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刻の流狼第三部 刻の流狼編

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 一度呼んでしまえばこれから先、一生同じ事が無いと断言出来ない。もし恒河沙の胃袋を満たす程の鳥を用意すれば、付近一帯の鳥は居なくなってしまうに違いない。そんな同族を滅亡させてしまうような真似は、幾らなんでも須臾には出来なかった。
「死んじゃう〜〜〜」
「我慢しろよぉ」
 そんな二人のやり取りを立ち止まってソルティーは見ていたが、それはとても笑って済ませられる光景ではなく、どう口を挟んで先に進もうかと考え出した時、何かを感じて空を見上げた。
「……ハーパー……」
 まだ空には雲しか流れていなかったが、直感でそう思い、体はその言葉と同時に動きだしていた。
「ソルティー?」
 自分達を置いて、しかも街道とは全く違う場所へと向かいだしたソルティーに慌てて二人も追い掛け、途中で彼がずっと空を見ているのに気が付き遙か彼方を見上げた。
 雲が風に吹かれて移動する。
 そしてそれは雲の向こう側から現れた。
「ハーパー?」
 恒河沙の目を使っても、まだはっきりとしない空に浮かんだ赤い点が、時間を掛けずに形を変え、輪郭をくっきりとさせる。
「ハーパーッ!」
「え…?」
 ソルティーから発せられた、今までに聞いた事の無い親しみの込められた呼び声に二人は驚いた。
 背中を向けた彼の顔は見えないが、どれ程喜んでいるのか判る。
 どれ程ハーパーの姿を心待ちにして居たのかを知る。
「主っ!」
 空にハーパーの声と翼の音が響いた。
 ソルティーの両手が高らかとハーパーに向けて伸ばされ、それに応える様にその巨体は舞い降りた。
「主」
 喜びを隠さないハーパーは地面に降り立つと同時にソルティーを、まるで子供の様に抱き上げた。
「よくぞご無事で、我は嬉しいですぞ」
「こら、恥ずかしいじゃないか……」
「何を仰られますか。我がこの日を、どれ程待ち焦がれたとお思いか? ソルティアス様は、そんなに薄情なお人であらせられましたのか」
 子供の頃を思い出さされるハーパーの言葉に、ソルティーも素直に彼の首に両腕を回し久しぶりの彼の匂いを吸い込み、彼にだけ聞こえる声で再会を喜んだ。
「ワァ……会いたかったよ」
「我もです。漸く約束を果たす事が叶い、我は嬉しい限り」
「ああそうだね。やっとワァの所に来られた気がするよ」
 ハーパーの鬣に指を絡ませ、放さない様に今度はソルティーから腕に力を入れる。ソルティーが唯一心を無に出来る場所は、今も昔もハーパーの腕の中だけかも知れない。
 恒河沙達はそんな二人に入り込む余地を見出せず、ただ呆然とそれを遠くから眺めるだけだった。
「……美しくないなぁ」
 美男美女の抱擁ならまだしもな場面を見せられ、須臾は口の中でそう呟き、隣でそれを羨ましそうに見つめている恒河沙に目を覆った。
 ハーパーに抱き上げられているソルティーにではなく、彼に抱き締められているハーパーに対しての羨望の眼差しは、矢張り須臾には美しくないものなのだろう。



 一頻り再会の喜びに浸ってから、ソルティーは恥ずかしそうにハーパーの腕から降りた。
 その間恒河沙は複雑の心境で二人を見つめ、須臾は途中から地面に横になって暇を潰していた。
「おお、そうであった。主、これをお返しせねば」
 子供じみた行動を反省をしているソルティーに、ハーパーは鎧の胸元から勝手に持ち出していた彼の櫛を取り出し、頭を下げながら差し出した。
 ソルティーはそれを受け取りながら、肩を竦め小さく微笑んだ。
「無くて困ったよ」
「申し訳ない」
 どうしてと聞かれなかったのが、それが事情をソルティーが気付いていた事に繋がり、更にハーパーの頭は下がる。
「で、これに効き目はあったのか?」
「うむ。あやかし一体には不覚をとったものの、四体程滅した」
「そうか、思った以上に森に助けられていたらしいな。私達の方に現れたのは二人だ。まあ私がどうにかした訳ではないが」
 そうしてやっと恒河沙達の方にソルティーは目を向け、彼等に助けられたと言った。
「しかしこんな物で効果が現れるとなると、これから厄介だな」
 僅かな気配を増幅させた所で、それが本人の代わりにはならない。その小さな気配を妖魔は的確に嗅ぎ付け、何処であろうと集まってきていた。人の肉体を奪う妖魔を簡単には見分ける事は容易ではないし、肉体を持って居るとも限らない。
 これからは確実に自分は狙われ続ける。
 ソルティーは絶対的な予感に、自然と全身に力を入れた。
「ハーパー、これだけで彼が私に驚異を感じていると思うのは、楽観的過ぎるか? それとも、侮られているだけなのか?」
「我には何とも。しかし、我が見る限り、あやかしに統率性は皆無。我等の敵では御座りませぬ」
 自分の言葉に確信を持って胸を張るハーパーにソルティーは頷いては見たが、胸に蟠る霧を晴らす事は出来なかった。
――あやかしに統率性が出来れば、そう楽に勝たせては貰えない。
 つい悪い方へ考えてしまう自分をソルティーは止めようとしたが、どうしてもこのまま終わるとも考えられない。敵に勝つにはまず敵の事を知るのが戦いの常套だ。それのままならない相手を前に、その場任せが何時まで通用するのか、不安は拭いきれなかった。





 蒼陽も差し迫った山間の道。
 カンテラを腰につけ、両手には抱えられるだけの薪を持った男が、陽気な鼻歌混じりに家路に向かっていた。
 何処かで武道をかじっているのか、だぼだぼの服を着てはいたが、鍛え抜いた体の線は隠せない。
「おい貴様」
 突然背後から掛けられた声に驚いたものの、周りに自分以外の者が居ないのを知っている男は、警戒しながらも後ろを向いた。
「誰だ?」
 木々の陰に隠れた自分を呼び止めた者の足だけが男には見えた。
「誰? そんなんは、死んじまうてめぇにゃあ関係ねぇだろ?」
「何だと!」
 男はその馬鹿にした言葉に抱えていた薪を捨て、闘う気構えを作ろうとした。
 しかし、男が両手を構えようとした時に、体に熱い痛みが走り抜けた。
「ーーーーーーッ!!」
 自分の体が正面にある不思議さに囚われながら、男は絶命した。
「大将! 殺してもうたら体頂戴できんやん」
 影にいた者は死んだ男が見た時と何ら体勢を変える事無く、別方面からの甲高い声に反応してやっと其処から動いた。
「誰がこんな体要るか。俺が欲しいんは、此処だけや」
 そう言った体に穴を持つ男は、死んだ男の体を足で仰向けにすると、持っていた太刀を喉元に突き刺した。
 大量の血を吹き出しながら、太刀は円を描く様に男の肉と骨を切り裂いていく。
「今更こんな弱っちい体奪えるか。俺が次に手に入れる体は、この世界で最高の肉体だ。あの男の体だ」
 切り終えた胸から腹を、男は乱暴に死体から引き剥がした。
「大将〜〜、そりゃ幾らなんでも無理やわぁ。大将強いんは判ってんけど、相手悪過ぎやん」
「じゃがぁしい、ぐだぐだ言っとらんとさっさとやらんか」
 死体から抜き取った血塗れの肉の塊を、男は自分の穴に宛った。
「へいへい。もう大将は俺がおらんかったら、どうしようもないんやから。ほんま、世話が焼けるなぁ」