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刻の流狼第三部 刻の流狼編

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episode.22


 炎は総てを焼き尽くす存在だ。
 力と破壊を旨とし、生きとし生ける者の総てを滅ぼす精霊神の名を、ツァラトストゥラと言う。
 しかし人は、この世界から炎を失う事は出来ない。
 死と隣り合わせが生の様に、人の生活から火と水は欠かせない基盤の一つだ。
 相反する物事の中に身を置き、そして生き続けなくてはならない人の運命。人の手には破壊と創造が、危うい釣り合いで握られているのかも知れない。


 * * * *


 ジェリを倒した後の旅は順調に進んだ。
 森にまで進入可能な妖魔が、ジェリともう一人だけだったのかは、ソルティーに判断は出来なかったが、少なくとも新たな敵が次々と襲ってくる様な事態は無かった。
 抑も妖魔がどれ程の力を持っているのかも、後どれ位の敵が行く手を阻んでいるのかも想像出来ない。但し行く手を塞がれていると言う事は、自分の辿っている道が正しいのだと確信を得る結果とも言える。尤も、眼前に現れた時点でそれを倒して行くしか方法は無く、そうするには今この場で須臾達を失うのは得策で無かった。
 ただ何処まで話をすれば、疑惑を抱いただろう須臾の納得を得られるのか。
 重くなりそうな気持ちを奮い立たせ、この森の旅最後の泉を前ににして、ソルティーは須臾の呼び出しに応じた。

 少し距離を置いた先では、イニスフィス達と主に恒河沙が手近な木の実を集めるのに一生懸命になっていた。
 ジェリの一件以来、テレンは少し雰囲気が変化した。
 彼の見せられた悪夢が一体何であったのか、それは彼の口から話される事はなかった。しかしそれ以来の彼の態度は、どことなく棘が抜けていた。
 ジェリの攻撃もその手段も許される物ではないが、この事に関してはどことなく良かったと周りはそう受け取った。
「ソルティー、妖魔って何? あれがあんたの敵なのか?」
 いつの間にかテレンとも仲良くなっている恒河沙を、遠目で見ながら須臾が切り出す。
 一番の疑問はそんな事ではなかったが、其処から切り出すのが正しいのだと判断しての言葉だった。
 それをソルティーも予測して此処へ来たのか、特に驚いた風でもなく落ち着いて答えを返した。
「敵だ。但し、あれは私の本当の敵の配下でしかない。いや、その表現も正しいとは言えないな。恐らく利害の一致でもあったんだろう。――私が行こうとしているのは、その敵の居る所だ」
「じゃあ、目的の場所が無いって言っていたのは、嘘だった訳?」
「嘘じゃない。もしも敵に動きがあれば、目的地も変化する。それに私が言ったのは、雇う上での、二人の仕事と最終的な契約終了場所だ。あの時点では本当に敵が私の前に現れるとも、それがあんな妖魔だとも思っていなかった」
 お互いに相手の顔を見る事もなく、表情だけからはとても真剣な話をしている風には見えないだろう。
 ただし瞳だけが慎重に相手の空気を見ているのは確かだ。
「じゃあ、その妖魔って一体何なんだよ。あんたの敵って一体何?」
 須臾の問い掛けに対する答えが出るまでに、少し間が取られた。
 ソルティーの躊躇いは須臾にも微かに届いたが、彼を急かすつもりも言った事を取り下げるつもりもなく、何も言わずに彼が口を開くのを待った。
「……妖魔は、人の邪念が時間を掛けて集まった、人とは違う負の存在だ。肉体を持たなくとも存在する事が出来、人の負の感情を好む」
「それで、あんたの敵は」
 やっとソルティーの方を向いた須臾は、最も大事な事を期待半分に口にする。しかし今度は、素早く冷静に、そしてはっきりとソルティーは須臾の目を見て言葉にした。
「私の国を滅ぼした者だ」
「………」
「生き残りと言える者は、私とハーパーしか居ない。だから……私が、私の手で倒したい。いや、倒さなければならない」
 思い出してこみ上げる憎しみを抑制出来ないのだろう。ソルティーの口調は徐々に力の入った言葉となり、両手は堅く握られていた。
――外れて欲しかったのにな。
 出会った頃に予想した事とはかなり違っていたが、アストアに来てからの自分の予想が間違いではなかった事に、須臾は長い髪を掻き上げながら息を吐き出した。
「それが誰かなんて聞いた所で話してはくれないんだろうね」
「……済まない」
 所属する傭兵団によって主義はそれぞれだ。
 ただ雇い主に言われた仕事をする者、自分の判断で仕事をする者。奔霞の傭兵団はその後者に当たる。特に理の行いに従うのを旨とし、受ける仕事の判断を下す権利を、奔霞の傭兵は持っていた。須臾もその例に漏れない。
 しかし須臾はソルティーを追求する権利を捨てて、頭を下げようとする彼を片手で止めた。
「んにゃ、構わないよ。僕が知りたかったのは、あんたにどれだけの大義が有るかどうかだけだから。まあ、雇われたからにはそれなりの事を済ませたいとは思っていたし、ソルティーがまだ僕達を必要としているなら、つき合うよ」
「……正直、今その言葉を聞かされるのは、かなり助かる」
「どういたしまして。それに……今のままじゃあ、彼奴も納得出来ないだろうし」
 須臾は再び恒河沙へと視線を移し、折角テレンが取ってきた果実を片っ端から口に放り込んでいる彼に笑みを漏らす。
「僕はさあ、雇い主よりも彼奴が大事なわけ。彼奴が本気で嫌がる仕事相手とは契約しないし、わざわざ危険に晒すなんてしたくなかった。でも、彼奴があんたの傍に居たいって言うんなら、僕は彼奴が納得するまであんたにつき合う。きっとこの台詞はあんたには迷惑だろうけど、イェツリに約束したから」
「イェツリ?」
 今まで須臾が口にしてきた女性達の名前とは違って、明らかに何らかの感情の込められたその言葉を、ソルティーは不思議な気持ちで口にした。
 『世界中の女性は自分一人の為に存在する』と本気で豪語する彼が、一人の女性を特別視するとは思っていなかったのが正直な感想と疑問だ。
「彼奴の母親。僕の初恋の人でもあるけどね、彼奴が産まれて直ぐに死んじゃった」
 須臾の言葉にソルティーは内心、成る程と深く頷いた。
 須臾が若い身空で子供を一人育て上げた理由に、女性が絡んでいるののは非常に納得の出来る話である。取り敢えずは彼の機嫌を損なわない為に、顔には出さない様には努力をした。
「名前からしてリグスの者なのか?」
「さあ……どうだろうね。自分の事をあまり話さなかったから」
「……そうか。それはそうと話は変わるが、いい加減恒河沙を止めないと、テレン達が可哀想だと思わないか?」
 何かを隠していると言わんばかりの、戯けた須臾の仕種に、話を一端打ち切る事にする。
 そして、別の話題と同時にソルティーの指差した先には、異次元の胃袋に詰め込まれる果実を運び疲れてふらふらになっている二人の姿と、目の前にあるだけ口に放り込んでいる恒河沙の姿があった。
「へ? あらら……」
 二人の大の大人の哀れな姿に、後頭部を掻きながら須臾は呆れたが、直ぐに真面目な顔に変えると、右手を恒河沙の方へ丁寧に差し出した。
「それじゃあソルティー、いってらっしゃい」
「は?」
「此処は一つ、甘やかし上手のソルティーが恒河沙を叱ってきましょう。お父さんは叱るのが仕事ですよ」