刻の流狼第三部 刻の流狼編
渋々声の要望に応える瑞姫に、ソルティーは多少の困惑は隠せなかった。
彼女の言う二神の話は初めて聞いたのだ。神の行動など判る筈もなければ、瑞姫の方が余程詳しく理解していると思っていた。
しかし、聞かれたからには考えてしまうのが、彼の良い所でもあり、悪い所でもある。
「此方もそれ程詳しくはないんだ。――ただ、サティロスとウォスマナスが敵に回るとは思えない。二人とも自分の領地をああもされたのだから。サティロスがどうなっているかは判らないが、ウォスマナスは動きたくても動けない程力を失っているらしい。多分彼女も同じだろう。クシャスラはその性質上、傍観者を貫くつもりなのではないか? 残りのオレアディスはどうだろう、私は動かないと信じているが」
「だって。オレアディスの事判る?」
“情けないけれど、お手上げね”
“そうね、でも彼女も多分クシャスラと同じでしょう? サティロスとは特に仲が良かったから”
「ふ〜ん、オレアディスも動かないって言ってる。と言う事は、これ以上敵は増えないって事ね。……大丈夫そう?」
瑞姫が一体どちらに対して話しかけているのか悩む。
彼女にしてみれば声は居る存在なのだが、余りにも普通に話を進められると判断しにくい。
「ん? ああ、まだ対の者が私の前に現れた訳ではないし、あやかし程度なら此方で対処できる」
“確かに妖魔だけは防ぎようがないわね”
“愉悦だけで動くんですもの、始末に悪いわ”
「はぁ……ぜんぜん役立たずって感じぃ〜。ごめんねぇ、それってあたし達が手を出す相手じゃないって」
「構わないさ、出来る限りあやかしの数は減らしておきたい。丁度良い退屈凌ぎにもなるし」
二つの理由の内、後者がソルティーの本心だろう事は、彼の笑みを見れば判る。
それを見て瑞姫はその事にそれ以上触れるのはやめた。
どうしたって瑞姫がソルティーの旅を手助けする事は許されない。ならば、彼の言葉を信じるしかないと。
「でも、ほんとに何にもない? して欲しい事。……あっ、そうだ! 体っ! 体大丈夫? おかしい所とかない? 大分経ってるし、それくらいなら、良いでしょ?」
最後は声に対しての言葉だった。
“え、ええ、それくらいなら”
“でも私達じゃ……。慧獅じゃないと”
その名前に瑞姫はあからさまに顔色を変えた。
声の方も、触れてしまった瑞姫の逆鱗に声を潜める。
「……これは、あたしが決めた事よ! 何が慧獅よ、あんな奴の力なんかっ、誰が借りるもんですか! ……っと言うわけで、何かないっ?!」
慧獅に対する怒りそのままをソルティーに向け、瑞姫は半ば脅迫的にソルティーに詰め寄った。
「え…ああ……、そうだな、今殆ど目が見えない状態なんだ」
「ええーーーっ!! 嘘、マジ? ちょっと、そんな大変な事何で最初に言わないのよぉ」
「いや、別に見えなくても感覚で見る事は可能だから、それ程大変でもないよ。ただ少しだけ、不便な時があるから」
幾ら自分で見えていると思い込んでいても、どうしても僅かに視点が他人とずれている時がある。気付かれない様にはしているものの、気付かれた時にどう言い訳をすればいいのか思いつかないのだ。
「そっか、んじゃ、それ治してあげる。どうすればいいの?」
“そうね、多分摂取する理の力が偏って蓄積してしまった所為で、機能の釣り合いまで偏ってしまったのね。それくらいなら大丈夫よ”
“でもこれだけは言うけど、私達では蓄積を無くす事までは出来ないのよ?”
「それで良い。今あたしに出来る事を、あたしがするの。それに慧獅がどうにかする筈ないしぃ〜〜。んじゃ、あたしはどうすればいいの?」
“彼に触れてくれればいいわ。私達の力が直に届く様に”
その言葉に、瑞姫はソルティーから顔を逸らし、にんまりと微笑んでから、再度ソルティーの方に顔を向ける時には真剣な顔を作っていた。
「ソルティー、あたしをぎゅって抱き締めて」
驚いたのは瑞姫の中にある声だ。
「今するのは力を繋ぐ事で、出来る限り体を触れさせなければならないの。だから、恥ずかしいけど、あたしを抱き締めて」
瑞姫の、頬に両手を添え、僅かに俯きながら恥ずかしそうな演技に声達は、体があるならば手で目を覆っただろう。
“瑞姫……姑息過ぎるわ……”
“はぁ、この子ってば、恥も何もかも捨ててるわ”
――にゃにおう!!
声に対しての暴言をぐっと堪え、瑞姫はどうするか迷っているソルティーに、恥ずかしげな潤んだ瞳を見せ、もう一度羞恥に震える声を出した。
「さあ、これは仕方のない事だから」
「あ……ああ」
どうしてか瑞姫から邪な感覚が送られてくるが、他に方法が無いと言うなら従うしかない。
――鎧を着けて来れば良かったかな。
そうすれば直に密着と言う事は無かったかも知れないが、別に瑞姫が嫌いな訳ではない。彼女の後ろに控える二人の男の顔がちらつくだけだ。
「じゃあ、ごめん」
そう言いながらソルティーは瑞姫の小さな体を軽く抱き締めた。
――ああ、王子様。ぐふふ。
“み、瑞姫?”
“放って置きなさい。私達はさっさと終わらせればいいの”
“え…ええ”
ソルティーの胸に顔を埋め、完全に夢の中の住人になった瑞姫に、声は溜息を吐きつつ自分達のする事に集中しだした。
ソルティーが恒河沙を捜しに出る少し前、気を失った恒河沙の体から、ミルナリスは疲れた体を引きずるように姿を現した。
綺麗に束ねていた筈の黒髪は乱れ、体を支える腕にも力は入らない様子である。
なんとか全身を恒河沙から引き出し、遠退きそうな意識を懸命に繋ぎ止めながら苦悶の声を吐き出した。
「……どうして……どうしてなんですか」
何故彼が、自分が描いていた姿とならなかったのかを調べる為に、ミルナリス恒河沙の意識に潜り込んだ。
そして、この言葉が彼女を支配した。
這いずる様に体を泉の縁へと寄せ、澄んだ輝きを発する水面に自分の顔を映し出す。
「どうして、どうしてなんですかっオレアディス様っ!!」
答える筈のない泉にミルナリスは叫び、そして耐えられなくなったのか、泣き出したその顔を波紋の中に消した。
ミルナリスの消えたその直ぐ後、倒れた恒河沙の傍らに一人の女性が姿を現す。
半透明な体には肉体は存在せず、しかし彼女は其処に居た。
『恒河沙……』
優しく、懐かしさを込めた声は恒河沙には届かない。
女性は伏したままの恒河沙の髪に触れ様と、その身を跪かせ手を伸ばした。しかし彼女の指が髪に触れる事は出来ず、通り抜けてしまう手を何度も彼の髪を撫でる様に動かすだけだった。
『恒河沙、思い出さないで。何があっても、貴方が貴方である為に、思い出してはいけない』
思い詰めた眼差しを恒河沙に向け、何度も同じ言葉を口にする。
『思い出してはいけない』
まるで呪紋の様に、繰り返し何度も、恒河沙に語り続けた。
そして最後に、
『私の愛する子供。あの人の言いなりにはならないで』
そう言い残し、彼女は離れた場所に出現した偉大な気配にその身を消した。
「う…んん……?」
誰かに話しかけられた様な気がして恒河沙は目を覚ました。
「……??」
作品名:刻の流狼第三部 刻の流狼編 作家名:へぐい