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刻の流狼第三部 刻の流狼編

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 須臾の槍が深々とジェリの脇腹に食い込む。
「人の大切な思い出を、よくも台無しにしてくれたなっ!」
 嫌悪感丸出しの須臾の言葉に、ジェリは嬉しそうに聞き入った。
 矢張り痛みは感じないらしく、槍をそのままにジェリは片手の力の塊を須臾に向け放つ。
「須臾っ!」
 恒河沙の叫びより早く須臾は槍から手を放し、横に転がりながら移動し、塊は須臾の居た筈の地面を抉っただけに終わった。
「ざけんなよっ!」
 須臾に向いていたジェリに恒河沙が大剣を水平に構えたまま突進し、それに気付いていたのかジェリは残っていた塊を恒河沙に放つ。
「くそ野郎っ!」
 恒河沙の掛け声と共に、剣が光を発し塊を弾き返した。
「何っ?!」
「だぁああああっ」
 自分の放った塊を片手で打ち払ったジェリの顔面に、恒河沙の大剣が光を発したまま襲いかかるのを彼は姿を消す事で避けようとし、須臾がそれを見逃す筈がなかった。
 ジェリの塊を避ける時には、既に無言の詠唱は終わっていた。気配を悟られぬように握り締めた右手には、破裂した封呪石と宝玉が突き刺さっていた。
「させるかっ、水よっ!!」
 須臾の呼び声と共に現れた地中からの水は、一瞬にしてジェリの足下を凍らせた。
「ぐぁっ」
 消えないジェリの体に、恒河沙の大剣が頭上から落ちる。
「くたばれっ、くそやろおおおおおおおおっ!!」
 顔面にめり込む剣の衝撃に、ジェリは肉体から離れようとした。しかし、激しい光を受け、引き裂かれる体からジェリは抜け出す事が出来なかった。
「何故だ……」
 それがジェリの最後の言葉。
 大剣の光が二つに体を割る場所から、ジェリの意識は光へと吸い込まれ、そして無になった。
「はぁ…はぁ……」
 肩で息を切らす恒河沙の目の前で、ジェリの有していた肉体は徐々に干涸らび、指の先から崩れていく。
 長い年月ジェリの肉体とされていた者に、本来の時間が戻ったのだろう。その光景を眺め、恒河沙も須臾も気持ちの悪さを覚えた。
 人とは違う敵。
――こりゃソルティーが巻き込ませたくない筈だよ。
 恒河沙に視線を移し、これから先の苦労を須臾は改めて実感した。
「ご苦労さん、大丈夫?」
「……うん、ちょっと痛いけどさ」
 肩口から流れ落ちる血を見て、顔を顰めながらも、恒河沙は気の抜けた笑いを見せた。
「まあ後で念入りに治療してやるから」
「うん。……そうだ」
 思い出したように恒河沙は後ろを振り向き、まだ目を覚まさないソルティーに駆け寄る。須臾はそちらは彼に任せ、イニスフィス達に向かったが、彼等の側に寄る頃には二人は頭を振りながら起きあがった。
「何が…あったんだ……」
「嫌な夢だ……」
 自分と同じ様に彼等も古傷に引っ張られたらしい事は、その言葉で判った。
「そうだ、彼奴はどうした? あの薄気味の悪い奴は」
「なんとか倒したよ。なんとかだけどね」
「倒したのか……」
 須臾が顎で示した、ジェリの服だけが残る場所を見つめ、イニスフィスは溜息を吐いた。テレンは余程の悪夢だったのか、目が覚めた今でもまだ思い詰めた顔をしている。しかしこればっかりは他人ではどうしようもない事だ。
 自分の気持ちは自分で整理しなければならないと、須臾は彼を一人にする事をイニスフィスに勧め、ソルティーの所へと向かった。
「どう、様子は?」
 その問い掛けに恒河沙は首を振った。
「どうしてソルティーだけ目が覚めないんだ? 彼奴やっつけたのに、おかしいよ」
「………彼奴の狙いがソルティーなら、それだけ念入りに術を掛けたのかも知れない」
「そんな……」
 慎重な須臾の言葉に恒河沙は視線の先をソルティーへと戻す。
――それか、ソルティーの傷が僕達よりも深かった。
 誰にだって触れられたくない事は在る。その忘れたい過去を穿り返され、剰え二度と見たくない事実を見せられたのだ。それが多く深ければ、現実でも耐えられずに死ぬ者もいる筈だ。
「ソルティー…目を覚ませよ」
 恒河沙がソルティーの手を握り、そう語りかける。
 須臾にはそれが自分の過去の姿と重なり合って見え、慌てて嫌な予感を掻き消した。
――そんな事ない。あれは、姉さんは本当に治らない病だった。イェツリもああするしか無かったんだ。
 両手を握り締め、自分の愚かな考えを須臾は必死に振り払う。
「ソルティーってば、なあ……」
 俯いた恒河沙の瞳から涙が落ち、ソルティーの頬ではじけた。
「ソルティー……」
「……また…泣いたのか…」
 微かな呟きはソルティーの瞼が動くのと同時だった。
「ソルティーッ!」
 恒河沙の声に須臾もソルティーを覗き込み、彼がはっきりと自分達を見ているのを確認した。
「泣かせたのは誰だよ」
 須臾の嫌味な言葉にソルティーは目を細め、言葉の詰まった恒河沙に手を伸ばす。
「ごめん…、また心配かけて」
「……っ」
 頬に触れる手の温もり、恒河沙は堰を切ったように泣き出した。
 上体を起こし、宥めるように頭を撫でたり、肩に触れたりしたが、今回だけはどうも勝手が違うのか、ソルティーの慰めは恒河沙に届かない。
 ほとほと困り果てて須臾を見上げると、彼は笑いながら自分を抱き締める仕種をソルティーに見せた。
「〜〜〜〜」
 困惑した表情を須臾と恒河沙を何度か往復させ、最後にはやれと命じる須臾の視線に負け、ゆっくりと恒河沙の背中に両腕を回した。



 翌日から直ぐに旅は再開された。
 体の疲れは確かに全員が持っていたが、あと二日ほど歩けばまた泉があると言うイニスフィス達の言葉で、休むのは其処にする事にした。
「ソルティー……痛そう……」
 腫れ上がった左頬を見上げての恒河沙の言葉に、ソルティーは情けない笑みを見せた。
 寝過ぎた罰にと見張りを須臾に命令されたソルティーを残し、全員が寝静まった頃、須臾がソルティーの所に来て一言だけ言った。
『一発殴らせろ』
 理由も言わないその言葉にソルティーは頷いて、立ち上がり彼の渾身の拳を受けたのだ。受けながらそれが恒河沙を泣かせてしまったからであり、須臾を心配させた為なのだと、何となくだが理解した。
 以前と今では自分達の関係が微妙に変わってきている。
 そんな事をソルティーは須臾が寝場所に戻ったあと、見張りをしながら考えた。

 悪夢に怯えていた自分を、最後に救い出した恒河沙の存在を思い出しながら。


episode.21 fin