刻の流狼第二部 覇睦大陸編
「わかんないっ! 帰りたかったら須臾だけ帰れば良いじゃないか! 俺は残るっ!」
「残ってどうするの?! 要らないって言われたのに、つきまとってどうするつもりだよ!」
「そんなのわかんねぇよ! でも俺はソルティーの側に居たいんだっ! 要らないって言われても、嫌いだって言われても、俺が役に立ちたいんだっ!」
力むあまり床に向かって大声を張り上げ、それは溜まっていた鬱積が吐き出されるようだった。
「俺はまだ何も役に立ててないのに……。側に居なくても、近くにさえ居れたら、俺にだって出来る事が一個くらい有るかも知れないだろ。だから、こんな嫌な離れ方、嫌われたままで帰りたくなんかない。ソルティーに……、ソルティーに許してもらえないまま帰るなんて、絶対に嫌なんだっ!!」
肩で息をしながら叫ぶ恒河沙に須臾は息を一つ吐き出すと、その肩を思いっきりひっぱたいた。
「良く出来ました!」
次に恒河沙の頭を殴り、そして撫で回す。
何が起きたのか判らない恒河沙の頭を撫でるついでに振り回し、呆然とする体を彼の剣が置かれた場所まで引っ張った。
「はい、剣持って!」
「へっ?」
「良いから持つ!」
訳も分からず命令されるまま大剣を持つと、今度は扉を前にして立たされた。
「はーい、大きく振りかぶって」
そのまま剣を天井すれすれまで持ち上げ、
「はい、たたっ斬るっ!!」
鍵が掛けられた扉を思いっきり切り捨てると、重そうな音を立てて扉だった物が床に倒れた。
「はいお利口さん。それから、いってらっしゃい」
「須臾……」
「先刻言った事、直接本人に言っておいでよ。駄目もとかも知れないけど、僕に言うよりはまだましだろ?」
恒河沙の背中を押して須臾が微笑む。
何処から何処までが計算だったのか、完全に恒河沙は須臾の考えた通りに動いたのだ。
「須臾……俺…」
「良いからさっさと行って来なよ。森の戒めがある僕達は行けないけどね」
「それじゃ須臾とハーパーが……」
「気にするなよ、何かあっても僕達がそう簡単に負けると思ってるわけ?」
人質としての自分が逃げ出せば、残る二人がどんな目に遭わされるか。そんな心配は無用とばかりに須臾は部屋の外へと恒河沙を押し出した。
「ああ、途中誰か捕まえてから森に入るんだよ」
「うん!!」
扉の崩れる音に気が付いた者達が数名廊下の向こうに見え、須臾は恒河沙の背中を一層力を込めて押し、恒河沙は前を向いて駆け出した。
須臾がハーパーを見る頃には廊下から喧噪が聞こえ始め、疲れ切った体をハーパーの横に下ろした。
「これで良かったのかな……」
須臾の独り言にハーパーは何も言わない。
これからどうなるかなど、誰にも予想できないのだ。恒河沙には期待しているが、問題なのはソルティーの抱える傷を負った心だ。都合が良いからと、一概に恒河沙達を連れ歩くのは得策とは言い難い。それだけこれから予想される道のりは、危険がつきまとう道だった。
しかし何も言わなかった。
今、この状況が最も相応しいと感じたから、視点を変えた。
「お主は良いのか? これから先、何が起きても保証は出来ぬ」
「う〜ん……。僕だけならさっさとおさらばしてるけど、結構複雑な事情を恒河沙は抱えてるから、あいつのしたいようにさせるのが一番かなって」
「複雑な事情?」
態との節の須臾の台詞に疑問を投げかけたが、返事は悪戯っぽい笑みだった。
「そっ、色々ね。機会があれば話すと思う」
「そうか」
「そうです」
不思議な話だが、こう言われるまで一度も須臾達に疑問を感じた事は無かった。
この若さで傭兵に身を置き、肝の据え方は歴戦の強者並だ。余程の経験を積まなくては、これ程までにはなれないだろう。子供の真っ直ぐさで突き進むだけの恒河沙は兎も角として、須臾は……。
――いや、浅慮はすまい。
不安を伴いそうな思考をハーパーは閉ざした。
少なくとも今はソルティーが無事に戻ってくる事だけを願って、彼は深く瞼を下ろしたのだった。
「お前等、いい加減そこをどかないと、この城ぶっ壊すぞ!」
もう大概破壊しまくっている恒河沙の科白に、兵士達は手にした剣を震わす。
ニーニアニーの言った通り、アスタートは戦い慣れしていないらしく、丸腰にした兵士の一人を片手に捕らえたままでも、恒河沙が負ける恐れは全く無かった。
しかし、城の出口に差し掛かろうとした所で、人海戦術を用いた兵士の群に行く手を遮られたのだ。
「さっさとどけっ!!」
――ソルティーに追いつけないだろっ!
迫力負けしながらも一歩も退かない兵士達を見据え、恒河沙は斬りつける考えで足を踏み出す。その時だった。
「何を騒いでいるっ!」
突然頭上から降り注いだの声に、兵士達が一斉に上を見上げ、それにつられて恒河沙も彼等の視線の先を見た。
そこには二階の窓から顔を覗かせているニーニアニーが居た。
「ニーニアニー様、危険ですのでお下がり下さい」
兵士達の中央にいた隊長らしい年輩の男が、ニーニアニーに向かって声を張り上げるのを、彼は片手を振って簡単に返事をした。
「良い。其処の者、一体何を暴れているのだ」
ニーニアニーは兵士の焦りなど気にもせず、険しい顔つきの恒河沙に問いかけた。
「ソルティーを追いかけるんだよ! 判ったらさっさと此奴等どかせろっ! 早くしないと、城の柱全部ぶっ壊す!」
「貴様、何と大それた事を!」
血管が今にも切れそう声を発し、隊長がまだ若いつもりで勇ましく剣を抜いたのだが、二階からの言葉に剣を地面に落としてしまった。
「判った、お前の好きにしろ」
「ニ…ニーニアニー様?!」
「誰でも良い、この者を主の道へ案内しろ。他の者は持ち場へ戻れ。余の命令だ、即刻言われた通りに動け!」
その声に兵士達は一斉に恒河沙の前から姿を消した。
戦い慣れはしていなくとも、王命を忠実に従う訓練はされているのだろうか。
残されたのは恒河沙に捕まった今にも腰の抜けそうな兵士だけで、彼を捕らえたまま恒河沙はニーニアニーを不思議そうに見上げたままだった。
「何をしている。早々に行かねばソルティアスに追い付けぬぞ」
「けっ!」
恒河沙はそう吐き捨てながらも、ニーニアニーへの悪口を言う暇もなく、男を引きずりながら城門へと歩き出した。
「これで気が済んだか?」
途中から駆け足になる恒河沙の後ろ姿を見つめながら、ニーニアニーは後ろに立つ者に語りかける。
「ええ。無理を聞き入れて下さった貴方には、心から感謝致しますわ」
ニーニアニーから少し離れて立ったミルナリスは、言葉と同時に頭を下げた。
「その言葉が本当に心からなら、嬉しい限りだ。それにしても、久方ぶりに此処へ戻ったと思えば、大層な者達を一度に此処へ連れて来てくれたものだ。――何度も聞くのだが、本当に偶然なのか?」
「お疑いになられるのも無理は御座いませんけれど、少なくとも私にとっては、これ以上ない程に偶然ですわ。しかし、大局を見通す方々にとっては、これは必然だったかも知れませんけど、私には何とも」
「成る程。総ては決められし運命と言う訳か」
作品名:刻の流狼第二部 覇睦大陸編 作家名:へぐい