刻の流狼第二部 覇睦大陸編
年月だけなら、ニーニアニー達の方が遙かに長く苦しんでいた。その苦しみから死を持っても逃れられないのだ。それを知ってなお恨み辛みを並べるだけの勇気はなく、既にその気持ちは霧散していた。
両手で顔を覆い、柵に凭れながら床に腰を下ろすソルティーに、ニーニアニーは近付いて手を差し伸べる。
「もし、あの日が訪れなければ、チェーンダンスの息子とソルティアスは友と成れたのかも知れぬ。君の父と彼がそうだった様に。だから、自分を責める事だけはして欲しくない。友の残した宝が苦しむ姿を、余は見たくないのだ」
ソルティーの手をゆっくりと解き、その顔に微笑みを見せ、その笑みが子供の頃には見たことの無いチェーンダンスの笑みに見えた。
あの日届かなかった思いを、やっとニーニアニーはソルティーに届ける事が出来た。
「さあ立ってくれ。一国の王がその様な情けない姿を晒すものではない」
ハーパーとは違う、同じ立場である者からの言葉に、ソルティーはゆっくりと従った。
「さてそろそろ戻らねば困った事になりかねないな」
誰にも告げずに此処へ来た事を臭わせる言葉を残し、ニーニアニーはバルコニーから部屋の中へと向かい、その後ろをソルティーは見送る為に追った。
そして丁度扉の前に来た時にニーニアニーが振り返った。
「数日の内に吉報が届く筈だ、それまでゆっくりと此処で体を休めてくれ」
吉報の内容をソルティーは問いかけたが、彼は秘密だと言いながら扉を開けた。
蒼陽の明かりだけに照らされた廊下を歩き出す小さな背中に、声が掛けられる。
「もしも、無事に此処へまた来る事が出来たなら、私は君の友と成れるだろうか?」
と。
「余は既にそのつもりだ」
振り返らずに歩き続けるニーニアニーは、はっきりと今の自分の言葉をソルティーに届けた。
誰にも見せなかった彼の顔は、清々しい程に嬉しそうだった。
「いやぁ〜、派手な壊れっぷりだねぇ〜」
昨日恒河沙が暴れ回った箇所を見回りながら、須臾は感心しきりだった。
朝になってから城内での行動は自由だと告げられ、周囲に見張りらしい見張りはいない。
と言うか、全員が復旧作業に駆り出され、そんな余裕は無いのかも知れない。
「悪かったってっ! だからこうして手伝ってるんだろ」
恒河沙は庭の石垣を積み上げながら、廊下から見下ろす須臾を睨み付ける。
城からの脱出をする時、廊下の前方を兵に阻まれ、今須臾が覗いている窓から此処へ降り、そして門の方へ向かった。その間の石垣やら壁などの障害物は、ちょっと邪魔だったので強制撤去させて貰ったが。
「でも、お前は手伝わない方が良いんじゃない?」
「どうしてだよ」
「どうしてって……、一寸は気付けよ。それじゃあぜんぜん壁になって無いじゃないか」
「……? そうかなぁ」
腕を組んで首を傾げる恒河沙の前には、石垣と言うよりは石山が築かれていた。
一緒に作業していた兵士も、その事には随分前から気が付いていたが、ビーヴィーに聞かされた恒河沙の凶暴さを想像して、とても注意する勇気は湧いてこなかった。
「仕様がないなぁ」
「そんな事言うなら、須臾も手伝え」
「嫌だよ。そんな事したら、僕の綺麗な指先に傷がついちゃうじゃない。そんな事よりさ、今からソルティーの所に行くんだけど、恒河沙も来る?」
その言葉に一番喜んだのは後ろで作業をしている者達で、須臾は彼等の為にも恒河沙を此処から連れ出すつもりだった。
なにせ、恒河沙が不器用な事は、須臾が一番理解している。奔霞に居た頃は、一部で小さな災禍と称されていたのは伊達ではなく、壊す事は出来ても作る事は本当に出来ないのである。だが問題は、本人がそれを理解していない事だ。
「……でも、俺が壊したんだし」
須臾の誘いには思いっきり心引かれるが、取り敢えずは責任を感じている此処から離れると、復旧を手伝えとソルティーに言い付けられた手前、また怒られるかも知れない。
「ねぇ、こいつ連れていっても良い?」
埒が明かないとばかりに恒河沙を飛び越して後ろの兵士に声を掛けると、彼等は思いっきりよく何度も頷いた。
「どうぞどうぞ! 此処は我等だけでも充分ですので、お客人達はお気になさらず、ごゆっくり!」
「だってさ、行こ」
「……うん。でも一寸待って」
恒河沙は納得しかねる様子ではあったが、最終的にソルティーの部屋への願望が勝ってしまった。持っていた石を地面に置いてクルリと須臾に背を向け、怯える兵士の元へ駆け寄った。
その兵士達はと言うと、真っ直ぐに自分達を見つめ迫ってくる恒河沙に、自然と足が震えた。
隊長でさえも手が出せなかったとか、九死に一生だったとか、怪我人が多数でたとか、とにかく色々と聞かされている。しかも実際に見た彼は、子供の風貌であっても、その目が何とも言えずに不気味だった。
噂と想像が妙な恐怖を味付けして、今すぐにでも逃げ出したい気持ちである。
「あの!」
「はいっ!」
思わず兵士の背中が伸びる。
「ごめんなさいっ! 作るのがこんなに大変だなんて、俺、ぜんぜん知らなかったんだ」
勢いよく頭を下げた恒河沙に、兵士全員が驚いた。
「ほんとは俺が全部直さなきゃなんないのに、役に立たなくてごめんなさい」
「……あ、いや、良い、です。……見掛けは…兎も角、被害自体はそれ程大きくはないですから」
「ほんと?」
おどおどと上目遣いに顔を上げる姿に更に驚く。
目は確かに奇妙な色をしている。しかしそれ以外は、まだあどけなささえ残っている子供だ。しかも片眼は病気か怪我かは知らないが、とにかく不自由しているようだし、少なくとも作業を手伝っている間に一度も文句を言っても居ない。
よくよく考えてみれば、多数の怪我人も誰一人として剣で斬られたとか、大怪我を負わされたわけでもない。逃げる最中に転けて擦り剥いたとか、振ってきた瓦礫の欠片が当たって、ちょっと打撲してしまったとかばかりだ。要は自分達の経験不足が招いた事ばかりである。
これは自分達の失態を隠そうと、大袈裟に尾鰭を付けて噂をばらまいた奴がいるかも知れない。
「本当です。明日中には全部戻せますから、そんなに気にしないで下さい。実を言うと、何もする事が無くて退屈ではあったんです」
その言葉に残りの兵士も頷き、任せろと胸を張る。
「ありがとう」
「いえ、こちらこそ」
途中ひそひそ話交えてではあったが、兵士達に快く許可された恒河沙は、もう一度頭を下げると、須臾の手招く窓に向かってそこから城の中へと消えていった。
「本当にビーヴィーが言った様に凶暴なのか? 俺、昨日非番で居なかったから知らないけど、あいつ、自分が怯えまくったのを隠す為に、誇大に話したんじゃないのか?」
「う〜ん、俺は昨日間近で見たけど、滅茶苦茶強かったのは判ってるけど。……なんか素直な良い奴じゃん」
「ああ。結果はあれだけど、文句も言わずに頑張ってたみたいだし」
「あれは絶対ビーヴィーが情けない話を、彼女に聞かせたくなかっただけだぜ」
「うん。そう思う」
「俺も」
そして全員が頷き、これ以降、ビーヴィーの悲惨な噂が流される事になった。最後の最後までついてない、婚期が遅れそうなビーヴィーであった。
作品名:刻の流狼第二部 覇睦大陸編 作家名:へぐい