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刻の流狼第三部 刻の流狼編

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 何も思い出せないのに、恐怖だけがソルティーを支配する。
 気が付けば、女性を残して他は消えていた。
 ゆっくりと近付いてくる女性達が恐ろしくて、ソルティーは這う様に逃げ出した。
「貴方が必要なの。この世界を救えるのは、貴方だけなの」
 闇が体にまとわり、絡み付く。
「い…嫌だ……もう嫌だ……」
 髪を掻き乱し、蹲る。
 恐い。苦しい。そんな胸を締め付ける感情だけが支配する。
「思い出したくないっ!!」
 覚えていないのに、思い出せないのに、何故か思い出す事は辛い事だと判っていた。
 消したい事実。
 忘れたい記憶。
 此処に居れば、それに惑わされる事はない。
 二度と何も失わなくて済む。

 何故それが許されないのか……。





 自分の罠に掛かって倒れた者達を見下ろしながら、ジェリは悦に耽った笑みを零す。
 人の悲しみや苦しみがジェリの餌。
「ククク……。お前達の悲しみは特に甘美だ。指図されるのは気に食わないが、こんなに楽しい思いをさせて貰えるならば、こんな事も偶には良い」
 深い眠りに陥ったソルティー達はこのまま放置しているだけでも、遠く無く死を迎えるとジェリは確信して身悶えるような震えを起こし、口元の笑みを更に濃くした。
「さぞやゲルクは悔しがるだろう。ああ、その感情も良い。あいつのそんな感情も、さぞや美味しいのだろうな。クク、さあ、早くその心を悲しみに擲て、そうすればこの世の煩わしさから解放されるのだ」
 ジェリがゆっくりとソルティーに近付く。
 時間を掛け深く引き落としたと言うのに、自分の思い通りにならなかった男に、もう一度死の囁きを聞かせる為に。
「余程の事が在ったのだろう、此処でただ殺すのは惜しい感情だが、彼奴に逆らうのは恐ろしい」
「なら、お前を殺して楽にしてやるよっ!」
「……ほう」
 背後からの突然の声に驚く様子も見せず、ジェリは感嘆の溜息を後ろの恒河沙に漏らした。
「私の眠りから覚めるとは、余程の精神力か、それともただの馬鹿か」
「悪かったな、馬鹿で」
 恒河沙は大剣を両手に持ち、ジェリの背中に舌を出す。
「妖魔である私をそんな剣一つで倒せると思っているのだから、馬鹿と言うよりも愚か者だ。まあ良い。――この世界にそれ程までに未練があるというのなら、宜しい、この世界で殺してあげようではないか」
 嘲笑を交えながら恒河沙に振り向くジェリは、その右手を高らかに上げた。
 掌に小さな稲妻を放つ光球を造りだし、それを恒河沙に向けて真っ直ぐに放った。





 村を一望できる丘の上にある、一本の木の上が須臾のお気に入りの場所だった。
 宮奈が亡くなってからは、此処が彼の逃げ込む場所になっていた。
 鳥であるにも関わらず翼を持たない須臾には、少しでも空に近づけるこの木の上が、何よりも自由を感じられる場所。
「あれぇ、君何してるの?」
 下から自分に向かって掛けられた声に、須臾は驚いて思わず枝から落ちそうになった。
「危ないなぁ、もう、落ちたら怪我じゃ済まないよ?」
 馴れ馴れしく話しかけてくる女性に心当たりはない。
 少なくとも村に住んでいる者が、自分にこんなに気安く声を掛ける筈がないと須臾は知っていた。
 宮奈が生きている頃に友達だった者は、もう一人も残っていない。一緒に遊んでくれる者も、悩みを聞いてくれる者も誰一人居ないのだ。
 彼等から離れたのか、それとも自分から距離を置いたのか。そんな事はもうどうでも良いほど、全てに疲れていた。ただそれだけだった。
「あんた誰だよ」
「え? あたし? あたしイェツリ。昨日村に引っ越してきたんだけど、知らない?」
 昨日は一日、お仕置きで納屋に閉じこめられていた。そんな須臾が、そんな事をどうやって知ればいいのか。
 それよりも一々村に誰が来ようと須臾には関係がない。
「ねぇ、そこ気持ち良いの? あたしも昇って良い?」
 本当は嫌だった。
 この場所は何時も宮奈と昇り、今では宮奈との思い出の場所だった。しかし、自分を見上げる、年甲斐もなくはしゃいでいるイェツリを見ていると、とても邪険な言葉は浮かんでこなかった。
 それが須臾が二番目に好きになったイェツリとの、最初の出会いだった。
 自分がまだ五歳の子供だったとしても、相手にはもう夫も居る人であっても、好きになったのは隠しようがない。
 イェツリの夫が帰らぬ人となっても、その人を恨むよりも自分が彼女を助けてあげられると思った。
 その思いさえ在ればなんだって出来る、そんな気がした。
「この子の名前は須臾が付けるの」
「はあ?」
「だってこの子は須臾の弟だもん。決定!」
 そんな冗談とも思える事を平気で口にする彼女が、本気だとも須臾は知っていた。知っていたからこそ、何ヶ月も悩んで名前を捜した。
 大好きだった。
 気が付いたら宮奈よりも好きになっていた。
 彼女が自分の事を子供だとしか思っていなくても、須臾の拠り所は彼女しかなかった。
「ねえ、私が居なくなったら、この子の事お願いね」
 だからそんな理不尽な願いも、有り得ないと思いながら引き受けた。
 死ぬなんて思わなかった。
「どうするんだよ、子供置いて一人で行かないでよっ!」
 そう叫べばきっと戻ってきてくれると信じていた。
 二度も自分の大切な人を奪われるなんて、まだ子供だった須臾に考えが及ばない。
「ごめんね……須臾に、勝手な事……頼んじゃって……」
「そうだよ、僕は子守りじゃないんだから、ちゃんとお母さんが育ててよっ!」
「ごめん…。でも…須臾だけだから……。須臾にしか…恒の事…頼めないから…」
「嫌だよイェツリ……。そんな事言わないでよ……」
 手を握り締め、今にも消えてしまいそうな彼女に須臾は頼み続けた。
「僕を置いていかないでよ……。一人にしないでよ……」
「……ごめん…でも…また……」
 消えていく命を繋ぎ止める方法が思いつかない。
 手を握るしか、声を掛けるしか考えられない。
「どうして……どうしてみんな僕を置いて行くんだよっ!!」
 力の無くなった手を握り締め、枯れない涙を流す。
 無力な自分を残し消えていった大好きな人達。
 共に行きたいと願いながら、それが出来ない自分を須臾は呪った。
 何時も何時も須臾の前には、どうする事も出来ない道があった。
 抗いたい、逃げ出したい道を、須臾は無理矢理歩かされてきた。
「もう嫌だよ…こんなの…生きてたって何も良い事無いじゃないかっ!!」
 両手の中に確かに握り締めた居た、イェツリの手が無くなり、須臾の周りには闇だけが在った。
 誰かを亡くす事の悲しみは、簡単に乗り越えられる筈がない。
 切望する時に差し伸べられる手が在るからこそ、その悲しみから抜け出す事が出来る筈だ。
「僕を一人にしないでよ。僕の大事な人を返してよ」
 二人の大事な人の手を握り締めた、自分の無力な手を見つめ、須臾は闇の中で声にならない悲鳴を上げた。
 何処までも果てしない闇の中で、自分の呻きだけが聞こえる。
 それなのに、闇はそれ以上須臾に近付かなかった。――いや、近づけなかった。何かが嗚咽を上げる須臾を包み込み、まるでそれは守るように、抱き締めているように見えた。