刻の流狼第三部 刻の流狼編
「まるで別世界から侵略者扱いじゃねぇか。なんつーか、俺を作り出したのは、浅ましい人の欲だぜ? それをどうにか出来るってぇのか、ああ?」
ゲルクはハーパーの真面目さをあざ笑い、もう一度太刀を握り直す。
負ける事は頭の片隅にもない。
ただ闘う。ただ太刀を交える。それだけがゲルクの願い。
「まぁんなこたぁどうでも良い。俺は楽しみてぇだけだ」
有るかどうかも判らない心でそう感じる。
この世界最高の強さを持つと言われる竜族と、こうして対峙できる喜びに勝る物はない。
どうあってもこの勝利、この手に掴みたかった。
「さあ赤竜、俺をもっと楽しませろっ!!」
太刀を右手に持ち替え、ゲルクは今度はゆっくりとハーパーの間合いへと向かった。勢いをつけていなければ、弾き飛ばされる醜態を見せなくても良いのだから、あとは戦斧と炎を寄せればいい。
ハーパーは戦斧をゲルクに向けて突き出し、すり足で位置をずらしていく。
素早さを誇るゲルクに対して、そう何度も結界を敷く訳にはいかない。呪文呪紋の類を必要としなくても、力の消耗は同じなのだ。確かに普段通りの万全の体勢で有れば、結界を張り続ける事は造作もない事だが、今のハーパーは全身に疲労が蓄積していた。
しかもそうする事で、此方からの攻撃も不可能になる。妖魔を滅ぼす事を考えれば、防御のみに徹するわけにも行かなかった。
だが手の内をゲルクに見抜かれれば、そこで終わってしまう。
呼吸を整え、ゲルクの構えた太刀の動きだけに神経を集中させる。
「ジャンタッ!!」
太刀の間合いに足先が届いた瞬間、ゲルクは後方へ叫び、太刀をハーパーに向けて突き出した。
先刻と同じようにハーパーは結界を作り出し、遅い来る刃先を退けようとした。しかし刃先と結界に触れる直前、眩い光が結界を打ち消した。
「もらったぁっ!!」
勢いを乗せた刃がハーパーの鎧の隙間を食い込み、分厚く堅い鱗に覆われていた筈の右腕にさえ突き刺さった。
「落ちろっ!」
柄に左手も添えたゲルクの両腕の筋肉が、渾身の力を込めている証拠に盛り上がる。
「させぬわっ!」
右腕を切り落とそうとする力に、ハーパーは逆らうように右腕に力を込めた。
「なにっ?」
凄まじいまでのハーパーの筋力に太刀の勢いは相殺され、抜こうとした太刀はピクリとも動かない。その一瞬にゲルクに迷いが生じた。
自分の肉体ではない故に、それを失う事の恐怖さえも感じない。恐らくはそれが迷いを生んだもう一つの原因。
そして失う事への恐怖も、奪われる事の悔しさも知り尽くしているハーパーには、討つべき行為に躊躇いはない。炎を従えた左手の鋭い爪先をゲルクの腹に潜り込ませ、一気に上へと引き上げた。
ゲルクの肉を引き裂く衝撃は腹部から喉元まで走り、骨の砕ける音が不気味に響く。
力の緩んだゲルクの両手から太刀が放れ、体勢を崩した彼の体が後方へ数歩退いた。
人であるなら致命傷であるが、ハーパーと違って彼の傷口は一滴の血も吹き出すことはなく、その体の奥には暗い闇がだけが見えた。
「つぇー、さすが」
人の体を依代とする妖魔には痛みすら必要ないのか、炎に焼かれ燻る体をしっかりとした足取りで支え、未だに不敵な笑みを浮かべていた。
それでも首まで切り裂かれ焼けている為に、片手で頭を支えている不自然さは有るが。
「化け物が」
「そりゃ誉め言葉だ」
声帯器官さえも残されてはいない。だがその声はしっかりと響いていた。
その不気味な声を聞きながら、ハーパーは腕に刺さったままの太刀を慎重に抜き、筋肉を締め付ける事で一時的な止血を施す。だが地面に染み込んでいく血は、止まる様子はない。
状況だけを見るなら、まだハーパーの方が有意の筈だ。武器を奪い、体を破壊したのだから。にもかかわらず更に警戒心を強めるのは、妖魔の本来の姿に肉体は存在しないからだ。
“あやかし”としての妖魔の存在は知っている。されど相まみえるのはこれが最初。果たして次にゲルクがどう出るかが、本当の戦いの始まりだと感じていた。
しかし、彼の次の手はハーパーの予想とは全くの逆であった。
「このまま続けたいのはやまやまなんだがな。俺は勝てない喧嘩は好きだが、負ける喧嘩はしない主義だ。この体、結構気に入ってるんでな」
「貴様、逃げるつもりかっ!」
背中を見せず、後ろ足で引き下がるゲルクに向けて炎を繰り出すが、ゲルクはぐらつく首を支えたまま軽快にそれを避け、一気にジャンタが居る場所まで駆け出した。
「待てっ!!」
ハーパーはゲルクの後を追ったが、右腕の出血と、度重なる疲労にその動きは遅れをとった。
「おい、ジャンタ! ったく、しゃぁねぇな」
何故か気絶して、地面に倒れていたジャンタを、ゲルクは言葉通り仕方なさそうに抓み上げるとズボンのポケットにねじ込んだ。
「じゃあな竜族。この体が治ったら、次こそはその命俺が貰うっ!」
最後の足掻きとも思えぬはっきりとした挑戦状を残し、ゲルクの体は道無き道へと消えていった。
「クッ……」
ゲルクの気配が完全に消えてから、ハーパーは膝を地面についた。
――あれが、主の申されて居った敵だと言うのか。
神が作り出した命ある者ではない。この世の存在が生み出した暗闇。
ローダーを完全な物へとした為に、ソルティーの存在を知られた事は、これで明白となった。
――どれだけのあやかしが動いて居るのだ。いや、あれ程の強さのあやかしが、この世に溢れているというのか。
生も死も存在しない妖魔に、アストアの結界が本当に通用すのか。
ハーパーはこみ上げる不安を、なんとか打ち払うのに躍起になった。
「主よ、ご無事で有られよ」
出来る事なら今直ぐにでもソルティーの所へ戻り、事の次第を話さなければならないが、今の状態では森に入った時点で命を失うかも知れない。
そうなれば足手まとい以前の問題だと、逸る気持ちを押さえ込み、瞼を下ろし周りの気を集め始めた。
もし、ゲルクのような者が再び現れ、ソルティーに仇なすと言うのなら、今度こそ命を賭してでも食い止める為に。
城を発ってから二十日近く過ぎようとする頃、ソルティーを除いて全員が何らかの精神の異常をはっきりと表面化させていた。
何故か苛立ち、たわいもない言葉からの罵詈雑言を繰り返し、須臾に至っては、ソルティーが当て身で気絶させるほど、気を荒だたせる時もしばしばあった。
気を失うことで一端は正常さを取り戻すが、それは長続きしない。
しかしその事で、須臾や他の者の苛立ちが、決して彼等の本心ではない事を断定できた。
ただ、それが判ったと言えども、ソルティーには原因が突き止められなかった。
何より問題なのは、森での道を知っているのがイニスフィスとテレンと言う事。二人が諍いながらも進む道が、果たして正確なのか知る術はない。
「ソルティー……ほんとに大丈夫?」
蒼陽の僅かな光など届かない、闇が支配する鬱蒼とした森の中で、体を木の幹にもられさせるソルティーの膝に頭を乗せた恒河沙が、心配を浮かべた顔で今日何度目かの言葉をだす。
作品名:刻の流狼第三部 刻の流狼編 作家名:へぐい