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刻の流狼第三部 刻の流狼編

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 折り畳んだ包帯を傷に宛いながら頷く恒河沙に、ソルティーの疑惑は全く通じない。
 余程腕に自信があるのか、一点の曇りもない彼の様子にソルティーもそれ以上何かを言うのは諦めた。
「お前の方が余程凄いじゃないか」
 昨夜手放しで褒められただけに、妙にそれが今は恥ずかしく感じる。だがしかし、そんなソルティーの気持ちは、一瞬にして粉砕された。
「でも俺、人の治療したの初めてだから、そうでもない」
「…………こっ!」
 とんでもない恒河沙の言葉に暫く放心し、その後大声を上げそうになったソルティーの口を須臾が手で覆う。
「だから、一応って言ったじゃない。でも資格があるのは本当だから、此処は一つ腕試しと言う事で、穏便にしましょうよ」
 笑いを含んだ背後の声に、確信犯的な裏を読みとるのは簡単だった。
 しかし資格があると言う事は、知識が確かな事の証明であり、それなりの審査は受けている筈だ。恒河沙の手つき手際は確かにその裏付けを見せた。
 そして何より、もう塗ってしまった物はしょうがないのだ、諦めて、根性決めて結果を待つしか無い。
 仕方ないと肩の力を抜いてみせると須臾の手が放れ、包帯の色を変えていく薬に希望を抱くように努力した。

 ベリザの様子にこれと言って悪化の兆しがないのを確かめ、恒河沙の持ち帰ったもう一つの袋に詰まった食料をテーブルに広げる。勿論それは恒河沙本人の役目であり、須臾は女性絡み以外の面倒事には手は出さず、ソルティーはハーパーに事情を話してくると部屋を出ていった。
「はぁ、今度こそはまともな食事を食べれると思っていたのに」
「ん? でもこれも美味しいぞ」
 食料を用意するのと同じ速度で口に運んでいる姿に、須臾は首を振った。
 自分が言いたいのは気分の問題だと言ってやりたいが、絶対にそれを相手が理解する筈がないと思うと、余計に今の状況が悲しくなってくる。
「そうだ、彼女にも何か食べさせないと」
 須臾は急に思い出した親切さを装って、本心は別の事を考えながら、何個かの食べ物を手に取り、いそいそとベッドに向かう。
「ねえ君、もうそろそろ名前位教えてくれても良いと思わない? 僕は須臾って言うんだけど、こんなに真摯に頑張っている僕にだけでも、自己紹介して欲しいなあ」
 やはり殊更“僕”を強調しつつ女の枕元に食べ物を置いてみたが、彼女の須臾を見つめる目は大きく吊り上がっていた。
 猜疑よりも不信感。
 余程の事を彼女自身も体験してきたのか、誰の言う事も決して聞き入れない眼差しの強さは、昨日今日作られた物ではない。
 もしも彼女に起きあがれるだけの体力が残っていて、ベリザの容体がもう少し軽ければ、須臾達を傷付けてでも逃げ出す、そんな気持ちがありありとしている。
「……はぁ、食べられるなら食べた方が体に良いよ。これ別に毒なんか入ってないから、疑うんなら全部味見しても良いよ。食べて体力付けなきゃ、もう一度治療出来ないよ」
 どう言えば信じて貰えるのか。
 恩を着せるような言葉を一言でも言えば、きっと警戒心は更に強まるだろう。
 根深い彼女の凝り固まった心をどうすれば解かす事が出来るのか。少なくともその理由が判らなくては、信用を得る言葉を並べる事も無理だ。
――でも、なんかこの子放っておけないんだよな。
 須臾は彼女のきつい眼差しを感じながら、じっと天井を見上げた。
「なんだよ、食べないのか? もったいないな」
 天井から恒河沙に視線を移すと、買ってきた朝食を須臾の分も残さずに食べ尽くした空腹魔人が、彼女の食事まで狙って臨戦態勢を取っていた。
「恒河沙……これはこの子の分だよ」
「でも食べなかったら腐っちゃうだろ。そんなのもったいないだろ」
 食事が誰の物かなど関係ない恒河沙は、食べ物に吸い寄せられるが如く、初めて女の所の近付いた。
 女も初めてもう一人のお節介を目にした。
 そして女は、恒河沙の顔を視界に入れた直後大きな目を更に大きくし、更に吊り上がらせて、反射的に体を起き上がらせた。
「あんたっあの時のくそガキっ!!」
 右手で恒河沙を指差し、体は小刻みに震えているが、それは当然の事ながら怪我からの震えではない。
 忘れようとしても忘れられない。
 自分達を完全に虚仮にし、成功する筈だった仕事に黒星を付けた、彼女にしてみれば総ての元凶が恒河沙だった。
 その中で最も忘れられないのは、『極太太もも馬鹿女』だ。
 そんな大きな心の傷を自分に植え付けた者が、今目の前にいる。素っ頓狂な顔をして……。
「どうしてっ、あんたが此処にいんのよっ!!」
 あの時の聖聚理教の内部関係など知る筈がない。
 ソルティーと言う男は、当時からも言葉でリグス出身だと判っていた。だが恒河沙は司祭に雇われただけの、寄せ集めの傭兵の一人だと思っていた。
 だから捨て台詞は言ったが、二度と会う事は無いと信じていたのだ。
「くそぉーーーっ!!」
 自分達を助けたのが、このくそ生意気な奴の仲間だと判っていたなら、こんな屈辱は受けなかった。
 シーツを握り締め、悔し涙を浮かべる女を須臾は困惑気味に見下ろし、恒河沙は口を尖らせてこう言った。
「お前、誰だよ」
 “初対面”の女にいきなりくそガキ呼ばわりされて、それでも相手が怪我人だから手も出せない。
 言われた方は巫山戯んな状態だが。
「誰だだってっ? 冗談じゃない、あの時の恨み忘れたじゃ済まないんだからっ!!」
「…………あの時って…いつ?」
「あ……あ……」
 びしっと恒河沙を指していた指が大きく揺れる。
「なあ、いつなんだよ? 俺お前になんかしたのか?」
 どうやら女の様子では、何かあった様である。しかし積載要領の乏しい恒河沙の脳味噌では、思い出せる記憶の一番古い物は、ミルナリスの事をどうにかこうにか覚えている位だった。
 女の突き出した指を握り、振り回してその忘れている何かを聞いてみるが、彼女の口は大きく開けられたまま、閉じようともしない。
「須臾、知ってるか?」
「んなの僕が知ってる筈無いじゃん」
 須臾は肩を上げて恒河沙に答えるが、内心では女の方を同情する。
 何があったかは知らないが、極端に偏りの有る彼の記憶力を知り尽くしているだけに、彼女の恨みは可哀想な事に成就されないのも予想できる。
「なんなのよ! 馬鹿みたい!」
 とても同一人物とは思えない、敵対心の無い恒河沙の手を振り解き、両手をベッドに叩き付ける。
「……須臾…馬鹿って言われた」
 女が自分自身に言った言葉に反応する恒河沙に、余計に怒り続けた自分が馬鹿に思える。
 相手が別人とは思えない。少なくとも自分の記憶力は良いと自負もしている。何より忘れようとしても忘れられない、彼の瞳の色は決して他人である筈がない。
「もう良いわよ! あんたじゃ話にならない!」
 これ以上馬鹿を見たくなくて大声で喚き散らして女はベッドに寝転がった。
「俺じゃ話にならないってどう言う事だよ!」
「話にならないから、話しにならないって言ったんだよ! 文句あんなら、思い出してみなよ! この馬鹿っ!」
「ああっ、また馬鹿って言った! わかんないから聞いてんのに、なんで怒るんだよっ!!」