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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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 突飛な行動をするとは思っていても、まさか此処までとは考えていなかった。しかし放っておけば、剣まで取り出しそうな勢いでもある。頭を抱えるか、逃げ出したい気持ちを抑え込み、逆に恒河沙の両手首を一纏めに握って拘束する。
「どうして私に関わってくるんだ。第一お前には須臾がいるだろ、シスルに戻れば仲間も友達も居る」
「でも……ソルティ……いないもん……、須臾はソルティーじゃないし、紫翠に帰ってもソルティーいないじゃんか」
「……当たり前だ」
「やだ、ソルティーいないの絶対やだ」
「だから……」
 その理由が知りたいというのに、完全に堂々巡りになっている。いや、確かにこれが理由なのだろう。
――好き……か。
 子供と大人のそれは同じに感じられないが、根の部分は同じ。好きだから一緒に居たいと思い、何でもしてあげたいと思う。
 恒河沙にとっての自分がどうしてそうなってしまったのか。
 おそらく記憶が無い為に、より“今の恒河沙”に固執し、それを認めた最初の人間が自分だった。
『俺もソルティーの知ってる俺が、一番好き』
『他の人の言葉なんか要らない、だから、嫌いにならないで』
 彼自身も須臾も何も語らないが、もしかするとかなり辛い目に遭っていたのかも知れない。目や髪の色、そして大剣や記憶。そのどれもが恒河沙は自分で言い訳さえ出来ずに、力ずくで黙らせる事しかできなかった。
――私は親と同じか……。
 須臾に感じる負い目も遠慮も無く、ありのままに今の自分をさらけ出せる相手だとしたら、ソルティー・グルーナと離れる事は、同時に自分の証明を失うのと同じ。
 しかし仮にこの予想が全て当たっていたとしても、連れて行けるとは言えない。
 王殺しは赦されざる大罪。世界中どこへ行っても追われる事となり、これまでとは比べものにならない危険が付きまとうだろう。その中で自分がいつまで正気でいられるか、自信はない。
「もしまたあんな事を……」
 苛立ちのままに恒河沙に剣を突き付けた瞬間の光景が、恐怖を伴って脳裏に浮かんだ。
 数え切れぬ命を奪っていながら、たった一人に臆病になる。
「ソルティ……」
 彼の小さな呟きを聞いた恒河沙は、不意に体を動かした。掴まれた両手はそのままに、上体を前に倒すように、顔を近づける。
「恒……………?!」
 見開いたソルティーの目の前には、殆ど距離を挟まずにある恒河沙の顔。そして唇には、間違えようのない他人の唇の感触が感じられていた。
――ま……まさか……まさかまさかまさか!!!
 有り得ないと言うか、あってはならない想像に思考が支配されて固まっている間に、恒河沙から顔を離した。
「約束したぞ。もう“あんな事”言わないから」
 どうやら恒河沙はソルティーの台詞を取り違えたようである。もっともソルティーの考えている事が判るはずもなく、そんな前の出来事を想像する所か、覚えてもいない。
 ただソルティーにとってはそんな事はどうでも良い。
「約束って……今のは、だから……」
 事実をありのままに受け止められる筈もなく、これまでで最大の動揺と混乱の中で、恒河沙の手を離し、その手は自然と自分の口を覆う事となった。
 そして恒河沙は恒河沙で、自由になった手でゴシゴシと濡れた顔を拭うと、キョトンとした顔を浮かべながら首を傾げる。
「だって、約束する時は、口ひっつけるんだろ? だから俺、前に約束した事、忘れたんだと思う。今度はちゃんと口ひっつけて約束したから、絶対に破らない」
――口をひっつける……あああああああああああああっっ!?!
 脳裏に走馬燈のようにリグスに入ってからの出来事が、浮かんでは消えていった。
 その中には偶然だとしても、確かに恒河沙が勘違いしそうな出来事は三度もあり、しかもその内の一つは自分がしている。彼の頭の出来や、異常にこういった類に無知な事を考えれば、決して有り得ない勘違いではない。ただ、そこまで普通は考えられない勘違いでもあった。
 まさしくソルティーにとっては、開いた口が塞がらない状況の勘違い……。
「どうしたんだ? ……まだ他になんかするの?」
「充分だ!」
 おそらく何を要求してもしてしまいそうな気配に恐怖を感じ、思わずそう叫んでしまったが、またこれが失言である。これで恒河沙の白紙に近い頭に、きっちり約束する時は口をひっつけるが擦り込まれた。
「えへへ、約束、約束」
 そして最悪な事に、約束が成立した事で恒河沙の単純な頭では、全ての事が丸く収まったらしい。自分の愚かさに打ち拉がれながらも、何とか誤解を解こうと思考を空回りさせている相手に向ける顔は、本当に嬉しそうであった。
――さっきまで泣いてた癖に……負けた……。
 須臾のように賢しい相手も厄介だが、こうも馬鹿で単純なのも困りものだとつくづく思う。
「取り敢えず恒河沙……」
「あぅ?」
「その……口を…ひっつけるのは、物凄く大事な約束の時だけだ。だから、無闇にするな」
 元はと言えば自分が悪いし、相手も悪かった。ここは他は後回しにしてでも、これ以上の被害拡大だけは防ごうと切なる願いを口にすれば、やはり相手はソルティーの思い通りには受け取らない強者であった。
「今のはいっぱいいーーーっぱい大事な約束だから良いのだ」
「……ハァ」
 せめて今は、彼が女性以外に“物凄く大事な約束”をしない事を祈り、ついでに一刻も早くまともな知識を身に着けて欲しいと願うばかりのソルティーだった。

――えへへ、今度はなに約束しようかなぁ〜〜。

 ただこれが須臾であれば、恒河沙がここまで考えてしまう馬鹿だと気付いていただろうが、まだまだ経験の浅いソルティーでもあった。





 行きは豪快に帰りは嬉しそうに帰ってきた恒河沙の姿に、待ちに待ったハーパーと須臾はホッとした顔で出迎えた。そして、
「ソルティーが一緒に居ても良いって言った!」
 と、開口一番に教えられた事も、予想通りではあったが喜んだ。
 ただし元気一杯に報告している恒河沙の後ろでは、ソルティーが「言ってない」と手も首を振っていたが、誰も見ていなければ意味がない。
「う〜ん、やっぱりソルティーは落ちたか」
「ソルティーはどっからも落ちてないぞ? 木のこーーんなにおっきい根っこから、俺がたぁーーって飛び降りただけ」
「いや……そう言う意味じゃなくてさ……」
「ん?」
「落ちるって言うのは……えぇ〜〜あぁ〜〜〜うぅ〜〜〜〜」
 急に口籠もる様子を見ると、どうやら本当に須臾でも恒河沙相手に男女に関わりそうな内容の説明をするのは苦手らしい。
 その様子を遠目で眺めるソルティーの背中には、冷や汗がだらだらと流れていたが。
――口止めして置いて……良かった。
 口は軽くないが、自慢しい。覚えたばかりの事をしたがるのは、子供の特性でもある。“約束”を知られたら、完全に須臾に変質者呼ばわりされ、ハーパーはその場で卒倒するだろう。
 取り敢えず『古いまじないの様なものだから、知っている人は少ない』とか『人に見られたり知られたりすると、効果が半減する』とか言い繕ってきたが、どこまで持続してくれるかは、まさしく神のみぞ知る状況だ。