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刻の流狼第三部 刻の流狼編

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 国として形式上行う事もあるが、それらは気軽に破棄出来る程度の物でしかない。それはその必要が無い為と、外交が必ずしも自国に有益をもたらす事では無いとも知っているからだ。そして、表立って公表できない外交を一度でも交わす事は、僅かばかりでも、森の条約に反する事に繋がりかねない。
 その掟にニーニアニーは反した。それも、非公式且つ独善で。
 たとえ国は違っても、使える神が違っても、それがどういう事なのかソルティーには嫌と言うほど理解出来て、どうしても素直にありがとうとは言えなかった。
「国を考えるなら、間違いを犯した事は承知している。だが、カラの悪政はアストアまで届き、余としてもあの王は許し難いものを感じていた。お前が余を案じてくれているのは嬉しい。しかし余も、お前があの様な王の血を穢した者の為に、何も理解出来ぬ者達に追われる身になって欲しくなかったのだ」
「ニーニアニー」
「余の事は気にする事はない。アストアは刻の果てに消えるその瞬間まで、リーリアンの盟友だと誓っている。友の役に立て満足しているのだ、少しばかり目を瞑っても構わぬだろう?」
 力無く微笑みを見せるニーニアニーに、ソルティーはまた彼の前で泣きそうになった。
 途中で降りる事が出来ない道を選んだのはソルティー自身だったが、その道にこれ程多くの人が関わり、そして彼等の道を揺るがす事になるとは思っていなかった。
「……をすればいい? 何をすれば私は君に報いる事が出来る?」
 ずっと信じていた。
 何もかも自分一人で出来ると、誰にも関わらずに最後まで辿り着けると信じていたから、ソルティーはこの道を選んだ。
 それが間違いだったと思いたくはないが、心の何処かで悲鳴に似た痛みが走るのも事実だった。そしてそんな時には必ず、誰かが手を差し伸べてくれた。
「何も、余は何も望んではいない。ただ、せめて古くからの友に言葉を贈るなら、信じて欲しい」
 ニーニアニーはテーブルに置かれたソルティーの手に自分の手を重ね、小さな指に力を入れる。
「何を信じればいい?」
「ソルティアスの背負う物は、誰一人として理解は出来ぬだろう。しかし、理解しようとしていない訳ではない事を信じて欲しい。今のお前も決して一人でない事を信じて欲しい」
 周りの者を信じるのではなく、自分自身の中に感じるものを信じろと。
「お前からすれば、余の言葉は他人事を軽んじていると思われるかも知れない。しかし、もう人に頼っても良いではないか。もう、この世界の者に知らしめても良いはずではないのか、自分達が一体誰の犠牲で安穏と暮らしているのかを……。余はそう思う」
「ニーニアニー……ありがとう、その言葉だけで充分だ」
 彼の心からの優しさに触れ、自分の中に在った何かが丸みを帯びていく感じがした。しかしそれを安易に認める程の強さを、まだ持ち得ていなかった。
 人に頼る事が弱さだと教えられて生きてきた中では、どうしてもニーニアニーの言う様な、理想を現実にする意味を見いだせない。だがそれ以上に、数多の命を犠牲にしながら生き延びた者の辛さが、弱さを吐き出そうとする口を重くした。
 彼が言うように言えばそれだけ胸の閊えが軽くなる。彼との本心からの会話がそれを教えてくれた。ただし相手がニーニアニーだからこそ、自分と同じ過去を知る者だからこそだとも思う。
 
 何もかもを知る事は、時には苦痛を強いられ、それがとても耐え難い痛みとなって襲ってくる。
 それがソルティー自身が“今の時代”で初めて胸に刻んだ事であり、決して須臾や恒河沙に与えたくない事でもあった。





「なんだかなぁ……」
 ソルティーがニーニアニー達と話をしている頃、須臾は一人で城の庭先の風景をぼんやり眺めていた。
 いざこれから始まる新たな旅に思いを馳せる間もなく、頭の痛い事に、ハーパーが倒れてしまった。
 自分は至って元気なのだが、やはり森の異物を取り除こうとする力は強く、火属性のハーパーにはかなり押し寄せていたのだろう。それを一言言えば良いのに、意固地になって我慢していたものだから、先程とうとうぶっ倒れてしまったのだ。
 現在は城の術者に治療を施され、恒河沙にソルティーへの言伝を頼んだのだがなかなか帰ってこない。――それもその筈、現在ソルティーはニーニアニーと話をしている最中で、衛兵によって塔に上る事さえも出来ない状態だった。恒河沙は馬鹿正直に自分で伝えようと待っているので、まだまだ戻ってこられないだろう。――これまたハーパーは意地を張って隠そうと口止めを要求してきたが、ソルティーの耳に遅れて入る方が余程恐ろしい。
 ハーパーにいくら義理立てしても給金は増えないが、ソルティーの機嫌を損ねれば確実に減る。なので早々にソルティーに知らせる決断をしたわけなのだが、
「だんだんめんどくさくなってきたなぁ〜」
 と、正直に思う。
 暇を持て余していたが、考える事は腐る程あるのが、此処での毎日だった。
 しかしありすぎると、今度は逆に纏まらない。
 依頼された時にぼろ儲けと思っていた仕事が、こんな事になるとは流石に予想していなかった。確かにこんなに仕事が楽で、金に不自由しないし、ある程度以上の自由を保障されている状況はぼろ儲けだが、それ以上に問題が山積みだ。
「ソルティーが悪い訳じゃないんだけどな」
 信用を“する”“される”の問題では無くなってきている。
 多分どれだけ自分達が信用され、信頼を置かれても、彼が自分から真実を話すとは到底思えない。――いや反対に信用されているからこそ、彼は自分達に何も話せないのも感じられた。
 幾ら断片的に彼等の言葉を繋ぎ合わせても、真実には程遠い。これからの事を考えれば、決して不安が無いとは言えない位には、未だに彼等が何者で、何を目的に、何処へ向かっているか判らないままだ。こんな状態で安心できるのは、馬鹿の天才である恒河沙だけだ。
 だが此処へ来て漸く、彼の身分がハッキリした。
――地位のある人間だとは思っていたけど、まっさか王様とは呆れちゃうねぇ……。
 初めてこの国の王に会った時、彼の嘲笑と共に聞かされたソルティーの名前は、それを示唆する内容の含まれた台詞だった。
 あの時ソルティーはその名を拒絶したが、名前自体を否定しなかった。
 国と国民を意味する言葉が、リグスハバリの王の名前には必ず含まれる。恒河沙にリグスの知識を教えたのはソルティーであり、自分から都合の悪い事は教えはしないだろう。
 しかし須臾は違う。女性との寝物語に、様々な常識と情報を耳にしてきた。『与えられる情報だけを信じるな』と言う幕巌の教え通りに、あらゆる無駄話から事実と状況を集めてきた。
 “シスルから来たばかりの言葉の不自由な可哀想な旅人”な設定は、女性を口説く為だけではなく、リグスでは常識過ぎて誰も口にしない様な話を聞き出すのに役立った。そしてその中には、永久不変に在り続けた王の話もあった。

 ニーニアニー・ヴァウンス・エスター・アスティニ・アストリア。
 そして、ソルティアス・ダ・エストリエ・リーリアナ・リーリアン。

 リグスの王の御名には、必ず彼等が背負い護るべき名が刻まれるという。