ白だった。
 自分が誰かも、どうして自分がそこに居たかも、何も覚えていなかった。
 判っているのは、片目が開かない事だけだった。しかもその目は大剣に宿り、“誰も知らない”呪紋で結ばれてしまっていた。
 自分以外に他に誰も居なければ、誰かの普通と比べはしない。けれど目に付く者はどれも自分とは違っていて、いつの間にか普通とは違う自分が嫌いになっていた。
 それなのに、そんな大嫌いな自分を、ソルティーは優しく撫でてくれた。
「言っただろ? お前の何を取っても、それはお前で無くなる事だって。これもお前の一部だったら、それで良い。私は今のお前だけしか知らないから、今のお前が良い」
 自分自身に言い聞かせる言葉だったかも知れない。