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刻の流狼第三部 刻の流狼編

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 森に一人で入る危険性は幾度と無く話していた。
 ならばと思い、恒河沙が一人で歩ける泉に向かった。
「ったく……」
 見渡した泉は静まり返り、何処かで彼が泳いで居るとも思えなかった。
 かなりの広さを持っていた泉の対岸は、ソルティーの目では到底見る事は出来ず、仕方なく森の方も見渡しながら泉の縁を歩き出した。

 自分達の居た場所と、その対岸との丁度間に差し掛かった時、ソルティーは頭上の妙な気配に足を止めた。
「“ラッキー”」
「……あ」
 素っ頓狂な声と共に、上から降ってきた女の子を条件反射で両手で受け止め、その見覚えのある顔に驚いた。
「瑞姫……」
「やったぁ、覚えていてくれたんだあたしの名前。嬉しいなぁ」
 出逢った頃と寸分違わぬ元気の良さで、瑞姫はソルティーの首に抱き付いた。
“これ瑞姫、この様な事をしに来た訳ではないでしょう”
「うっさいわね、邪魔しないでよ。ああ、あたしの王子様」
“駄目ねこれは……”
“本当”
「……相変わらずみたいだね」
 瑞姫に聞こえる声はソルティーには聞こえないが、誰と話しているかは知っている。
 この世界の絶対者でありながら、人の世に認められない事も。
「相変わらずって、あたしの可愛さ? いやっだぁ、もうソルティーったら」
「そう言う所も相変わらずだね」
 勝手な解釈に悶絶する瑞姫にソルティーは力が抜けてしまう。
「それはそうと、何か用? 今ちょっと人を捜して居るんだ」
 瑞姫を降ろしながら、自分が此処にいる用件を先に済まそうとした。
 わざわざ彼女が現れた事は、それなりの事態を思い浮かべるのは当然の事。よって間違っても誰かに知られては困るのだ。
 ただしそれは瑞姫達にも同じ事が言える話であった。
“瑞姫、そんなに何度も会えないわよ”
「はいはい判ってるって。ソルティーが捜してるのって、男の子でしょ? 大丈夫よ、あっちで爆睡してるだけだから」
 瑞姫は泉の向こうを指さし心配ないと言う。
「恒河沙が一人で……、あ、いや、判ったよ」
 独り寝が出来ないはずの恒河沙への疑問はあるが、やはりそれ以上に瑞姫が現れた緊急性がソルティーを押し止める。
 彼女が心配ないと言うなら、何の心配も感じなくて良いのだと、無理に自分を納得させての了解だった。
「それに、ソルティーが一人っきりになるのってあんまりないし、この時を逃したら、今度何時会えるかもわかんないし。と言うわけで、なんかない?」
「何かって?」
 てっきり何かの知らせだと想像していただけに、正直かなり戸惑ってしまう。
「んん〜、だからさぁ、困ってる事とかぁ、して欲しい事とか。旅をしてれば何かあるでしょ?」
 両手を腰に宛い、胸を張ってどうぞとする瑞姫に呆れたのは、何もソルティーだけではなかった。
“瑞姫何を言っているの!”
“そうよ、そんな事が許される筈がないでしょ!”
 激しく叱責する声に瑞姫は眉間に皺を造り、思いっきり無視を決め込む。
「有るでしょ? 何でも良いよ。あたしが出来る事、全部してあげる」
 これが瑞姫が下したソルティーへの贖罪の証なのか、文字通り何でもするつもりで此処へ来た。それが何を意味するかも知っていて。
 しかし、それを言われたソルティーも、彼女の言葉がどれ程の重みを持っているかを知り尽くしていた。
 頼もしげに胸を張る瑞姫に微笑みを見せ、ゆっくりと首を振った。
「何も無いよ。君には感謝こそすれ、して欲しい事なんか何もない。気を使ってくれてありがとう」
「そんなぁ! ……そりゃ、本当に叶えてあげたい事は、あたしには無理だけど、でも、何かある筈よ。お金欲しいとか、もっと楽に進みたいとか、嫌いな奴やっつけるとか。何でも良いの、あたしに出来る事なら、何だって良いの」
 必死に訴えかけながらも徐々に落胆し、深く項垂れる瑞姫は涙を零す。
 彼女自身、判っていたのだ。自分達の存在と意味と役割を、全てソルティーに伝えていた。伝えなければ協力は得られなかった。だがそれを理解されると言う事が、彼一人に全てを担わせる事への承諾を押し付ける事にも繋がっていた。
「ホントに、何だって良いの。あたしにも何かさせてよ……」
 替われるものならば替わりたいと思うのは、端から見れば都合の良い言い分かも知れない。ならばせめて何か一つでも助けになりたいと思っても、それを許さない現実があった。
 判っているのだ。だから晃司や慧獅は、決して直接ソルティーの前へは現れないようにしている。自分達の代わりに全てを担わした彼に、何の言葉も持ってはいないから。
 ソルティーはそんな彼女の姿に、どれ程の決意をして自分の前に現れたかを感じる。本来ならこうして会う事も許されない存在が、自分の為に努力しようとしている。それだけで嬉しい事だった。
「ああ、そうだ、聞きたい事が有ったんだ」
 何か一つでもと、彼女の負担にならない事を思いつき、ソルティーは途方に暮れる瑞姫に話しかける。
「な、何? 何でも答えるよ」
 瑞姫は涙を袖で拭きながら顔を上げる。
「シスルの杜牧という村の事。あれは君達だろ?」
「……?」
“瑞姫、村を非難させた事よ”
 何の事だか思い出せない瑞姫に声がすかさず助けをだし、瑞姫は両手を叩き合わせる。
「ああ、あれ。あれね、間に合わなかったから、サイトに一時的に“フリーズ”なの」
「……?」
“瑞姫、もっとましな言葉を使いなさい”
“最低でも瑞姫自身が語訳出来る言葉をね”
「ああんもう、ええっとねぇ、この頃あいつの動きが多くなって、しかも、浸食が早いのよ。だから、地中深くの封印が間に合わなくって、あそこもそう。もう殆ど手遅れに近い状態だったから、村ごと根こそぎ入れ替えちゃった。んで、サイトに送って、一時的に時間を止めてる状態。ああでもしないとリーリアンと…… あ、ごめん」
「いや、多分そうだろうとは思っていた。あの時の二の舞だけは避けたいから」
「うん、まぁ、そうなんだけど。腹立つのは、こっちが必死に“モグラ”叩きしてるって言うのに、グリューメのくそ爺ってばぜんぜん協力しないんだもん」
 目一杯憎しみを込めて地面を踏みしめる。
“仕方がないわ。本来なら精霊総てが敵となってもおかしくはないのだから”
“そうよねぇ、グリューメとツァラトストゥラだけで納まってる方が不思議よね。聞く訳にもいかないし”
“ねぇ瑞姫、彼に少し聞いてみてくれない? 何か知っていれば役に立つし”
「あんた達ねぇ」
 何処か悠長な声に瑞姫はこめかみを痙攣させた。
「どの面下げてそんな事を言う訳?」
“少なくとも此処では見せられないわね”
“そうよね、私達肉体を持ってないんですもの”
「……性格悪ぅ〜」
“そんな事は良いから、聞いてよ。ね、お願い”
「あたしのお願いは聞いてくれないくせに。ほんと自分勝手何だから!」
 傍目では激しい独り言にしか見えず、瑞姫の身振り手振りを加えた声との会話にソルティーは笑いを堪える。
「二人は何を言ってるの?」
「んん〜、あのね、こっちではっきりしているのってグリューメとツァラトストゥラが向こうに回ってる位なの。んでね、他は全く動いていないのって言うか、わざと眠りに就いている感じ。どうしてだか知ってる?」