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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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 現にこう吐き捨てては、大剣の柄を握る恒河沙を、ビーヴィーは泣きながら押さえ込んでいる。
 城側であろうと村側であろうと、アスタートであるなら絶対に森を第一に考えなくてはならないのだ。それが此処で生きる者の、絶対の掟だった。
「すいませんけどぉ、少し右にそれだしてます……」
「そんな事はさっさと言えっ!」
「ヒィィ〜〜ごめんなさい! ごめんなさい〜〜」
 殴られそうになった頭を抱え込み、ギュッと目をつむる。まだ恒河沙に捕まってから一時程しか経過していないと言うのに、今までの人生の中でこれ程悲惨な目には遭ったことがない。
「チェンスゥ、僕を護って――」
 取り敢えずは、無事に五体満足で城に帰れる事を願う、警護兵歴三年と二月の十八才、来月結婚予定のビーヴィーだった。



 タランタスが目指す場所は大樹だと言う。
 このアストアの森の中でも最大の樹齢と大きさを誇る大樹。
 アスタートが王ではなく、その大樹を主とし、その主に逢う事が出来るのがアスタートの長だった。
 聖聚理教の神子と同じ要素だと、ソルティーは認識している。とは言え、全く同じだと言い切れないのは、因子的な問題だろう。
 人とは違う力を持てば神子となりえるのと、子孫に受け継がれる長の力では、異なる性質と考えて間違いない。
 長が如何なる性質を持つのか理解するまでに至っていないが、長の始まりには何らかの干渉が起きたのは想像に容易い。そしてこれ程長い年月を経ても、ミルーファだけを長とするなら、長の力は血の繋がりだけでは解明出来ない何かが有るのだろう。
――妃に決めた訳だ。
 ニーニアニーが王と長の力の融合を謀ったと言うのは、簡単に想像できる。
 しかしそう考えても、一つだけ疑問となるのは、どうしてそれを今求めるのか、と言う事だ。
 タランタスの言葉通り、城とアスタートの間に確執が在るのなら、この決断はもっと以前に行われなければならなかった筈だ。
――何か有ったのか?
 自分の知らない間に、何かが予想していた通りにはなっていなかった事は、前々からソルティーの知る事だった。しかし事がアストアに限り、それを認めたくなかった。
 ソルティーの知るアストアの王は、不躾で高慢な男だった。そしてニーニアニーもその面影を色濃く残していた。
 認めたくなかった。
 同じで在りながら、同じ結末を見なかったこの国や王を認めてしまえば、自分達の国が何だったのかと感じてしまう。決して自分達は間違っていなかった、決して愚かではなかった筈だと信じたいあまりに、頑なになりすぎていると判っていても、どうしても溜飲を下す気持ちにはなれなかった。
「グルーナさん、もうそろそろ着きますよ」
「判った。何があるか判らないから、其処に着いたら一端下がっていてくれないか」
 相手が術者なら何か策を弄している危険性がある。それどころか既にその策は、自分達の周りに張り巡らされているかも知れない。
「まあ、危険そうならそうするよ」
 ソルティーの緊張感などお構いなしに、陽気なタランタスは言葉も軽く笑っていた。



 広く長く張り巡る大樹の枝葉の為に、森の中でも其処だけは何もない空間が存在していた。
 影に覆われた暗い空間に、時折微かな光が発生しては消滅するを繰り返す。
 何十人と人が両手を繋ぎ合わせても届かない様な、大樹の太い幹の根本、矢張り太さの在る根に子供が一人横たわっていた。
 深く眠っているのか、光が瞼の上に生まれても目を覚ます気配はない。
「どうしてだ……、どどどうして道は開かれない」
 戸惑いと焦燥が現れた声を出す男は、四十代の男性で、頬は痩け、顔色は青ざめていた。
 片手に古い書物を持ち、開いた頁に書かれていた文字をもう一度、震える指で辿る。
 足下や、根本にも多くの本が積み重ねられ、中には破り捨てられた物も在る。彼が短気を起こして破ったのだ。
「これだけ試したんだぞ? 長も居る、呪文も正確に唱えた筈だ。なのにどうしてなんだ! 何が足りないんだ?」
 政務官と言う役職もかなぐり捨て、漸く実現できると信じていた野望が、ソノの目の前で崩れようとしていた。
「もう後には引けない所まで来たと言うのに……」
 前々から、政務官を退職した後の道楽として、この計画を立てていた。
 術者としての才を持って生まれたものの、文官として城に使えたのは、そうすれば外の国にある書物を手に入れやすいからであった。まさしく趣味に実益を加味させながら地味に活動して、あと二年で円満退役の筈だった。
 しかし何を思ったのかニーニアニーが突然ミルーファを妃にすると言い出し、そうなっては彼の計画は丸潰れである。
 要は自棄を起こしたと言う訳だ。
 ミルーファが王妃となれば、もう二度とソノの野望は果たされない。だから思い切って昨日事を起こした。
「まだまだ、不死の研究も、魔法干渉も解き明かしていないのにぃ」
 いくら古の呪法魔法が存在するアストアであっても、不死に関わるそれらは禁呪になっているし、干渉の法則は精霊が口を閉ざす程の謎。この辺に手を出す所が、周囲から小馬鹿にされる原因なのかも知れない。
 どうせ思い切るなら、計画の中断にすれば良かったのだ。
 しかしもう手遅れである。いくら城以外での活動に消極的なニーニアニー王であろうとも、妃候補を誘拐されては今頃出兵の準備位はしているかも知れない。そうなれば命は無いも同然である。
 こんな所で悩んでいる暇があれば次の文献を試した方が良いと、建設的なのか破滅的なのかよく分からない思考で、ソノは足下に置いていた本を取り、持っていた方を地面に投げ捨てた。
 そしてやっと気が付いた。自分を情けなさそうに見つめるタランタスと、見た事のない男が冷ややかな目で見ているのに。
「……ど、ど、どうして、此処が判った!」
 裏返った声を出し、タランタスに震える指を向ける。向けられた方は馬鹿馬鹿しいと項垂れる。
「他に何処を捜すと言うんだ?」
 そう言われてソノははっとして目を開く。
「もういい加減諦めて、ミルーファを返しなさい」
「か、返せる、わ、訳が、ななっ無いだろ! わっ、私がこっ、こっ、こう…降伏しても、わっ、私は、こっこっこっ殺されるだけだっ!」
 今にも引きつけを起こしそうに興奮し、体中を震わせ持っていた本をタランタスに向けて投げつけが、当たらない所か中間にも届かずに本は地面に落ちた。
「ソノよ、おとなしくミルーファを返せば、王に差し出さずに逃がしてやるぞ」
「そっそんなっ、ここ言葉に、だだっ誰が騙されるかっ! きっききっ貴様達は、この場でままっま抹殺してやるっ!!」
 血走った目で二人を見下ろすソノは、完全に常軌を逸していた。
「説得は無理だろう」
「そうみたいだな」
「わわっ私を馬鹿にするのか。そっそそっそう言う、つつっ、つもりならっ!」
 目元をつり上げ、両手を二人に差し出しソノは、口中で小さく詠唱をし、ソルティーはタランタスを思いっきり突き飛ばし自分も反対側に移動した。
 二人の立っていた場所には無数の氷の矢が刺さり、それを見てソルティーは舌打ちをする。極端に短かった詠唱にソノの実力が推測すると同時に、それに対する用意が何も成されていない自分を知る。